第48 -綾香7

 あの日、8月8日に受精したのはわたしだけではなかった。


 あの日、何故潤くんを行かせてしまったのか本当に悔やまれるけど、心のどこかではこうなるような気もしていた。


 海の時も、何処かおかしかった。



『泳がないの?』


『まだひりひりするし…ってかわざと言ってんでしょ』


『ふふ、わたしの真似はもういいの?』


『…もういいし。つーか被るのとかやだし』


『はい、これ』


『ああ、ピル? もう飲んだし』


『…本当よね?』


『しつこいなぁ…高校くらい出ておきたいし、出されたの全部お尻って言ってるでしょ…』


『…確認しても?』


『ば、馬鹿じゃないのっ!? させるわけないでしょっ! ほら、もーじゅんくんのとこ行って来なよ…私日焼けそんな出来ないし…』


『一度決めたキャラ変えるとフォロワー離れるのよね』


『…なんでそれを…』


『クリエイターって大変よね。名前は…何だったかしら? くすくす』


『…そこまで知ってたんだ…』


『当然じゃない』


『…私に興味なんかないと思ってた…ふ、ふふ。ほら、じゅんくん待ってるじゃん! 行ってきなって!』



 そしてその日は夢のようで。


 わたしは貝殻に夢中になっていた。


 虹歌と何があったか、潤くんに聞くのも忘れて、記憶のままのカタチを探して、潤くんを呆れさせるほどに夢中になっていた。


 その後、怒涛のプロポーズで舞い上がっていた。


 そして後日、改めて虹歌に聞いた。


 だけど聞き出そうとしても、のらりくらりと躱す。


 結婚のことで苛立っているのか、なかなか虹歌は話さないし、避けている。


 それから数日経って、ようやく話があると、タブレットを出してきた。


 どうやらまた新しく買ったらしい。


 そんなに何台も必要かしら…。



『天空の…メスぶ…何よこれは…』


『タイトルは気にしなくていいからプレイしてよ』



 虹歌は、あの日のことをゲームに落とし込んでいて、わたしにプレイさせようとしてきた。


 結婚のこともあって、どこか罪悪感も手伝って、渋々付き合うことにした。


 興味がないとは言わない。


 でも胸を締め付けられそうな、胃が逆流しそうな感情が芽生えそうで、それを抑えて我慢しながらプレイした。


 今度はRPG風で、登場人物は潤くんと虹歌で、虹歌が高校生としてサラリーマン潤くんを落とす、みたいなエッチな18禁ゲームだった。


 我が娘ながら、何考えてるのか不安になる。


 尤も、彼女とは今までコミュニケーションらしいコミュニケーションなど、取ってきてはなかったのだけど、初めてがこれはいかがなものかと思ってしまう。


 この子大丈夫かしら…。


 よほど結婚がショックだったのかしら…。


 でも必死にプレイして思った感想は「あれ? これって…」だった。


 わたしの横に座り、解説なのか、一緒にストーリーを進めていたのだけど、やれまるで豹変したかのような潤くんだとか、やれめちゃくちゃにされただとか、ハードだとか首絞めだとか緊縛だとかお尻はすごいだとか、今までの沈黙は何だったのかと、まるで押し寄せる波のように自慢げに言っていた。


