最低の決意

 その瞬間、溜まっていた感情が噴き出るようになって、自分を制御できなかった。


「澪か?俺は……」

 息遣いが違う、と思った。


「えっ……野間ですけど」

 その声で確定した。

 これは子供だ。やけに大人びているが、女の子が電話に出ている。


「ああ、間違い電話です。申し訳ない」

 そう言って、唐突に電話を切ってしまった。

「どうでした?」

「切れたよ。全く違うところに掛かった」

「ではその番号は間違えです」

「夢中になって喋っちまった。声が似てて……なんだニヤついて」

「僕も聞きたかったなあと」


 折田はさておき、もう自分でやるしかないと思った。その願い通じたか五行目にも繋がったが、こちらは散々だった。


「もしもし?」

『なんだてめーは?』


 変なおっさんの声だ。

「すみません。間違い電話です」

『ふざけんな!!クソが!』


 ドガチャッという勢いのある音の直後、ツーツーという音が耳に空しく響く。沸々と凄まじい苛立ちがせり上がってくる。


「俺は日本シリーズを制したピッチャーだぞ!」

「まあまあ、落ち着いて」

「何でこんな事をしなきゃならねーんだよ!」

 この事実は、服巻に入った高峰を失望させるのに余りある結果となった。

「怒りをお納めください、どうか、どうか……」


 ドアから出てきた折田は、腰が引けたまま言った。

「すまん。そう言えば、お前の上司だったな」

「やっぱり怒ると服巻さんです。嫌です。怖いです」

「わかったよ……出て行くのだけは止めてくれ。君だけが頼りなんだ」

 ふう、と折田は息を整えて、気を取り直したのか静かに言った。

「前半の三つのどれかが正しいと信じるしかありません」

「正直、動揺している。確実なものが何一つないなんて」

「日本シリーズを獲った時、確実なものが一つでもあったんですか?」

「何を言ってるんだ」

「あなたをあなたにしたのは、その信念だったはずですよ」


 呆気に取られて折田の顔を見た。その目は真剣だ。体が入れ替わる前だったら、スタジアムを埋め尽くすほどの人の目に晒されても、あんなにも高峰修を演じられたはずなのに、急に悔しかった。

「ああ、お前に言われたくないが、確かにそうだ」

「すみません」

 折田だって、自分が服巻のまま怒っているのだから、よほど怖いには違いない。彼の震え声で正気に戻ろうと思った。

「着信拒否登録されないうちに、SMSを残しましょう」

「それは考えたが、身元を明かしてすべて間違っていて、相手がSNSにでもこの話をアップしたらどうなる?」

「文章を考えましょう」


 というわけで考えたのだが、むしろ怪しすぎるとしか思えなかった。『折り返しをください』と書くだけで気味が悪いし、『あなたの最も近くにいる人間が、おかしな行動をしたらそれは他人です』とか身の毛もよだつだろう。


「やっぱりおかしなことになりはしないか」

「だったら、思い切って身分を明かすしかないのでは。外れても三分の一です」

「うーん……」


 と考えて、服巻の体をもった高峰は一つの考えを絞り出した。それは、もう一つの番号に絞って本当のことを伝えるという事だった。


『失礼します。高峰です。事情あり、違う番号から連絡しております。この番号が三条マネージャーであれば、折り返しご連絡ください。単刀直入に申しますと、ありえない事ですが、何者かと体が入れ替わっています。もし、高峰が何か問題のある行動をしたと察された場合は、この電話でお話します。高峰本人の以前の番号にはご連絡なさらないでください』


 間違えた時を考え、アベンジスと澪の名前を出さずに極限まで理解を求めてこの文面である。どう考えても気が触れているとしか思えない。SNSでDMを送るとか、事務所に手紙を書くとか、そんなことも考えたが捨てられるだろう。少なくとも今は、周囲が高峰修自体に違和感をもつにしてもタイミングが早すぎる。だが今悲観的な結論を下しても仕方がない。


「そうするしかない」

 呟くと、折田にこう言った。

「ベストは尽くした。これでこの話は止めにしよう。何とか元の身体を取り戻せるようにする方が先だ。絶対元に戻せるはずなんだから」


 どうせここで慌てたところで、何もならない、今だけは思い切らなければと思った。

「服巻を演じながら、元の身体に戻す方法を考えるしかない」

「大丈夫ですか?」


 折田の心配する声に、首を振ってこらえる。

「大丈夫かとか、大丈夫じゃないとか関係ない。こんな事あっていいはずがないだろ。今はそれより、服巻になりながら糸口を探すしかない」

「さすがアベンジスのエースですね」

「中身は俺だからな。こんな理不尽なことがあってたまるか」


 頭の整理がついていないが、自分が高峰修であることは間違いようのない事実だと信じて、舐められたくないからそんな事を言った。それにしたってこんな道理のない事が起きてそのままでいい訳がない。あまりにもおかしな事態なのだ。状況がひっくり返らない訳がないとも、心のどこかで信じていた。今はできればさっさと高峰修の身体と接触したい。その為の当てはあり、そしてはっきりと覚えていた。


「公開練習のキャンプに行って、この身体をもって奴に会い、すべてを確かめる」

 二月のキャンプでのファンミーティングに出れば、絶対に自分の身体に会える。そこで真偽を確かめてやればいいと思っていた。


 しかし、これには一つ懸念がある。

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