第4話 「お前、ワシと組めや」


央一はぼんやりと瞼を開ける。


「……」


耳朶に、りんりんと虫の声が入りこんだ。虚ろな視界には、星のない紺碧の空に、薄暗い雲がゆっくりと漂っている。


「くそッ、くそッ」


冷たく、澄んだ空気が鼻腔から内臓に入っていくのを感じながら、央一はまだ強い痛みの残る拳を握り、湿った地面を叩いた。骨がずれるような激痛が走るが、構わずに央一は地面を叩く。


「おい、おっさん!」


そうして、央一は声を震わせて怒鳴った。


「聞こえてるんだろう、おっさん、応えろよ!」


「どやかましいのう。そない怒鳴らんでもよう聞こえとる」


「……」


ぬ、と。その顔は倒れた央一を覗き込んだ。ぎょろぎょろとした鋭い猛禽の眼。鈍色の尖った嘴。首筋までは羽毛に覆われているが、むき出しの胸筋から腹筋は人間のものだ。


「ほんでええ加減慣れたやろがいや。ワシゃ都でも名の知れた男前やさかい」


顎にあたる部分を長い爪の指は、鱗に覆われてはいるが人と同じ形をしている。部分部分に人間の要素は残っているものの、やはりその全体像は奇怪だ。


「くそッ 化生め……もう殺せ、いいから殺せよ。どうせ、俺はもう用済みだ」

「せやから化生ちゃう言うとるやろがい。ほんまに人の話聞かん奴っちゃのう」


鷹の頭を持った大男は、呆れたような目元を歪めてみせた。


「……」

「ほれ、そないなこたもうええのんじゃ。口開けんかい」

「なに……ぐッ うご」


半ば無理矢理に――大男は翼の先の指先で、何かの塊を央一の口に押し込んだ。泥団子のようなぼそぼそとした感触が舌の上に乗った刹那、央一は言語にできない苦みから絶叫して吐き出そうとしたが、男は両手で央一の鼻と口を押さえ込んだ。


「大人しくしろ言うとるやろが。ほれ、そのまま飲んでまえ」


うごうごと呻いて抵抗しようとした央一だが、単純な力ではまったく歯が立たない。胃液が上がるような感触に涙が溢れながら、央一はやがてそれを飲み下す。


「お、ぇ あ゛……」


「たく手間ぁ掛けさせとんちゃうぞ」


更にやれやれといった具合で男はどっかりと央一の枕元に胡坐をかく。央一の方は、苛烈な苦みがまだ口の中に滞留していることが辛くて仕方がなかったが、不思議なことに奇妙な口当たりのそれを飲み下した直後から全身の痛みが引き、息苦しさも和らいでいくのを感じた。


「……」


深呼吸をしても、あばら骨に激痛が走ることはなく、拳を握りしめても腕や肩へ痛みが起こることはなかった。央一はおっかなびっくり腹筋に力を入れ、上半身を起き上がらせた。


身体のどこにも、痛みは無くなっていた。ぺたぺたと自分自身の身体を触って眉をひそめている央一を、大男は笑った。


「ワシの謹製特効薬じゃ。感謝せえよクソガキ」

「あんたは」

「やから敵とちゃう」

「……」


それだけを言って、立ち上がった大男は少し離れたところの焚火に歩いていく。“敵ではない”と男はそう言ったが。果たして信用してもいいものか。央一は判断に窮する思いのないことはなかったが、少なくともあの鷹頭の表情は嘘を言うそれには見えないと思ってしまった。


央一もまたゆっくりと立ち上がり、覚束ない足取りで男の後に続く。ぱちぱちと燃える焚火の上には、鉄の鍋がかけられていた。中では、野菜くずのようなものがぐつぐつと煮えている。