 だけど、その内容は上書きするとして、それはともかく、今はもう思い出の中にしかいない、中学の頃のグレた潤くんみたいだったのだ。


 なんで…。


 徐々に、徐々に徐々に苛立ちが募り出す。


 画面のぶひぶひ言ってる雌豚をボーっと眺めながら、それでも嫉妬と羨ましさと苛立ちを抑えていた。


 そしてその時、何故かそのタブレットが突然ブラックアウトし、壊れたのだけど、虹歌は引き攣りながら文句を言ってきた。


 わたしのせいじゃないと思うけど…


 ヤカラってやつかしら…。


 それから何度かタブレットを差し出してきたけど、やっぱり壊れてしまい、それ以降はゲームも煽ってくるのもしなくなった。


 わたしのせいじゃないと思うけど、プレイは一応させて欲しいのだけど…


 そうしてそれから二週間ほど経って、妊娠報告をしたら、悪魔みたいに悪い顔をしながら、待ってましたとばかりに、ズビィと何かを差し出してきた。


 ピンク線二本。


 判定確認、陽性。


 というか、わたしとまったく同じものだった。



『これ…』


『私、産むから』



 そんなこと…許せるわけが…。


 けれど、幼い頃から潤くんを追いかけていた姿が浮かぶ。


 熱にうなされた時も、潤くん潤くんと呼んでいた。


 いつも潤くんの家を見上げていた。


 入りたそうにしていた。


 でもいつもインターホンを押せなくて、悔しいような顔をしていた。


 初潮の時は怪しい笑いをしていた。


 反抗期らしい反抗期なんてなくて、いつも家では明るく過ごしていて、父と母を随分と助けてくれた。


 反対に、入学式も卒業式も参観日も、わたしが行けば、大人しくしていた。


 結婚報告時も同じような無表情だった。


 そんな今までのことを思い出す。


 それと同時に、大量の彼氏だとか、大量のお金儲けとか、学級崩壊とか、ストーキングとか、ゲームとか、いろいろと斜め上過ぎる虹歌を見てきたことも思い出す。


 だめ、頭が混乱してくる。



『何…? 堕ろせって言うの?』


『…それは…』



 堕胎させることは、私の娘である前に、同じ女として言えなかった。


 それよりも、虹歌は何を望んでる?


 わたしに何故それを見せたの?


 これは、ただのマウントじゃないのはわかる。


 けれど決意…とは何か違う。


 それにお金ならあるし、家を出ることも可能だ。それこそベビーシッターでも…いや、虹歌はじゅんくんの家にこだわっていた。


 何度か塀をよじ登ろうとしていて、弾かれるように落ちていたことを思い出す。


 そういえば、あの海に出掛けた日が、確か初めてインターホンを押したはず…


 虹歌が遠慮…? 


 いや…それは…ない。


 いいえ、今それは関係ない。


 一番大事なことは、潤くんに責任を意識させることを考えること!


 わたしの記憶も消し飛ぶかもしれないじゃない!



『…わかったわ。あなたは動かないで。ママに任せなさい』


『…へー意外…ていうか任せなさいなんて、これが初めてとかウケるんですけどー』


『…言ってなさい』



 そういうことじゃないの!


 まずはお義母さまに伝えないと!



『そ、え? あ、え? あ、綾香さんに謝…ち、違うわね、美智子さんよね、美智子さんに…達郎さんに…あ、ああ謝らないと…』



 お義母様はしきりにわたしの両親に謝ろうとしていたけど、それは止めた。


 両親は怒るでもなく、なんとも言えない顔をしていた。


 でも潤くんにはまだ言えてない。


 娘がいるとすでに伝えていたのだけど、海の翌日には虹歌の一週間分の記憶は消し飛んでいたのだ。


 どうしようか、本当に悩んだ。


 もしかしたらわたしの記憶も消し飛びそうで、悩んだ。


 悩んだ結果、わたしはこの欺瞞に満ちた関係を、産まれるまで続けて、それから考えようと伝えた。


 そして式を終えてから、虹歌に一緒に住もうと提案した。


 虹歌はすんなりと承諾した。


 それからは、驚くほど嘘みたいに、母と娘として、いや、友達みたいに話し合うようになっていった。



「いつから私の計画知ってたの? そこまで私ボケてないし」


「あのゲームのことかしら?」


「それ。ところどころ違うし、しかも私最初と最後にあんなのなんて入れてない」


「ふふ。効果があったかどうかはわからなかったけどね。虹歌って見直さないでしょう? 考え方も独善的だし」



 まあ、斜め上感も否めないけど…結果的に上手くいっているのだし、潤くんにまだ言うわけにもいかないし、気にしても仕方ないけど。



「ふーん…美英さんには?」


「もちろん根回し済みよ。当たり前じゃない」


「じゃあ私が…逃げられたのも?」


「ええ、そう。社会的立場もあるのだし、流石に小学生を付き合わせるわけないじゃない。それに覗いてはぁはぁ言ってるあなたの後ろにだいたい居たし」


「汚っ!? この女汚っ! それでか…」


「ふふ。まあでも、安心しなさい。あなたのことは、お義母さまにも言ってあるから。だから今は大人しくしておいてね。訴えるとかもやめてね。まだNTR動画は出さないでね。持ってるんでしょう? DNA鑑定とともに見せないと意味ないからね」



 虹歌によって、上手く誘導されている気はしないでもないけど、わたしには、それ以外思いつかなかった。



「…」


「…何? 不満かしら?」


「別にー」


「何か企んでない…?」


「たくらんでないよー全然」


「…そう? それよりその包帯はまだ取らないの?」


「…いいでしょ、別に」



 アピールだったら見せつけてくるはずだし、それをしない…のは変ね。


 そういうのが流行ってるのかしら…。


 首輪、ギチギチに穴増やそうかな…



「とりあえずその動画を見せなさい」


「…監視カメラのと交換ならいいよ」


「…仕方ないわね…持ち出したくないし、一緒に見ましょうか」



 そうして、わたしは虹歌と仲良くなっていった。

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