第62 -潤一24
虜囚世界で、魔女ミNミの研鑽を俺も追体験していたからか、空っぽにされたかはわからないが、お前の好きにしろと何かしらの術を受け入れた。
その時空っぽのこの器に、何かしら満たされたのか、書き加えらていたのか、俺はNPCみたいになっていた。
綾香を襲い、救済の儀式をし、それはまるで死んだあの日と逆のような行動だった。
抗いたくとも己の意志は作用しない。
まるでもう一人の自分みたいな俺を眺めるだけだった。
それこそが未那未の求めるものだったのかはわからないが、俺は納得がいかなかった。
綾香の家を出たあと、俺は好き勝手に動く身体に何とか命令を下し海に向かった。
何故か願いが通ったことを不思議に思うも、遠い遠いあの海に意識を向けた。
もしかすると、綾香の娘の泣き声のおかげかも知れないなと思いつつ、これで計画を書き換えられると安堵した。
なぜなら未那未が俺に殺されるのを望んでいたように思えてならなかった。救済の儀式のように、反語のような気がしたからだ。
そして確実に殺す気が俺の身体に溢れていたからだ。
そんなものは認められない。
孕ませたのかはわからないが、そんな事させやしねぇと、殺意を自らに向けながらなんとか崖の上に立った。
そこでようやく首飾りを千切ったのだ。
その際、俺の手のひらには真っ直ぐの傷が入った。忌々しいマスカケ相にちょうど重なるようにしてだ。
深い深い海の底に向かって、バラバラになった貝殻と共に、ざまぁみろと笑って飛んでやった。
だが、泡となって消えた意識は、また変な村で目覚めた。
なんでだよ。
◆
俺は霧雨の中の虜囚世界に囚われていた。
そしてあの日の僕はここにいなかった。
代わりに僕の様子が度々空に映っていた。
どうやら俺と僕は入れ替わったようだ。
綾香も未那未も、町村さえも忘れたのか、直向きに頑張る滑稽な男の姿は、心の情動などは別に共有しないが、なかなかに痛々しく辛いものがあった。
何十年か数日か、時間の感覚はなくなっていて、空に映る僕の姿だけが、俺を正気にさせていた。
そういえば、時間の正体は物理学者の間でも未だ解明されていないテーマだった。
そんな事言ったら、この状態はなんなんだという話になってしまうか。
天井の僕が泣きそうな時や、怒る時、迷う時は必ず俺がこけないように踏ん張っていた。
俺の身体は村の中心に生えていた一本のアーモンドの木になっていた。
これは俺の家の庭にもあった。それがイメージ化しただけなのかもしれないが、踏ん張っていた。
いや、動けないからそもそも踏ん張るとは違うのか。
僕が健忘すればするほど、俺の花や葉は散り、枝は削ぎ落とされていった。ようやく健忘が治まった頃には、ついには一本の杖のようになっていて、喜怒哀楽の全てが俺には薄くなっていた。
その代わりに、今度は僕がそれを支えていた。
そんなある日のこと、映像がブツリと消える日々が続き出した。
度々見舞われていた健忘は、俺も意識を失くすのだが、今回は割と多いなと思った矢先、冷たい何かが俺の身体をペタペタと触っている事に気づいた。
杖の身体の表層ではなく、人であった時の心臓とか血管とか、筋とか骨とか。それをなぞっているような不思議な感触だった。
それがますます続いていき、それと比例してか、少しずつ少しずつ空間が縮んでいたことに後で気付いた。
死が迫っているのだろうか。
未那未と綾香を忘れた僕など、やはり死ぬのかもしれない。
何せ聖女と魔女の幼馴染を忘れてしまうんだぜ? そりゃ物語なんて早めに終わるだろ。
そして霧雨は濃く濁っていき、ついには暗闇の雲に変わった。
天には雷が走り、大気は風が吹き荒んでいて、身体を揺らすような音が鳴り響いていた。
ああ、ようやく終わりがやって来たのだ。
そう思っていたら急速に俺の意識が遠のき、僕と一つに重なろうとしていた。
溺れそうなほどの高波と、焼き尽くされそうな山火事が、何故か同時に迫っていて、俺と違って足があるのに、僕は逃げないで突っ立ってやがる。
馬鹿なのか。
俺の方はというと、久方ぶりの荒ぶる感情の波に飲み込まれていて、意識をボコ殴りにされていた。
緊張、疑念、不安、疑心とか人の持ついろいろと。
そして恥ずかしいくらい大きい、芽生えた恋と愛が。
ここ最近、僕に何があったのかは知らないが、そういや、人間ってこうだったよな、なんて思いながら俺はボコられていた。
それはあたかも人間に戻る通過儀礼に思えてきて、痛いなんて感覚も、哀しいなんて感情も、嬉しいだなんて心情も、もう少しだけ剥き出しだったなと気恥ずかしさを持って言い訳している俺がいた。
同時にまだいける、もう遅いと、往生際を前に右往左往する僕もいて、俺もまた人間なんだなと、思った。
花や華や枝などの樹冠──木にとってのプライドみたいなものなど無くなった杖たる俺が、何を言っているのか。
手のひらが無いと、何にも掴めやしねえ。
来世がもしあるのだとすれば、そういう感情に蓋をしないで生きてみようか、なんて思ったりもして自嘲していた。
ただ最後まで怒りと楽しさだけはやって来なかったが、それは50%の生きている僕と50%の死んでいる俺が同時に存在しているからではと、無理矢理そう解釈してみたりして笑ってみた。
『はは』
ああ、なんだ。俺、笑えるじゃねーか。
『ははは』
身体木だけど。
『はははは…』
つーか杖だけど。
『これが俺つぇーか…』
いや、つぇーかじゃねーよ。
全然笑えねーよ。
寧ろ貧相過ぎて恥ずかしいくらいだぞ…もっとこう…いや、品評はいい、そんな杖に詳しくない。そうじゃない。
これなんなんだよ。
『ゆっくり変わっていったからか…? 全然疑問にも思わなかったぞ…こえーよ』
…なんかそんなのやってたな。
アハ体験だっけか。
『……あはっ!』
いやあはっじゃねーよ。全然アハ体験なんてならねぇよ。笑えねーよ。いや笑うんじゃねーのか。知ってるよ。なるほどわかった、だろ? アーハンだろ? アーハンじゃねーよ。気づきたくなかったんだよ。なんでこんなかわかってねーんだよ。ぶん殴るぞ。誰をだよ。何をだよ。あんのクソ魔女をだよ。どーやってだよ。わかんねーよ。せめて手をくれよ。手をよぉ。つーかどーすんだこれ…
すると、おそらく光があった。
『…あん? なん、や、眩しいッ!?』
強い強い光の中、ここ最近の僕の出来事が俺に流入してくる。
綾香と虹歌とか嘘だろ…?
いや、違う。未那未だ。未那未はどこ行った?
黒い服…あ、居た。と思ったら逃げやがった!
待てコラッ! この身体なんとかしやがれッ! 嫁にしたんだろうが!
だが、いくら叫んでも僕は動かない。
くそがッ!
返せ僕ッ! 俺の身体をよぉッ!
すると光は収まり、何かしらの雫が落ちてきて、それを慌てて掴もうとした。
ようやく目覚めてみれば、こんにちは赤ちゃんだった。
そんでダブルだった。
そして虜囚世界は割れた。
つーか目覚めて5秒で即娶りってお前じゃねーのかよッ!
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