「……」


央一はあらためて、周囲を見回した。やはり紺碧の空を流れる暗い雲。冷たいが澄んだ空気。央一が“怨叉庭”に入りこんだ時に見た景色とはまるで異なっていた。


「“怨叉庭”なのか。ここは」

「せや?」


気のない応答をしながら、男は鍋に突っ込んであった大きな木の匙で中身をかき混ぜる。


「何年もかけて呪詛を剥がせたんはこの辺りだけっちゅうこっちゃ」

「……あんた」


央一はまだ思考が鈍っている中ではあったが――それでも今の男の言葉を驚きをもって聞き入れるだけの判断力は取り戻していた。

男は確かに、呪詛を剥がす、と言った。それはつまり男が呪詛祓いを目的としてこの地に居るということであり――それはまた、男が呪詛祓いの能力のある者であることを示している。そこで、央一は先ほど自分自身をぼろぼろにした衝撃波を思い出した。あれは、身体の中に巡らせ、凝縮した五行の力を撃ち出だすものだったのではないか。


「都の……陰陽寮の者なのか」

「おんどりゃ質問ばっかしやのう」

「あんたが説明しないからだ」

「教えたろ思たんに殺意ゴリゴリで襲って来たんはどっちやボケぇ」


カツカツと嘴を鳴らして、男は焚火の前に胡坐をかく。


「せや。ワシゃこれでも博士いうてな」

「陰陽博士……あんたが?」

「おう正面から喧嘩売っとんちゃうぞ」


眉をひそめながら、央一もまた焚火の傍に腰を下ろす。すると男は、鉄鍋の隣に伏せていた椀に煮えた中身を粗雑に注いで渡してきた。


「怨叉庭なんやけったいな名前で呼ばれてもうてかあいそなもんやなあ」

「……」

「せやけどそんくらい、土地に根付いた呪詛が更に腐ってえらいことなっとった」

「あんた、一人で呪詛祓いをするように命じられたのか」

「ほんなわけあるかいや。選抜された連中で来とったわい」

「あんた以外は」

「死んだ。わかるやろ」

「……」


央一は、手のひらが熱くなるほど煮えた椀の中の煮汁と向かい合いながら、もうひとつの椀に自分の分をよそう男の横顔を眺めた。


「ひとりで、呪詛祓いを続けてるってのか」

「やからせや言うとるやろがい」

「あんたくらいの腕なら、抜け出して都へ戻ることだって」

「このツラでかいや?」

「……」


嘴の端を歪めるように、皮肉な笑みを男は宿した。男の言葉に曰くは、この“怨叉庭”に長く滞在しすぎたことによって、彼の心身はこの地とよくない縁を結んでしまいつつあるのだという。そこから無理に脱出を試みれば、五体が破壊される危険性があるのだと。そうであるために、男がここを脱出するためにはこの地の完全な呪詛祓いが必須であるとのことだ。央一はそれに対し当然何も言えない。


「濃くなり過ぎた呪詛っちゅうもんはこらえらい恐ろしいモンやで。生きてるモンを嗅ぎつける力がまずごっつい。ほんで、そいつを殺したいちゅうか……“引き込みたい”ちゅう念を感じる」

