バミューダ・カプリチオ
Ⅰ
「おかげで、就職がパーですよ。どうしてくれるんですか」
ぼくは、志熊博士の研究所に怒鳴りこんだ。ぼろ切れに近い白衣を着た、マッド・サイエンティスト。目だけはギラギラしてる。年齢不詳の、薄気味悪い顔。
そしてぼくの背中には、メスザルが一匹、ふわふわ浮いて、はなれない。「ラプソディー・イン・ブルー」事件で博士にこんな姿にされちまったんですよ。まったく。おかげで、大学卒業して一か月になるのに、ちっとも就職できない。できるわけがない。
「こうなったら、この研究所にでも雇ってもらうしかないんです。責任取ってください」
博士、うるさそうにしていたが、こくりとうなづいた。わ。雇ってくれるらしいぞ。
「ありがとうございます。で、給料は」
めんどくさそうな顔で、引き出しをごそごそやり、ぽいとなにかこっちに放った。
え。これは博士の預金通帳と、ハンコ。中を見ると……。ぎゃ、じ、十七億円。
「持ってて、かってに引き出せ」
そんな。まさか。ぼくが持ち逃げしたら、どうするつもりなの。
なにか言おうとしても、口がパクパク動くだけ。
と、その時。
ノックの音がして、人が入ってきた。外人の立派な紳士。五十ちょっとといったとこ。そしても一人、日系人らしき若い人。
まてよ。この紳士、どっかで見た顔。……。あ。わ。ぎゃ。ウィグナー・キッテル博士だ。物理学の中の「物性論」の世界最高権威。
「お迎えにあがりました」
と、日系人。志熊博士は、指をくい、と動かした。ぼくにも一緒に来い、ということか。なんだか犬でも呼ぶような手つきだなあ。
ぼくらは車に乗りこみ、着いたところは……自衛隊。
目の前には、ジェット機が待ちかねたように、扉をあけている。機体には、アメリカ空軍のマーク。えっ。なんで。
どうなってんだ。どこに行こうっての。
Ⅱ
バミューダ沖。
アメリカ海軍の巡洋艦上。
「閣下は、博士に来て頂いて、大変心強く思っている、と仰っております」
これまたよくみる、えらそうな人がなにか言って握手を求めてるのを、さっきの日系人が訳す。れ。博士、握手を無視してる。「閣下」苦笑い。
「あの、このかたは、ひょとして」
と、日系人に聞くと、
「合衆国大統領閣下です」
うわ。うわ。うわ。うわっ。
ドタドタドタドタ。ぼくは、わけもなく甲板を走りまわった。
博士は、平然と、沖を見ている。
沖の上空には、広大な範囲にわたって、白い光に包まれていた。
そしてその中には、ひときわまばゆく光る、巨大な三角形。
正四面体、というやつ。一辺十キロメートルはある。ピラミッドのような光の塊が宙に浮いている。その四つの頂点なんか、太陽みたい。
ガイガーカウンターがうるさく鳴ってる。
そういえば、おとといの新聞に「魔の
「白い光の中に突入した」って機長の通信を最後に消えちゃった、ってやつだけど。三角領域での失踪のいつものパターン。
あ、久しぶりーい。おもしろい。なんで喜んでたけど。その後、こんな大規模なことに発展していたとはねえ。
この後知ったことだけど、その後、失踪が次々に起こり、調査してみると、白い光が刻々と拡がり、強さを増している。事態を重く見た大統領は、報道規制をし、この海域から人や民間飛行機を追っ払った、とのこと。
で、アメリカ中の大科学者を集めて、討議させたんだって。
残念ながら、というか当然、結論が出ずじまい。
最後に、ウィグナー・キッテル博士が、大統領に、
「この現象は、現代科学では説明も、解決もできません。もしできるとしたら、世界中でただ一人。
日本の、ドクター・シグマだけです」
てなわけで、志熊博士登場、となったわけ。
そして今。
博士は不気味な微笑をたたえ、輝く三角形の光度を測定している。
やがて。
「ジェット機に、照度計とガイガーカウンターを積んで、飛ばせ」
との指示。
すぐさま、ジェット機が発射され、輝く正四面体のまわりの光度と放射能のデータを送り続ける。それが一通り終わると、
「三角形の中心に最高速で突っ込ませろ」
これにはさすがに騒然となった。
「殺す気ですか、あなたは」
でも、全く動じない。あまりの自信に満ちた態度に、ついに大統領が折れた。
ジェット機は、三角形の面の中央から、内部に突入した。
なんと、翼や機体の一部が消えたくらいで、無事だったんですよ、おどろくことなかれ。
あちこちからほっという息。
で、内部からジェット機が送ってきたデータというのが、予想に反して、光を強く発しているのは、表面だけで、内部はほとんど光を出してない、というものだったんで、みんな二度びっくり。
「博士。これは一体……」
大統領が言いかけると、博士、次の指示。
「頂点のひとつに突っ込ませろ」
「え。しかし……」
こうなると、従わないわけにはいかない。
ジェット機は、内部から、三角形の頂点へ。逐次、データを送りながら。
と、達する寸前に。
