第50 -潤一16
仕事終わりに、安曇さんと飲むことになった。
綾香さんに連絡すると、少し寂しそうな声で「いってらっしゃい」と言ってくれたのだけど、ものすごい罪悪感に襲われた。
世の既婚男性はよく飲みにいけるなと、既婚初心者の僕は、今夜眠れない覚悟を決めた。
すると会社の前に黒髪ロングのストレートで赤い眼鏡と黒いマスクをしている、一人の女子高生がいた。
いかにも文学少女といった様相の女の子で、商業高校の制服を着ていた。
「一緒に帰ろ? パパ」
「パパッ?!」
安曇さんは驚いて、すぐさま大きな声を出し、僕と彼女を交互に見た。
眼鏡にマスク姿だからと、パパ活だとか思ってないだろうか…。
「安曇さん…大きな声はやめてくれないか…パパ活か何かと誤解されそうで怖いよ」
「すみません…お知り合いですか?」
安曇さんのその言葉に、目の前の彼女は眼鏡とマスクを外した。
「…え…町村さん…?」
「ふふ、今は宮田ですよ。ヒーローちゃんのおねーさん、ですよね。二人きりでどこに行くんですか…?」
「…か、課長、私ちょっと用事を思い出しまして──」
あれだけ飲みに行こうと言っていた安曇さんは、急に用事が出来たと帰っていった。
どうも安曇さんの妹さん──ヒーローちゃんが小学校の同級生だったらしく、面識があったようだ。
ヒーローちゃんが何なのかも、安曇さんの様子がおかしかったのも気にはなるけれど、それよりホッとしてることの方が大きかった。
「眼鏡とマスクは気にしないでね。花粉でも風邪でもないから。私、美容系チャンネルとかもしててね。それなりにフォローされてるから」
「そうなのかい?」
「そーそー、だからいつも手放せなくてさー、スポンサーさんとかメーカーさんに迷惑かけれなくて、ほら「責任」あるから。パパならわかるでしょ?」
彼女は苦笑しながらそう言った。
詳しくはわからないけれど、彼女は配信者なのだと言う。
まだ式も挙げていないし、一緒には暮らしてないのに、パパ、パパと気安い態度で接してくる義理の娘。
距離感のわからない僕に、それはありがたいけれど、綾香さんに似過ぎているせいか、娘なんて言われてもなかなか実感がわかないせいか、どうにも彼女の名前が出てこない。
悪いとは思うけれど、存在が気薄というか…でも今日は何故か違うみたいで、輪郭がハッキリとしていて、づやづやしているように思えてくる。
まるでAI絵のようだ、なんて失礼だな。
「…責任なんて、若いのに偉いんだね」
「やっぱりそうだ」
「…何がだい?」
「ううん、なんでもなーい。ふふ。あ、パパ、ちょっと待って待って」
彼女は突然立ち止まり、何やらゴソゴソと鞄を漁り出した。
すると、鞄を覗き込む彼女の動作で、長い黒髪が首を境に割れた。
そこに黒い粒々とした表情が独特の革が見えた。
「…チョーカー?」
彼女は首に黒いチョーカーみたいなものをしていた。
おそらくファッションだろうけど、校則違反じゃないだろうか。
いや、放課後に身に付けたのかもしれないな…決めつけこそが判断を鈍らせるなんて、おじさんはわかっていてもついついやってしまうものだ。
色だとか違うメガネとか、かけてはいけないとおじさんなら誰もが知っている。
これから若い子と住むことになるし、気をつけないといけない。
「ん? ああ、これ? ふ、ふふ、
でも思っていたことと全然違った。
アグリーメントよりずっと固い意味だ。
彼女は僕を真っ直ぐ見て、徐にチョーカーを下にズラした。
するとそこには、ギザギザとした不気味な青白い痕が薄らとあった。
細く絡み合う鎖状をしていて、不均一ながら横一線にガタガタと走っていた。
まるで僕のマスカケ相みたいだ。
それを見た瞬間、心配するとか、何があったとかの前に、頭の奥がチリチリとして、導火線に火が点いた気がした。
そしていつの間にか目の前には黒いタブレットがあった。
「ねぇ、パパ…このゲーム知ってる?」
「…ゲーム…? いやゲームは…小学生の頃にした…と思う…でもそんなには…」
「…ふーん。ふふ、このタイトル読んで読んで」
「…あ、ああ、うん…え…? 天空の…雌…豚…? メスブタ…」
「ふふ、二時間くらいだからタクシーでいいよね」
「にじかん……タクシー…」
「責任とってくれるよね、パパになるんだし」
「…責任…? パパになる……? もうなっているのにパパになるだって…?」
「そーそー、パパになる責任でパパになった責任」
くすくすと嘲笑うかのようにして、そんな事を言ってくる。結婚と妊娠のことだろうかと、娘としての言い分はもちろんわかるけど、意識が遠のいていて、考えがまとまらない。
「こうやって私と契約してるのに結婚するなんて、「無責任」じゃない?」
そう言って、彼女はチョーカーを完全に外した。
その言葉と、ガタガタとした輪が、ぐるぐる回っているかのようで、僕の中の何かを千切った。
頭の中には、熱を帯びた強風が吹き荒れ、山火事がごとく、あっという間に燃え広がり、僕は後ろに逃げることも出来ず、正面からの熱波に飲み込まれた。
「──誰が…無責任だって…?」
「ふ、ふふ、じゃ、お城いこ、ジュンくん」
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