第58 -潤一20
外はパラパラとしたにわか雨が降り出していた。にも関わらず、僕はぼんやりと公園のベンチに座っていた。
身体が、大人になっていて、これは夢の中だろうなと、ボーっとしていた。
何かしてたような気もするけど、何してたんだっけ。
そんなことをただぼんやりと思って前を見つめていた。
そこに傘もささないでゆっくりと近づいてくる黒尽くめの人がいた。
腰まである長いまっすぐな黒髪に、前髪だけを切り揃えた、色白の綺麗なお姉さんだった。
パラパラとした小さな雨粒が、黒髪に小さな小さな玉を作ってはするりと流れていて、どこか神秘的で、それに見惚れてしまっていた。
でも、どこか悲しい表情の中にある、うっすらとした微笑みに見覚えがあった。
そしてその人は、漆間だと名乗った。
『漆間さんの…もしかしてお母さ…お姉さん?』
僕のその言葉にお姉さんはニコリと笑った。
少し寒気がして、咄嗟に変えたけど合ってたみたいだ。
『戻ってしまったんですね』
『戻っ…その格好は何ですか…?』
お姉さんはいつの間にか長いコートの前を開けていて、そこには言うのも照れるような、恥ずかしい格好があった。
女王様ってやつ…?
『これは都合の良いコスプレですよ。露出狂じゃないですからね』
よくわからないけど、コスプレらしい。
なんかエッチなのに、お姉さんは全然恥ずかしがらない。だからか、その分僕が恥ずかしくなり、目線を逸らした。
すると両手に青と赤の色違いの短い定規を持っているのがわかった。
それをユラユラと揺らしていた。
どこか見覚えがある。
『落とし物…?』
『はい。この定規はですね、ふふ。こうするとですね』
お姉さんは、その両方のアクリルの定規を水平にゆっくりと振るった。
バッテンするみたいに。
なんだろう。
『やっぱりまだありましたね、ニアちゃん…綾香のマーキング』
『綾香ちゃんがどうし──?! ぁぐぅッ!? の、喉がぁぁッ──!?』
その言葉のせいかわからないけれど、首が燃えるように熱くなり、息ができないほど苦しくなった。
足元の湿った地面も気にせず、僕は喉を押さえて跪いた。
『少しの間我慢してください。ふむ。言葉にすれば、取得、計算、更新でしょうか…自殺のセーフティとでも言う気なのでしょうけど、後々不倫する下準備に思えて仕方ありません』
『ぐっ、がぁっ、はぁ――ッ、ひゅーッ、はぁ――ッ、溺れ、く、ぐっ、はぁ――ッ、ひゅーッ、はぁ――ッ、苦っ、しッッ!?』
『ここまで値を下げてさえまだ囲うだなんて…なんて傲慢❤︎』
『はぁ――ッ、ひゅーッ、溺れっ、陸、溺れっ、はぁ──ッ、ひゅ――ッ、たす、助け、ッてッ、ぐッぅ、がひゅッ』
夢の中なのに、苦しくて苦しくて、お姉さんが何を言ってるかわからない。
『ンッ❤︎ ふふ。そこ、あんまり鼻でグリグリしないでください』
苦しくて苦しくて僕はお姉さんの両太ももを抱きしめて、股間に縋りついていた。
『はぁ――ッ、ひゅーッ、はぁ──ッ、ひゅ――ッ、ぐぅ、お、お姉、ざんッ――っ、ぁ゛、たす、だずけ──』
『ふふ。実は私、本当は貴方の許嫁だったんですよ。貴方の実質の幼馴染であり、実質の許嫁であり、それが貴方にとっての本当なんです。ですから全て『いいえ』です』
お姉さんはそう言って、もう一度定規を振るった。
そして、急に圧迫感がなくなった。
『ッ、? はぁ――……っ、ひゅー……っ、はぁ――……っ、ひゅー…っ、ら、楽に…なった…?』
そのままべちゃりと座り込み、不思議に思って首をペタペタ触っていると、お姉さんは語り出した。
『美英さんはですね、禁断の愛に耐えきれなかったのですよ。だから私を排し、災害を排し…大人しく見えたそれに安堵し、温く生きたいと願ったのです』
