第60 -潤一22

 人は神に生贄を差し出す。


 運命を左右するかのような、人の世に混乱を引き起こす天災──災害が起きれば生贄を探し出して捧げるなんて、どこにでもある、なんてありふれた話だろうか。


 だが、それは稀に人の中にも現れる。


 放っておけば、傾国くらいは引き起こすような女──災害が、時代時代で現れるのだとか。


 それを、昔々ある国のある地方では「聖女」と呼び、災害宜しく、適当な男を見繕い、生贄として捧げ、なだめ、鎮めてきたのだとか。


 それがそこに住まう魔女の間に古くから伝えられてきた原理原則だった。


 多くの属性はあるものの、愛を信奉する魔女にとって、「聖女」は共通の敵だった。


 兆候があれば、何よりも優先して真っ先に生贄を当てがうことが規定事項であり、そこに倫理や道徳などは存在しないのだと言う。


 それは自身の掲げる愛を、愛しい人のために編み込んだ理術を、設えた理性を、研鑽した理論を、その運命値の高さで容易く飛び越え、捻じ曲げ、破壊し、奪い、焦土に変える超自然的存在性ゆえだった。


 しかし、聖女はなかなか見つけられなかった。


 でも、それは割と単純な話で、聖女は自ら生贄を探し出す能力に秀でているのだとか。


 そしてそれはこの国においても同じだった。


 その勇気や気高い特質で称賛されているような超人的な女性──映画・漫画・アニメなどに登場するような、つまりは半神ヒロインだった。


 それは恐るべき運命値の持ち主で、狙った獲物は逃さないのだとか。


 この国で生まれ育った、愛の使徒たる多くの魔女はこう言うそうだ。


「ヒロインが絶対に負けないなんて許せない」と。


 それが生贄たる俺と、聖女ヒロインたる綾香と、魔女サブヒロインたる未那未の物語だったのだと言う。





 あの日健忘して魔女に攫われた俺は、気づけば昔の自分の部屋にいたようだ。


 意識自体はあるものの、何も見えないし発せないし動けない。まるで自分がモノにでもなったかのようだった。





 漆間未那未、幼友達であった彼女のそんな妄想話が、近いのに遠くにぼんやりと聞こえてきていた。


 空想を口にしながらも、動けないことをいいことに、俺の身体を好き勝手に弄っていた。


 あの未那未がか? あり得ない。



『背中はですね、火傷の跡を残していたのはですね、私がマーキングしていてですね。タバコ痕を焼印、つまりはブランドの語源なんですけど、所有権と言いますか』



 未那未は、まるで亀の背に載る浦島太郎のように俺の背に跨っていて、楽しそうに思い出を語っていた。



『懐かしいですね、ここで塗り薬を塗るフリをしながらですね、いえ、塗ったのはきちんと塗ったのですが、私が書き換えていてですね』



 確かに背中に何かナメクジみたいにヌルヌルっとした感触が這い寄っていた。



『誰がここに、ちゅ❤︎、しても、私にわかるようにと…ああ、やっぱりまだ大丈夫でしたね』



 寒気を感じるような、熱い吐息を感じるような、冷静と情熱の間のような、不気味と不思議な感覚が背中を支配していた。


 意識と感覚が、海流に遊ばれているかのようにして上下左右に大きく振られていた。おそらく俺はベッドの上をゴロゴロと転がされているのだろう。



『killした後は、不安定ですからね。このままなら生命力を失ってしまいますからね、魂を現世へ定着させないと──うわ、でっか。こほん。失礼しました。巨大です❤︎』



 ついには全て脱がされたようだ。


 だが、目だけはマスクをされているのか、何も見えないし動けない。そうやって視界や力を塞がれているにもかかわらず、脳内には猛り狂う衝動があって、それだけは確かだった。



『これはですね、今広く伝わる物語の方ではなく、1000年以上も前の生贄、浦島太郎と亀姫つまり半神ヒロインですね。そのお話通り不老不死に繋がる概念をなぞることで魂を定着させ、なおかつ傲慢ドミナスに抵抗したいなと思いまして──』



 わからない話だからか、マウントされているからか、首のアザが消えたあの時のようで、イライラが際限なく溜まる一方で、身体はちっとも言うことを聞かなかった。



『一度ヒロインに見染められた生贄はですね、初恋というカースに汚染されるのですよ。それこそ魂までも。酷いと思いませんか? ここまで女性に迫られても、ヘタレ扱いの誹りをうける。貴方のせいじゃないんです。それに対抗するには、やはり神話体系が良いなと編み設えました』



 それを嘲笑っているのか、ウキウキとした感情が、身体を揺する振動に乗っていて、全身に先ほどより水性を増した液体を塗りたくられていた。



『──つまりこうやって、ンッ、海の中や性愛の秘術を真似っこしてですね、せ、生命力を押し上げ、固定するんですが、もっとも、綾香ほど大きくはないので、そこは申し訳ありませんが…大丈夫そう、ですね…なんて雄々しい益荒男なんでしょうか。カースのせいで縮こまっていたのでしょうが…ふふ、流石ジュンくん❤︎ で、では、今から口上を…えっとですね、二人の理──』



 こいつが何言ってるかは、どうでも良くて、破壊したい欲求が海の底から湧き上がる泡のように次から次へと生まれていた。



『──ああ、お願いですから、貴方は私を疑うことなく、二人で相語らうことに乗ってくださいませ。そして、そして──』



 天井知らずに無限に増え続けるこの願望は、こいつが何かしたのだろうか。


 そんな疑問も次々に消えて先鋭化してくる。


 急速に空間が萎んでいくような圧迫感に包まれる。


 そして未那未は言った。



『──天地日月の果てまで、愛でてくださいませ』



 その言葉とともに暗闇は晴れ、天には確かに小さな丸が二つ並んで光っていた。


 一つじゃない。


 ならば太陽と月だろうか。


 そんな有り得なさこそが、あり得るのだと思ってしまった。


 それに見惚れ、心滾ってしまった。



『目覚めて五秒で即娶り。これが私の嫁取りです❤︎ 』



 そして身体の自由は解き放たれた。


 俺はその丸を突き壊すような衝動に支配されていた。


 それから三日三晩、俺は止まらなかった。

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