初登板

「そんな事で仕事なんて出来るのか?」

「服巻さんですから。お客さんの前だと人が変わりますし、自社の車の細かい仕様変更も全部把握してトークできるんです。営業成績トップは建てではありません」

「しかしこのままだと連日こうだぞ。君も大変だし、さすがに免許もあるし、車に乗るよ」

 と言って、折田の車に乗る前、車庫にある自分の車両を確認しなかった自分に気付いた。マンションの駐車場にある自分の車でさえ分からないのだから困ったものだ。

「そう言えば、ヤリミズのマークがついた鍵を持ってる。だが車が分からない」

「服巻さんの車はアロガンザっていうSUVです。真っ赤な奴です。自分の会社が売ってる車には皆乗りたがらないんですが、服巻さんは喜んで乗ってますね」

「なんでだ?」

「だって商売道具ですし。でも服巻さんはもうあんまり現場に立つことはないサポート役なので、だから営業回りとかもないし、そうすると商品を売る事から解放されて、車好きが前に出て乗れてしまうんじゃないですか。服巻さんは成績優秀で、会社内資格でも一級ですし、整備士の資格も保険募集人の資格も持ってるすごい人ではあります」


 すごい人『では』あります。他人事のように折田が言った。


「むしろ自信がついて誇りになるかもな。君は大変だろうが」

 その時、いやにピントが合った。嫌な感じがした。

 服巻は既に、業績を上げて現場に立つ必要のなくなった人間で、自分は不動の人気をわがものとした野球スターで、いや、こんな普通の人間と自分に共通点などある訳がない。


 その時ふと、ふふっと折田が笑った。


「どうしたんだ」

「だって、君も大変だしなんて。絶対に服巻さんが言わないことを口にされてるから、ちょっとおかしくて」

「確かに不自然極まりないよな。この状況」

「ますます高峰さんなんだって」

 とだけ言って、折田はそれ以上何も言わなかった。ただ、車を運転する横顔は満足げだ。

「まあ、折田を奴隷にしているくらいの心持でいいのではないでしょうか。冗談ですけど」

「縁起でもない事を言うな」

「ええ。そうして少しずつ違う面をみんなに見せて、飲み会か何かで俺は人生考えなおしたとか、映画を見て考えを変えたとか、そんな風に変えればいいんじゃないかと僕考えてました。昨日外回りしながら。ホラ、ドラマなんかだとよくそうやって人が変わるじゃないですか」

「その時は、折田が優しかったから変わったとでも言うさ」

「ありがとうございます」

「でももし俺の中身がまた入れ替わったらどうする?」

「その時は、以前の人間関係に戻るまでです。服巻さんは嫌だけど、車は好きですから」


「きっかけとかあるのか?」

「以前、仲間と県またぎに車を走らせて、澪さんのライブを追っかけしてて、その時に食べた道の駅の食べ物とか、その県の名所とか、色々回りながら思い出作ったんです。全員男ですけどね」

「いいよな。車って。俺もよくドライブして……」

 と言って口ごもる。

「澪さんと?」


 そうだとも言えない。秘密だ、というのもそうだが、暗となくそれ以上の記憶が薄らいで、引き出せなかった。

「秘密だ」


 と言って強がると、折田はニヤニヤしながらまるで、時間を稼いで相手のガードが空くのを待つボクサーのように、目ざとい顔をした。

「何も引き出せないぞ。本当だ」

「そうですよね、分かりますよ」

「分かってない」


 やがて折田の運転する車は大通りを越えた。フロアまるごと透き通すような窓ガラスに覆われた一階を持つ大きなビルの裏手へと進むと、一転して物々しさ漂う車の整備場を通り過ぎ、社員専用の薄暗い地下駐車場に入って、スムーズなバックで車庫に止まった。

「ここからは、強めに行きましょう」

「ああ。黙って睨んで何もしゃべらなければボロは出ないだろう」

「ええ。そうしましょう」


 服巻と折田は車から外に出た。

 これから入る建物は何の変哲もない車のディーラー店だが。

「どうしても外回りじゃないと駄目?」

「スケジュールを変えることはできません。お客様がいるので。午後には帰ってきますからハハ、大丈夫です問題ありませんよ今日はできる人達しか店舗にいないんですからね」

「そうか……」

「それにしても服巻さんがそんな悲痛な表情になるなんて」

「入れ替わる前をおれは知らんし、やったこともない仕事なんだ。仕方がない」

「何だかスカッとして晴れやかな気分です」


 腕を組んで折田を睨みつける。無音の駐車場で、折田が途端に慌てだす音だけが響く。


「俺は別人だ」

「すいません。修さん」


 ……きっとな。

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