「……」

「お前かて思ったやろ。ここで生まれた化生連中はのう、自分らとおんなしよーにずうっと、喘ぎ苦しむ仲間が欲しうてしゃあない」


ずる、と音を立てて男は煮えた野菜汁を啜る。


「あんたの姿が変じてるのは、化生を喰らったからなのか」

「さあのう。ワシももうここが長い。生きるために何でも喰ったもんやさかい、そうかもわからん」

「……」

「まあ。やれるうちにやるしかないいうんが本音のトコや。ワシかてのう、熱い湯や白い米に味噌が恋しいなんちゅう人情はまだある」

「帰る気でいるのか、あんた」

「ああ? 当たり前やろがボケが」


空になった椀を、また男は伏して地面に置いた。その様子を眺めていた央一も、顔をしかめながらほとんど味のしない汁を啜る。


「しかしあれや。お前、ええ時に来よった」

「……何がだよ」

「こないしみったれたガキなんが惜しいトコやがのう。無いよりゃ随分マシな話や」


話が見えない、という顔をする央一に対し、また顎の羽毛をさすった男は中腰で立ち上がり、椀を手にした央一の両肩を鱗の指先でがっしりと掴んだ。


「お前、ワシと組めや」


そのぎょろりとした鋭い目は、この機を逃すまいという強い意思が宿っていた。央一は呑み込みかけていた野菜くずが喉につかえて、咽返ってしまう。


「組むって。あんたが、俺とか」

「他に誰がおんのやアホか」

「けど、何のために」

「ここの呪詛みぃんなシバくために決まっとるやろがい」

「だけど」

「うだうだうだうだじゃかましいねん。ええか?」


混乱しはじめた央一の表情を呼んだ男は、鍋の中の匙を手に取ると、その柄の部分で央一の前の地面にごりごりと図を描いて見せた。


「アホみたいに広いように見えとるかもわからんがのう、“怨叉庭”の全域はたかだか一万とんで三千尺四方程度のモンじゃ」

「……」


ざかざかと不格好の四角が描かれる。これが、怨叉庭全域ということだ。央一は、男がこの地に長くいるとはいえ、既に全体の広さを掌握していることに感服した。しかしやはり広い。男は程度、などと言ったがあまりに広すぎる。一人や二人の力で呪詛祓いをできる限界はどう考えても超えている。央一はそう思った。


「ええかガキ。此処はもうお前の理解も常識もとっくに超えた濃ぉい呪詛が蔓延しよる。せやから型通りのやり方で祓えるモンやないちゅうこたよう覚えときや」


内心に生まれた懸念を指摘するような男の目に、央一は黙るしかない。男は引き続き地面にがりがりと線を描き続けた。


「ほんで、呪詛の“核”がここや」

「……中央か」

「せや。ここにそらもう、ものごっつい核がおる」


――核、とはつまり、その周囲一帯を穢している呪詛の心臓といってもいい。央一は今までの経験を振り返った。家屋を穢す呪詛は大概その建物の柱や、床の間の鏡、仏具、女の櫛、そういった人の念が凝結しやすいものを起点にすることが大半だった。

相対して、土地に根差す呪詛の核を探すことは簡単ではない。その地の特定座標で死んだものの恨みの強い余り土が腐るところからはじまるものがあれば、死んでいった者たちにとって恨み深いものに縁した地点がそのようになることもある。そうであるので、核探しは注意深く行わなければならない。それが央一の認識だった。


しかし、だからというわけではないが核を探り当てることができたならば後は話が早い。その核を、注意を要しながらではあるが破壊すればよい。この広大な呪詛の海を彷徨うことを考えれば、状況は少なくとも央一の考えるよりはよいはずだ。


「なら、あとは壊せばいいってことなんだろ」


おずおずとだが央一がそう言葉にすると、男はわざとらしく落胆するようなため息をついた。


「やから言うてるやろがい。お前の想像しよる呪詛の核は何や地面の瘤か何かか?」

「だが一般的には」

「一般的だの何だのはどーでもええのんじゃ」


少し声を荒げた男はまたはあと息をつくと、図をあらわしていた匙を椀の傍に放る。


「言うてもしゃあない。ワシかてあないなモンに会うたんははじめてのこっちゃ」


ぼりぼり、と男の爪が自身の首の付け根を掻きむしる。


「人の恨みやら、悔しうてしゃあないちゅう思いやら。そんなモンが、形を得てしもたらそないになるもんか、とな」

「……」

「そないなこと思てまうくらいにゃ、えらいこっちゃった」


その瞬間にふと、男の視線が遠くに向いた。央一は眉をひそめたが、すぐに鋭い視線は央一の方に戻る。


「お前なんぞ見てもうたらションベン漏らすでほんまに」

「二十歳になるんだぞ俺は」

「せやかてションベンくらい漏らすやろがい」

「漏らさない」


「話戻そか」

「おい」


男は翼を畳むようにしながら腕を組み、嘴を擦り合わせて唸った。


「せやからお前、ワシと組めや。な」

「呪詛の核を壊すのに協力しろってことか」

「せやせや」

「それは、俺もこの地の呪詛祓いのために来た。目的は同じだが」


――何をすればいい。

そう央一は迷いの残る中で言葉にした。すると男は嘴の端をまた吊り上げて、笑う。


「そらええ返事やのう」


央一は、背中をいやな汗が伝うのを感じていた。それは大層、不本意な契約が結ばれてしまった気がしたためだ。

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