涙で視界がボヤけて、服で拭った。すると目の前には丸見えの丸いおへそがあって、その穴が、まるでおしゃべりしてるみたいに見えて、目が離せない。
『お、お母さんの話…? お母さんを知ってるの?』
『はい。でもただの愚痴ですし、恨んでなんかいませんよ』
『…恨む…? 意味わかんないよ…!』
おへそから頑張って目を逸らしてお姉さんを見上げてみると、おっぱいの隙間からにこりとした目が見えた。
でも、真っ黒の瞳の奥が笑ってないようにも見えた。
『劇場型…まるで茶番みたいな選挙でも見せつけられているかのようで、狂ってしまいそうでした』
お姉さんはいつの間にか定規をしまっていて、何かに持ち替えていた。
消しゴムだった。
『消しゴム…?』
『消失系はあまりよくないんですけどね。どこからどこまでかが難しいですし。でも災害ならば仕方ありません。それに記憶領野に今が一番介入できるチャンスなんです。ああ、馬鹿な女。きっと胎に宿したんでしょう。托卵の子を。ふふ。だから待ってあげてって言ってあげたのに。仕方ないですね。ふふふふふ』
上を見上げながら語るお姉さんは、次第に早口になっていて、言ってる意味がよくわからないし、何か怖い。普通に怖い。
『あ、あ、ぼ、僕、帰らないと…びちゃんこになっちゃったし…!』
そう言う僕にぐりんと顔を向けたお姉さんの顔は、雨が止み、光が差し、それが影を作ってしまっていて、あまりよく見えない。
けど、じぃっと僕を見つめているのはわかる。怖いよ…!
『…私もですよ、ジュンくん』
この人嘘つきだ! だってお姉さんの服は撥水してるのか、玉のような水滴がついてるだけなんだ。
全然びちゃびちゃしてないじゃないか!
『ふふ。そんな災害…
『う、動けない…!?』
『私のこと、一応は友人として見てくれてましたよね』
『ゆ、友人って友達? あ、ち、近寄らないで!』
『私の属性は、他への擬態を先ずします。不健全さは秘めてこそ、ですしね。それが姿を晒す意味なんて、一つしかないんですよ。もっとも、これからの世はわかりませんが。ふふ』
『うわっ!?』
僕はぬかるみに手を滑らして、そのまま後ろに倒れ込んだ。お姉さんはその短いスカートを気にもせずに、僕を堂々と跨いでくる。
『え…? ひあっ!?』
この人…変態だッ!? さっきから探すのに防犯ブザーがどこにもない! スマホも無い! 何でなのか無い無い無い! 大人なんだろ! 何で無いんだよ!
『ふふ、擬態したせいでこんな格好堂々としちゃうんです。自己愛って歪ですよね』
『こ、怖い、怖いよッ! 誰か! 誰かッ!!』
『ふむ。あのジュンくんが、この怯えよう…これがニアちゃんが描いた未来の一端ですか…何がペットになりたいですか。その名のとおりに支配でしょう』
そう言って彼女は消しゴムを持った手で空間を撫でた。
身体が動かない!? さっきのはこれ?!
『でも今はまず、排他的とも言えるその制御、そのプロセス、その隠蔽、つまりはその傲慢な悲観的ロックを、killしてしまいましょう』
そう言って、この痴女は僕のお腹にどしんと座った。
『うぐっ!? な、何するんだよっ!! 何が目的なのさっ!! そ、そうだ! 漆間さ、ミナミちゃんに言うからねッ!!』
僕の精一杯の訴えに、彼女は何故か少し照れてこう言った。
『はい、ご存分にどうぞ』
『…え? ミナミ…ちゃん…?』
『いいえ。だから初めましてこんにちは。
その言葉とともに、彼女はその消しゴムを僕の首に置いた。
『──上書きして差し上げます』
そして僕は気を失った。
こうして俺は、魔女にも呪われたのだ。
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