第51 -潤一17

 そして僕は目が覚めた。


 正確には意識が浮上したかのようで、瞼はまだ開けてはいなかった。


 それもそのはずで、上下左右もわからないこの感覚は、海の中と思わなくはない、微睡んだ意識だった。


 ゆっくりと、ゆっくりと浮上していく。


 小さな小さな穴に向かって落ちていく。


 仕事の疲れは少しも抜けておらず、まるで昔夢中だったRPGの宿屋に泊まったみたいに、短い睡眠だったのだと体感ではわかる。


 そして、目を開ければ暗い。


 深夜なのか、朝方なのか、あるいはまだ暗い海の底なのか。


 そして徐々に光源を知覚する。


 気づいた暖色の光は浅く、薄暗い中、天井は海の中から見上げた海面かのように、もう一つの世界を歪めて映していて、そこに何やら白いものがモゾモゾと蠢いていた。


 どうやら僕は仰向けになっているらしい。


 そして下半身だけが、マグマのような熱さに包まれているかのようだった。



「あん、まだお掃除中なのにぃ…返っちゃった」



 …帰った…?


 いや、僕の寝室の天井には鏡なんてないし、複数のダウンライトと、いつも埋めようとして、つい忘れてしまう小さな穴くらいしか…


 そう思いながらその声の方を見てみれば、霰もない姿の義理の娘がいて、霰もない僕の下半身をパフパフし出していた。



「……」



 なんだ…夢か…。


 女性を知り、快楽の果てに最果てがあることを知ってしまった僕は、暗い海の底で、こんな夢まで見るようになってしまったのか…


 たしかに綾香さんのパフパフは、圧倒的に強烈で、パフパフ以外に適した言葉が見当たらないくらいだった。


 僕は本当にどうなってしまったんだ。


 若いうちに遊べと言っていた上司の言葉通り、風俗にでも行けば良かったのか。


 職業的蔑視はしているつもりはないが、お金を払う行為に抵抗を感じてしまう。


 それが社会に必要で、ある意味救済だったり、治安維持の側面だってあるのはわかってるけれど。


 しかし、こんな歳になって童貞を捨てるとこんなにまで情けなくなるのか。


 ましてや義理の娘のこんな姿を夢にまで見て、そんな自分の責任感と節操の無さに辟易とす──



「えへへ…マシュマロみたいできもちぃっしょ?」



 ──いや、これは夢じゃない…?!



「え、あ──」


「ママには内緒だよん」



 彼女は目を細めて、しししと笑い、意地の悪そうな顔をしてそんなことをいった。


 左右を上下にタパンタパンとリズム良く歌うようにそれを揺する様は、まるで別の生き物が海中で踊ってるかのように思えた。


 いや、今彼女は内緒と言ったか…?


 内緒なんて許されるわけがない。


 でも、その笑いは…いや、違う…その瞳こそどこかで…駄目だ、脳が痺れて考えられない…!


 それでも無理矢理声を上げた。



「や、やめてくれ、内緒なんて、ぁぐッッ?!──」


「ししし。きもちくなってて悪いんだぁ…新婚なのにママ悲しむだろうなぁ。泣いちゃうだろうなぁ。パパのこと──無責任って思うだろうなぁ❤︎」



 その瞬間、僕はまたあの熱波に飲まれた。



「──誰が…無責任だって…?」


「んふ、ふふっ、それさっきも聞いたしぃ、もーNPCみたいじゃ〜ん…ってあれ?」


「…あ?」


「ふふっ、ネトパコだから全然よゆーで合ってる❤︎ おぼぉぉッッ!?」


「うっせーな…ってかなんだこの絆創膏は…」


「ン、ン、ぷは、しょ、しょこはいま閉店中なの❤︎」


「あ?」


「あ…えへへ…無責任に剥がされちゃう…❤︎」


「当たり前だろ。つーかかぶれたらどうすんだ」


「痛っ、もぉ、そういうとこだし❤︎ ししし」


「…変な笑い方すんな」


「ふぁ、ふぁい❤︎」





 そして僕は、そんな奇妙な夢を見る日々を送ることになった。


 夢の中で彼女とは様々な場所に出かけた。


 高校の時の制服の時もあった。


 指輪も送り、形だけだけど、結婚もした。


 ゲームには結婚システムなるものがあって、それに登録した。


 非現実で、ましてやゲームなんだからと、本当は嬉しいくせに、好きにしろと、そんなことを言っていた。


 夢の中の俺という僕は、本音を強がりで隠し、本気を決して溢しそうにない、ぶっきらぼうな男だった。


 甲斐甲斐しい彼女に夢中なくせに、邪険にし、その態度が随分と幼く見えた。


 側から見れば、その虚勢はそのままにハリボテで、彼女が支えなければ歩けないような小さな男だった。


 もしかするとそれは、中学や高校の時の自分の姿なのかもしれないと、堪らなく恥ずかしくて、逃げ出したくなるくらい情け無くて、恐怖すらあった。


 だからこそ、僕の意識もなかなか戻らないのかと、何となく腑に落ちた。


 こんな男のどこがいいのかなんて、嬉しそうな態度に腹を立てたり、エッチの時などは、胸を抉られるかのような痛みすらあった。


 でもそれは夢の中であっても、親になった痛みだと思いたかった。



 それに、そんな時はなかなか憂鬱で、その度に綾香さんに抱きしめられていて、悪いとは思うけれど、彼女への罪悪感が現実に引き戻してくれていた。


 でもそんな日の夜は特に激しく、もしかすると女性は夢にまで勘が鋭いのかと、空恐ろしい思いをした。


 いや、それは夜以外もあった。



『おはようございます、潤くん…こんな朝早くに…その格好、煽ってますか?』


『おはよう……って、え? いや何が…うわっ!? なんでこんな格好…綾香さんが着せ…着せれるわけないか…ははは…はぁ…』



 寝ぼけて制服で起きた時なんかは、それも手伝って本気で死にたくなった。


 夢と現実が、まるで表裏のように正反対の性格の自分に、これでいいのかと思わなくはないけれど。


 夢を見てしまうのを、何とかせねばならない。



『着せてはないのですけど…虹歌の挑戦状ですよね』


『?? 意味が…』


『せっかくなので、常識があぶないままでお願いします』


『常識が…あぶない? 確かにこの歳でこんな格好なんて…ンムッッ!? ッ、ちょ、ちょっと綾香さん朝朝! ストップストップ! ちこっ、ちこ───』



 その日はギリギリセーフだったし、大変よろしかったけれど、肝が冷えた。


 今度、上司の誘いは断らずに行ってみようか…。


 そんな毎日を僕は送っていた。

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