大爆発。
ジェット機は閃光に包まれてしまった。
博士、快心の表情。なんて人だよ、まったく。
大統領、くいかかる。
「博士。あなたはこの事態を予想していらっしゃったのですか。最初から乗員を殺す気だったのですか。えっ。答えなさい。どうしてこんなことをさせたのです」
博士、平然と何やら考えていたけど、あまりうるさいんで、ひと言。
「一番てっとり早い」
「な、なんですと。データを取るのに一番早いというだけで、人命を奪ったというのですか。なんという。無人操縦のジェット機を早急に仕立てて、測定させるとか、ほかに方法があったでしょう。それを、なんという……」
博士、完全に無視して、考え事。大統領の声なんかまるで聞いてない。大統領も段々語調が弱まって、ぶつぶつひとりごとに。
やがて、博士は、ぼそり、とつぶやいた。
「やはり積層欠陥四面体か」
「どういう意味ですか」
と、大統領。
「空間粒子の格子欠陥が、熱により拡散している」
それじゃわかるはずがない。
ぼくらが日本を出る前に、博士、自分が書いた分厚い論文を「読め」って渡してくれた。「空間量子論」というやつ。最初から、バミューダ・トライアングル事件の原因に気づいていたんだ。
わけがわからないながらもそれをよんでいたのと、格子欠陥について、大学の研究室でやってたのとあわせて、なんとなく、わかってきたぞ。
「説明しましょう」
と、ぼくは大統領に。わはは。大統領と話せるぞ。あとでサインもらおっと。
「つまりですね。空間てのは、ずっとつながってるように見えるけど、ちっちゃな粒からできてるんです。
鉄板にしたって、ひと固まりというわけではなくて、実際は原子ってちっちゃい粒でできてるでしょ。原子ととなりの原子との間にはすきまがある。
空間も、ほんとは粒が集まったものなんです、博士によると。粒と粒の間には、空間はないんです。
パチンコ玉も箱にちゃんと入れると、規則正しく並んでるでしょ。あんな風に空間の粒も……あ、大統領、パチンコやりませんよね。あはははは」
笑ってごまかす元気な子なのだ、ぼくは。
「ハードルみたいなんですよ、つまり。空間の粒が規則正しく並んでるところを、原子がぴょん、ぴょん、ぴょんと、飛んでいるんです。粒から粒へと。実際には玉つきみたいに、次々に粒が置き換わっていくわけですが。粒と粒との間には降りられないんです、空間がないから。
で、ですね。格子欠陥てのは、この規則正しく並んでる粒がひとつ、抜けてたり多かったりする状態でして。
ハードル競争で、ちゃんとハードルが並んでると思って、調子よくぴょんぴょん飛んできて、ふと前を見たらハードルが一つない。で、けつまずいてその位置におさまったりする。これくらいならいいんですがね、やっぱりぴょんぴょん飛んできて、ふと前を見ると粒子が二つある。飛びようがない。つっかかってしまう。
ハードルなら、地べたに落っこちて、膝をすりむく程度ですむけど、空間の粒を飛んでる粒子だと、粒と粒の間に空間はないから、困ったもんで、落ちようがないんですよ。極度にバランスが崩れて、粒子が壊れちゃう。E=mc二乗、というエネルギーになって、消えちゃうんです。
それが、あの光、というわけ。空気の粒子がそうやって壊れて、光になってるわけです」
ほんとは、空間量子化波動関数うんぬん、と説明しなくちゃならないんだけど、大統領には無理でしょ。ぼくにもわからないんだから。
れ。でも大統領、これだけやさしく説明してるのに、わかってない表情だなあ。ま、説明してるこっちもわかってないんだから当然かな。
でも、わかろうがどうしようが、次に進まなくちゃならない、という面持ちで、
「すると、そういうものが集まった欠陥が、あれ、というわけかね」
あれ。すこしはわかってるんだ。
「はい。そうです」
「どうしてあんな形になっているのかね」
「安定なんです。ああいうかたちになりやすいんです。あれは、正四面体の表面にあるはずの粒子が、表面のとこだけ、全部なくなってたりする状態でしてね」
「あれのまわりでも白い光を発しているのは」
しつこいなあ。ぼろが出るじゃないの。えと。
「ええと。ですねえ、あの。
熱ってのは、粒子が振動しているから起きるものだっての、知ってますか。
空間粒子にも一種の熱ってのがあるんです。
粒子はぶるぶるふるえてるんです。熱が高いほど。
あのね。熱があってふるえがひどいからって、粒子がカゼひいてるわけじゃないんですよ。あははは……は…は」
しらけた。くそ。
「で、粒子のみんなが振動してるんで、ひどくなると、あの空間の粒の抜けたやつのかたまりが、バラバラになって、あたりに散らばっていくわけです。
空間の抜けたもの、これを専門用語で、『間抜け』といいます。……通訳さん、訳せます、この冗談」
そちらをみると、苦い顔。
と。
「おい」
