第59 -潤一21

 まるで無限のように描いてるそのぽっこりとした二人のお腹を、俺は唖然とした表情で眺めていた。


 綾香と虹歌は良かった良かったと喜んでくれているみたいだが、どうすればいいのか。


 俺は一度死んだ身だ。


 天井にあるあの穴だけが、あの日の首飾りのカケラだけが、それを知っている。


 いや、二度目もなのか…?


 あんなに離れて自殺したのにか…?


 くそっ! こんなの想定してなかったぞ! お前はこうなることを望んでいたのか…!?



「…パパ……ッ、潤くん…? あ…」



 昔と変わらない雰囲気に戻っていた綾香のお腹を、おっかなびっくりで右手で触れる。



「ジュンくんこっちもお願ーい」



 綾香とあいつの娘である虹歌のお腹も、左手で触れる。


 物凄く複雑な感情が、次々と生まれてきてどうにかなりそうなんだが…って当たり前だろ!


 何年ぶりだと思ってやがるッ!


 目覚めたらダブル妊娠とかおかしいだろッ!!


 すると掌に振動を感じた。


 命の芽生えだ。



「ッ……」



 どちらのお腹も、俺の絆が元気よく蠢いていた。


 そしてパリンと何か小さな音が鳴った。


 ザガピスのカケラを、そのキックかパンチが割ったかのようだった。


 これはつまり契約の証明で、絆の締結だ。


 おそらくこれでもう健忘など出来ないのだろう。



「は、はは…蹴った蹴った」


「「パパ…?」」



 やはり俺の人生は、気づいた時にはどうしようもなく取り返しがつかないようだった。


 さっきまでの俺は、これがまさか二人の戦略で、誘導された結果だとは微塵も思っていなかった。


 二匹の蛇が、俺の縋ってきた天秤にすでに絡みついていて、もう決してどちらにも傾かないとも知らずに責任を決意して土下座をしていた。


 いや、あるいは俺のそれが鍵言葉キーワードで、二人は秤の鎖を千切ることになったのかも知れない。


 だから俺は昔と同じように、あいつの言うように、つまりただの器──まっすぐに突っ立った棒のようになってしまったのだろう。


 彼女達は翼を広げているかのように手をあたふたさせていて、まるであいつ──魔女ミNミの言っていたケリュケイオンの杖のようだった。


 くそっ…涙なんて枯れたはずだろ…!



「はは、蹴った…蹴ったぞ…ははは…はは…」


「泣くくらい嬉しいんだ? いししし」


「その笑い方はやめなさい…ふふ。こっちに来て、潤くん」



 そう言った綾香は、横に座りその豊満にそっと抱き寄せてくる。


 そりゃあ、涙も出るさ。


 どうしたらいいんだよ、こんなこと。


 ようやく捨てたのに、いつの間にか拾っていたなんて。



「…あ…」



 綾香の腕の隙間から手のひらを見てみると、二度目のあの時、死に損ねて掴み損ねた、情け無い男の手があった。


 随分と老けた手だった。


 浦島太郎ってのは、案外間違えていなかったようだ。あるいは、形而学的に、ここが未だ海の底で、死の世界なのかも知れないが。


 徐に、綾香の腕をそっとどかし、真正面に彼女の顔を見た。随分と久しぶりだ。



「ど、どうしたの、潤くん??」



 人の気も知らないで、綺麗になりやがって…でも瞳は、昔とおんなじだな…。


 だが、気持ちが複雑過ぎる。



「いきなりでやっぱりびっくりしたの…? 相談しなくてごめんなさい…!」


「……はは、違う、違うよ…」



 それは俺のセリフだ。俺が忠告を守らなかったせいで…お前は…。


 それにお前の傲慢が萎み、こんな異常な事態を受け入れている…天敵たる魔女の仕業に気づいてない。



「な、何…キュンとするのだけど…あ、ち、違うの。いつもしてないわけじゃなくて…ぁ、ンッ、あ…し、絞める?」


「撫でてるだけだよ」


「いっぱい絞めて」


「絞めない絞めない」



 首輪を少しズラすと、首にアザがあった。俺が幸せを求めて自殺したからか…? お前が不幸を求めて自殺したからか…? 相殺したせいでこんな未來になったのか…?


 

「も〜ママ長い!」



 今度は虹歌に、俺の頭をガッと粗くその豊満に奪われた。


 そういえば、なぜこの子は家に入れたんだ…? 魔女謹製の結界だぞ…? もしかして母さんが…? いや、母さんは捨てたままのはず…いや、今はいい。



「今更手放さないよね?」


「ああ、幸せにする」


「嬉しい…でもママと同時に触るのやめて」


「いいだ…駄目かい?」


「い、いいけどぉ…なんか急にパパって感じで困る…」


「ッ、はは、事実じゃないか」


「そーだけどぉ…ンンッ、なんか照れるし…」



 虹歌のアザは、触っても何ともない…いや、散々絞めてきたからそれはわかるが…このチョーカーのおかげか…?


 記憶が戻ったとはいえ、強姦し自殺したあの日と同じで何かおかしかった。


 感情と記憶が曖昧だった。


 あいつに聞けば何かわかるか…。


 ウロウロしていたのはおそらくあいつだろうし、もしかしたら他の魔女が絡んでるのかもしれない。


 くそっ! あの性悪女がッ!


 俺の記憶を弄りやがってッ!


 くれてやったとはいえ、俺の人生をなんだと思ってやがるッ!!


 つーか何で生きてんだよッ!


 こんな馬鹿な話があってたまるかよ…!


 あのアマ…そういえばてんで性悪キューピットですって意味わからん事を言ってたな…まさかこれのことじゃないだろうな…。


 それとマニアックってのはこういうことだったのかよッ!



「「パパ…?」」


「んぐッ…な、なんでもない、よ…はは、今からの責任感に、緊張…し、ちゃってさ…」



 それ以外出てこねーよ…。


 あーくそ! 話し方が難しい! 思い出すんじゃなかった! つーかお前も思い出すなよ潤一! 現世の幸せに浸ってろや! 何を疑念なんか持ってやがる! 探求心は罠なんだよ! 馬鹿か! てか俺か! それ俺か! 馬鹿は俺だボケェェッッ!!


 つーかオカルトに巻き込むなっつったろぉがぁぁッッ!!


 あー…無駄な穴にでもこの慟哭をぶち込みたい…。


 つまりなんだ、おそらく現世と死後か。


 幸せと不幸の天秤は変わらずってことか…くそっ、ある意味当たってるじゃねーか…。


 何でこんな事に…いったいどうやって…もしかして俺の不幸の最大概念を…まったく意味のない平均概念にでも変えやがったのか…? 


 いや、もしかして綾香の方をか…?


 あのクソアマァァ…俺を盾に何かしたな…!


 いや…いや、今はいい。今はそれよりもまずはやらなければなけないことがある。


 綾香と虹歌に疑念を抱かせてはいけない。


 それだけはおそらく確かだ。



「二人とも、ありがとう。死ぬまで大事にするから──」



 だから俺は、生まれくる未來の為に、全てを飲み込むことにした。

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