ルール変更

「だが……中に入れるかは分からない。俺が勝ってしまったからな。いつもは入場チケットなんて売り出されないんだが、どうなるか分からん。観覧無料の席だと、遠巻きに見るだけだが、確かそのチケットなら、全員の選手を至近距離で見れるバックネット裏に行ける」


 すると折田は、胸を張った。

「あ、それは大丈夫です。お任せあれ」

「何でだ?」

「広橋さんが最後にセンターをやった伝説のライブチケットを手に入れた経験があります」

「どうやって?」

「やり方はたくさんあります。とにかくその時までは、服巻部長として生きましょう。結局仕事しなければいけないですしね」


 そのかつてない自信に満ちた表情にため息をつきつつも、彼に手伝ってもらうことにする。しかし自分は社会人としての経験などないに等しい。


「仕事か……。一度もやったことがない」

「大丈夫ですか?」

「いや、やるさ。やらなければ」

 追い詰められた時、高峰修はいつもそのセリフを唱え、そうやって自分を鼓舞する。

「それと、俺と二人でいる時は、俺自身の名前を呼んでほしいんだ。できれば下の名前で」

「修さんですか?」


 頷くと折田は承知して、すごい。一流有名人の仲間やんけ、これがほんとなら俺、などと小声で言いながら自分の持っている資料を取り出す。


「では、さっそくお伝えしますね。修さんも車はお持ちでしょう」

「ティガーXLスポーツブレイクだ」


 少し自慢気に聞こえたかもしれない。折田は小声で、ああ、ガチや、やっぱモノホンだ。服巻のおっさんがそんな車思い浮かべるはずないやん、などと小声で呟いた。


「その車を仲介したのも営業のはずです。我々の仕事はまさにそれです」


 頷いて折田の講義を聞いた。二時間ほどだった。明日は出勤しないと服巻の行動にしては怪しいらしく、折田を補佐のようにしつつ、彼にいろいろと実地で教えてもらうことにする。とにかく、どういう仕事なのかというざっくりとした内容、一日のスケジュール、その位しか頭に入らない。大抵は見つけたスケジュール帳が頼りだった。

 服巻を知る大きなヒントになると思いパラパラとめくると、あるページに『折田……オタク野郎。再教育要』と書いてあって言葉をなくす。


「僕は明日の午後は内覧ばかりなのでお店にいるし、何か困ったら僕を読んでください」

「いいのか?君を側近のように隣にいさせるなんて」

「まあ、普通はやらないですが……何せ服巻さんの支配下なので何でもありです」

「そんな奴が俺の身体を乗っ取ってるなんて、考えただけで寒気がする」

「今日は一日ゆっくりしてください。私は結局外回りなので、この時間くらいは支障ありませんが、午後は会社に戻らなければなりませんので、これで」

「分かった。いろいろすまんな。動揺していて」

「仕方がないですよ」

「なあ、何でそんなに俺によくしてくれるんだ?嫌な上司の顔をしてるのに」


 折田は靴を履き終わるとにこやかに笑った。

「澪さんの旦那さんだから。そうなんでしょ」

 答えないわけにはいかない。くそったれ。

「ん。……そうだ。内緒だけどな」

「だったら助けない理由はありません。それに……ワクワクするから。中身が違うってこんなに変わるんだなって思って」

「そうか」


 服巻を何とかすることは、とにかく今の自分の主導権の外だ。気にしても仕方がないと思うことにした。

「すみません。それでは」


 折田が去った後、高峰は服巻の身体でヤニ臭いソファにもたれた。午前中の白い日差しを浴びて、酒のせいでたるみ切った体を触って、ため息をついてテレビに言った。

「まだやってるのか、これ」

『……以上が高畑選手のロングインタビューでした。番組は今後もアベンジスについて特集を組んでいきます。解説福井さん、いかがですか?』

『そうですねえ。選手達の並々ならぬ熱い思いが伝わりましたよねえ。その思いをどう高峰選手が受け取ったのかも興味がありますね』


 そんなことをした記憶が無い。この番組の取材なんて受けたか?

 誰が中身なんだ?この服巻という男なのか?


『今回、高峰選手のインタビューもお願いしたんですがこれはまたの機会にとなりましたので、またこの番組でお楽しみ頂ければ幸いです。それではスポーツはこのくらいで。次はお天気です。本社前広場の稲田アナウンサー、スタジオ外はどんな様子でしょうか?』


 おそらく沢山の出演依頼が来て、ブッキングが忙しいはずだ。高峰の携帯にはたくさんの依頼が舞い込んでいる事だろう。もどかしかった。今からにでもすぐ関係者に電話をかけたい。だがどう頑張ってもあれ以上のことはできないのだ。


 どこの馬の骨ともわからないこの服巻という奴の入った高峰修が、今まで積み上げた高峰修の人生を破壊していく予感しかなかった。  

 体を交換したショックで頭が回らず、今まで考えられなかったこと全てに思考の光が当たり始めた頃には、すっかり服巻はプレッシャーに顔を歪めるようになっていた。

 そして輪をかけて、何気なくメッセンジャーアプリのPINEを開いて胃を痛めることになる。この男の友達リストは七割が女性だ。しかも誰にでも見境なく手を出していた。


 一番上にあった長谷川観月という女性のアイコンは、どこか景色のいい公園の池で泳いでいる綺麗なカモの写真だったが、トークを見た途端、

『みづきチャン(ハートマーク)は……』

 と書いてあって、それ以上おじさん構文を読むのは体が受けつけなかった。

 他にもゴルフに、風俗の誘いやら、自分が未経験でありながら、中年のサラリーマンの暮らしなんてこんなものだろうというところから一歩もぶれることのない、高峰にとってはつまらないことばかりが応答されていて、どうやら、本当に自分は服巻になってしまったのだという失望を確定させるばかりで、すぐに閉じてしまった。

 独身の中年はこんなにもおぞましい文章を書くものだろうか。メシの話風呂の話仕事の愚痴にサウナに世間を斬る文章。


 誰でもそうなるのだろうかと考えるとこれも嫌な材料だ。


 結局、通知も何もかもオフにしてPINEを放置することに決めた。

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