最低の電話


 何も分かっていない操縦者が高峰修の中に入ったとすれば、ましてそれがこの服巻という男だったのなら、考えるだけで寒気がする。ごく自然にテレビのリモコンを手に持ち、スイッチを入れるとテレビは音と光を発した。


 今は午前中だ。帯番組がスポーツコーナーをやっていても何も不思議はない。


『十一月二十六日、アベンジスがライダースを下して日本シリーズを制したあの日の夜から一週間が経ちました。選手たちはオフに入り英気を養っています。そんな中我々ガチスポ!取材陣によるインタビューに応じてくれた一人の選手がいました。アベンジスのエースピッチャー高峰を最後まで補佐したキャッチャーの麻元選手です!本番組が独占インタビューを敢行しました』


 自分自身の人生最高潮のシーンを客観的に見ている、何とも間の抜けた時間だった。膝から崩れ落ちて片腕を上げ、しわがれるほどに喜んでいる高峰修の表情がやけに網膜に残る。その後出てきた麻元が話す内容は、自分がまだ高峰修であれば興味深かっただろう。


「この取材は断ったんだ。疲れてたから関東の田舎にでもドライブに行こうと思ってな」

「もし、本当に服巻さんだったら今後インタビューとか、目立つこともするでしょうね」


 折田の声は、テレビ画面で真実味を増した。

「それは俺の言葉なんかじゃない」


 はっきり言って、食べ物もたばこも、酒も、整理のつかないゴミも、この部屋にあるどれもすべてが、高峰修の中に流れ込んではならないものだ。それよりも。自分の今の在り方を考えても、周りの人間にどんな影響を与えるのか想像もできない。

 澪にどんなことをするのかも分からない。


「まずい」

「どうされました?」

「お前、今すぐ外に出ろ」

「はい」


 折田を家の外に出し、なんとか服巻の携帯電話で澪に連絡するしかない。SMSでもいいから繋がってほしいと思った。幸いにして、彼をプロ野球選手に仕立てた能力はその身体に対する記憶力でもある。

 しかし……情報は脳にあるはずだ。だから、入れ替われば思い出せるはずがないと冷静に考えればそれを理解し、ためらったかもしれない。だが、今の彼にそのことを考えている余裕など少しもない。日本シリーズを背負った男が、それほどまでに追い詰められていた。だから確証はないが、思い出してスマートフォンに番号を打ち込んだ。今はそれしか手段が思いつかない。しかし繋がったと同時に、発信番号拒否のメッセージが耳に聞こえた。


 父、母の携帯も、息子が名の知れた野球選手になった時点で電話帳登録のない番号は弾かれる。固定電話も解約させたし、繋がらない。球団事務所、相手にされない。出払ってしばらく経った球団経営の寮もダメだ、思い当たるところにかけても結果は同じだった。


 そんな事実に、絶望的な気分になり、椅子にもたれかかり、顔をうなだれて一気に体調まで崩したようになった。


「あの……」

「なんだ。勝手に部屋に入ってくるんじゃない」

 折田に答えたものの、その声は弱弱しい。

「すいません。でも、ものすごく大変そうなご様子なので」

「ああ。そうさ。でもお前には言えない悩みなんだ」

「誰かに、あなたの状況を伝えたいんですね」

「ああ。そうだよ。……大事な人なんだ」

「分かりました」

 折田はそう、優しく言った。そして人差し指を額に当てて考え出した。

「なんだそのポーズ」

「集中です。みどりさんのポーズ。澪さんが主役のドラマで、これやってました」

 ああ、そう言えば澪が初めて主役をしたサスペンスコメディだったな。折田は期待した反応が得られなかったことを残念がるようにかぶりを振って、説明した。

「……いろんな方法は考えつきますが、全て門前払いを喰らうか不審者扱いをされる場面しか思い当たらないのが正直なところ」

「そうだ。親類とかも頼れないしな」

「例えば、その本人に近いお友達とか、仕事先の人とかよいのではといったところ」

「『ところ』って使うな。それは澪の役の台詞……ん」

 顔が上がった。澪のマネージャーにメッセージを入れる。という事を思いついたのだ。自分達ぐらいの名声を持った有名人であれば、事務所も融通を聞かせてくれる。自分も一回だけだが会った記憶もあるはずだ。非常に頭のいい女性だと思っていた。しかし名前が思い出せない。

「番号が分からん。何となく画面に覚えているのかも分からない数字だけだ」

「それでもやってみましょう。何もやらないよりマシです!」

「すべて外れたらどうする?」

「危ない奴と思われて着信拒否されるだけですよ」


 多分、こうだろうというリストを五行ほど書いて、何でもいいからそれのどれかが当たってくれと、祈る思いで全てを打ち込んでみる。

 一行目は同じく、発信番号拒否だった。

 二行目はコール音のみ。『Prrrrrrrrrrrr』という、音を何度も聞いた。

 三行目も同じだった。もとよりおぼろげな記憶から書きだした数字にすぎない。対して確実だとも思えなかった。

 しかし、四行目は、繋がった。待ちわびた答えだった。


 折田に向こうに行けとのサインを送ると彼は素直に従いドアを使って壁の向こうに退いた。


「もしもし?」

『もしもし』


 それは、澪の声とやけに似ている。

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