今まで、データを検討していた博士が、またまた注文を出した。
「ヘリに乗る」
すぐにヘリコプターが準備され、博士とぼくは乗りこんだ。大統領も「まだ聞くことがある」とついてきた。えーんえーん。逃げられると思ったのにい。
「すると、時間がたつにつれ、まわりの白い光はひどくなっているようだが、それは、熱が上がっている、ということか」
と、大統領。いいかげんにしてよ。
「ま、そうでしょうねえ」
「バミューダ海域の過去の失踪事件は、温度が急に上がり、下がったという状態なのか。とすれば、今回は、熱はいつになったら下がるのだ」
「ま、すぐに下がりますよ」
と、いいかげんなことをいうと、博士が、
「いや、熱は上昇速度を増しつつある。当分は下がらん」
「なんですと」
大統領、窓から外を見る。と、ヘリが、全速で三角の光から遠ざかっていくのに気がついた。
「操縦士、どうした」
「いえ、乗ったとたん、博士がこうしろと」
あれ。どういうことだろ。もう帰るのかな……
あっ。
ひ、光が。
急速に輝きを増していく。海が沸騰を始めた。
そして、次の瞬間。
破裂したかのように光が拡がり、いままでいた巡洋艦とそのほか三隻、海もろとも大爆発。光になってしまった。
「わかっていたのですか、これが。なんでみなに知らせなかった。逃げられたかもしれないのに」と大統領。
ほんと、なんて人だろ、この博士。なんとも感じてないよ。大統領、ついにあきらめ顔。
もとの海に目を戻すと。
三角形が消えていた。それどころか、白い光も、ほとんど消えている。
「終わったのですか、すべて」
「いや、これから始まるのだ」
博士の目は、まだ海に向いている。
ん。
ぼけてる。
海がぼけ始めた。どうしたんだろ。
あ、熱振動がひどすぎて、光までまっすぐ通らなくなっちゃったんだ。熱は、まだどんどん上がってるんだ。
また、白い光がもやになって出はじめた。
どんどんひどくなっていく。拡がっていく。
もう空間欠陥は分解して、消えちゃったように見えるけど。このようすじゃ、別の状態に変わっていっただけなんじゃ。
どうなってるんだろ。まさか。
「まさか、博士、空間が熱で溶け始めてるんじゃあ」
うなづいた。
そして。博士は大統領に次の注文を発した。
「大統領。これからいう資材をすぐに集めろ」
Ⅲ
それから一週間後。やっと熱があるところでとまった。のはいいんですけどねえ。ちっとも下がらんのよ、これが。
それどころか、どんどん地域が拡がっちゃって。
五日目頃に、マイアミで泳いでた女の子をかすめて、水着の端がなくなって、ヌードになった、なんてのはいいほうで。その四日後にはマイアミが、十三日後にはフロリダ半島がなくなっちゃったんだから。翌日にはキューバ島も。
地殻に穴があいちゃって、アメリカ南部はひどい地震。アパラチア山脈も大噴火。海は煮えたぎった。
見てて気持ちがいいもんじゃないね。なんせ、ほくは煮魚がきらいなのだ。
その間、博士は機械を作っていた。ビルほどもある巨大なもの。
それは空間冷却機。
一か月後。
被害はワシントンやニューヨークまで押しよせた。摩天楼は溶け、大パニック。大群衆が西へ北へと逃げまどった。
三十四日後。やっと。
博士の偉大な発明、空間冷却機のスイッチが入れられた。
そして。
一瞬にして。
「熱」はもとに戻った。
「ねえ博士」
どうも釈然としない。もっとも博士のやることで釈然とすることなんてないけど。で、聞いてみた。
「あの機械、一週間も前に完成してたんでしょ。なんで動かさなかったんです。ねえ。ねえ。ねえねえ」
博士、めんどくさそうに、ぼそり。
「原因を探るデータを集めていた。またとない機会だった」
えっ。バミューダで、なんであんなことが事が起きたのか、知りたかっただけ。ひえっ。
その一週間で死んだ人、二千万人だよ。
みると、しぶい顔。ははあ、結局、原因はわからずじまいだな。
早くあきらめてくれてよかったよ。へたすりゃ、地球が全部溶けちまうまでほっといたよ、この人なら。
そう思えば、一週間ですんでよかったのかな。
それはいいけど、副作用がなあ。
ぼくは目の前に沸いている、白く輝く線を見ながら思った。
この白い長い線、この日本にもあちこちにできちゃったんですよね。転移線というやつ。
簡単にいえば、急に冷やしすぎたためにできた、空間のひび割れ。
日本にまで来てるくらいだから、アメリカなんてすさまじかったよ。いたるところに張りめぐってる。
「これ、なんとかなりません。あぶなっかしくて。だって、うっかり横切ると、身体がスッパリ切れちゃうんだもん」
「いずれ消える」
あれ、あっさり言ったね。へえ。
「そのうちって、どのくらいです」
と、博士、ちょっと考えて、言った。
「約千年というところだ」
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