第57 -潤一19
小さな頃だった。
俺の首にはアザがあった。
俺の目にしか映らない痕だった。
あの日、綾香に首を絞められた時につけられた絆だとは、この時の俺は忘れていたが、これこそが全ての始まりだった。
◆
その当時薄っすらと覚えていたのは、何故か母が漆間を呼びつけ罵っていたことだけだった。
その日からから数日経ったある日の放課後、その漆間に呼び出され説明されても当時の俺にはよくわからなかった。
だが、彼女が泣きながら謝ってきたセリフはだけは覚えていた。
『おそらくあなた達は離れ離れになってしまう。ごめんなさい…本当にごめんなさい』
アザが消えて無くなっていくにつれて、綾香は俺への執着を失っていくのだと泣く。
それはまるで天秤が傾くように、俺への愛が萎むようにして、別人の様な綾香になるのだと泣く。
そしてそれは俺も同じなのだと、なぜか漆間は泣きながらも薄っすらと笑っていた。
そんな彼女を不気味に思うも、特に何も思わなかった。
それまでの二人にとっては、異常とも言えるくらい普通の二人になっていたのにも関わらず何も思わなかった。
そうして、よくありふれた男女の幼馴染の関係になり、母が大いに喜んでいたことを不思議には思うが、それくらいだった。
◆
首のアザが完全に消えた時、つまり丁度中学に上がった時だった。
俺の中に眠っていた得体の知れない何かが暴れ出した。それを向ける先もわからず、ただイライラとしていて、反抗期かと自制しようとしても、無駄なくらい猛っていた。
次第に荒れて、それを何とか発散しようとした時は、必ずお節介の漆間がまとわり付いてきた。
形而上学的、あるいは哲学か。
神、精神、自由、そんな概念や、精神や物質、もしくは数や神のような抽象的な事柄、人間の定義、そしてその果ての愛についてなど。
厨二病心をくすぐるような単語をいくつも繰り出し諭してくるその行為は、俺を恥ずかしくさせてきた。
そして決まって最後は綾香と引き離そうとしてきた。
『だから宮田君。ニアちゃんに近づくのはやめて欲しいんです』
『なんでお前に言われなきゃならないんだよ』
今ならわかるが、ニア──漆間の言う形而上的な「グループ」として名付けられたそれは、漆間にとっての精一杯の誠意だった。
今ならわかるが、俺──形而下、つまりは物としての「器」なのだと言っていたが、その時はわからなかったし、人をモノ扱いするなと憤ったのは覚えている。
年を経ていくと、そのオカルトを胡散臭く感じてきて、これは厨二病だなと断じ、漆間の忠告を無視して綾香と付き合った。
『──ニアちゃんが幸せを高めると、あなたが不幸に傾くんです』
『──そんなことあるわけないだろ』
そんなことは、絶対にあり得ないと思って俺と綾香は落陽に進学した。
そして心が満たされ幸せを感じた時に、その代償を支払わされたのだ。
◆
それはある一人の男との出会いだった。
それが町村、町村敦志だった。
そいつの容姿は、俺に少し似ていた。
それはそうだ。
父の妹の息子でもあったのだ。
尤も、それは漆間によって後日明かされた話だったが、最初はまったくの無警戒で、寧ろ好印象すら持っていた。
だが、奴は完璧と呼べるほどタチの悪い悪魔だった。
◆
母を守るためとはいえ、綾香に会えないのは苦痛だった。だが綾香を守るためにも俺は口を閉ざしていた。
あの男は、悪徒だった。
あらゆる手段を用いて俺を排除してきた。
漆間はよく俺の怪我を心配して薬をくれていた。そしてまたよくわからない事を告げてくる。
あの男を引き寄せたのは、俺に宿る祝福のせいなのだと。
傷つき蘇れば甦るほど、綾香の運命値が下がるのだと。
痛んで癒れば治るほど、俺から彼女は遠ざかると。
もちろん俺には到底信じることは出来なかった。
『…オカルトはやめろ』
『……そう…ですね』
だがそれは訪れた。
時計台の下で町村と綾香を見た時だった。
『…あ、ああぁぁ……』
『あん? おいこいつ壊れてないか?』
『ししし、そりゃショックだろ。ほっとけよ、金田』
あいつの心が、心から離れた時、あの日の俺の記憶が蘇ったのだ。
『神様お願い! お願いします! わたしはどうなってもいいからっ! 潤くんを助けてぇ!』
そこに光があった。
眩い光の中で、俺は蘇生したのだ。
幼い俺はその弾けた首飾りのカケラの中、半円状の球体の中にいて、まるで監視カメラみたいに上からずっとそれを覗いていた。
それは俺の命を願った綾香の愛で、俺は死ななかったのだと思い出した。
それがあいつの刻んだ想いで、自身へ刻みつけた罰だった。
それを思い出した。
俺を生かしたのも殺したのも綾香なのだと笑えてくる。
力を使うことで、俺の不幸と綾香の幸せが釣り合ってしまう事実に、ようやく納得した。
いつまでも抱きしめていたかったが、それはもう叶いはしないと俺は諦めた。
◆
それからは死んだように生きていた。
止めた時間が動いたその事実を、まるで体現するかのようにして、君だけが望む幸せの全てを叶えるために不幸に生きていた。
漆間も母も何かを言ってくるが、耳を伏せ口を閉ざしていた。
よくわからない話は、これ以上はうんざりだった。
それに綾香を取り戻そうなんて、微塵も思ってはなかった。そんなことをすれば、おそらくまた何かが起こる。
今度は自分を呪うかもしれない。
そんなことはさせやしない。
側から見れば、たかだか振られたくらいで部屋に閉じこもる馬鹿な男にしか見えないが、綾香が幸せならそれで良かった。
あいつの幸せは、俺の側にいることでは無いと、天井の穴を見る度に言い聞かせていた。
だが、無遠慮に訴えてくる幼い自分に、苛立ちが募っていった。
逢えと。救えと。戦えと。飼い主は僕なんだと。泣きじゃくる阿保に腹が立ってきた。
そして次第に不調が訪れた。
つまり綾香に幸せが訪れたのだ。
身体に力が入らない。心にも感動と呼べる起伏がない。彼女が幸せであればあるほど、今度は俺から祝福が離れていく。
おそらくこのまま止めた時間を元に戻して死んでいくのだろう。
いや、生きているのかも怪しく感じていた。
だからあの日、同窓会に出かけたのだ。
『久しぶりだな、宮田』
『…町村…』
あいつは、綾香の力に守られているのか、それともその由縁のせいか、才覚か。俺にした行為などバレず、そして過去を忘れているかのようにして、気安い態度で接してきた。
俺自身は綾香のためにと、やって来ていた。俺がこれ以上の不幸を重ねるためには、町村と綾香を見るのが一番だった。
いや、そんなものは言い訳だ。
俺はこの人生にもう疲れていたのだ。
『そうだ宮田。お前に幸福ってのがどんなものか見せてやるよ──』
それがおそらく1番最初のキッカケだろう。
僕は気付けば公園にいた。
時計台の下のベンチに座っていた。
そこで一人の魔女に出会ったのだ。
長い執念の果てに、成長した漆間未那未に。
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