第43 -綾香4

「あ…れ…?」


「どうしたの?」


「いえ…なんでも…ないわ」



 目の前には未那未みなみがいた。黒の大きな瞳に赤いリップに少しだけ浅黒い肌。緩く長い黒髪を高い位置で一つに纏めた、昔から変わらない姿の漆間未那未うるま みなみ


 彼女は小中と同級生の友達で、常にわたしの恋愛相談の相手だった。卒業してからも、ちょくちょく相談に乗ってもらっ、て…いた…。


 今日は朝早くに開く、純喫茶『まちぶせ』でいつものようにお茶をしていた…と思う…。


 でもなんだろう、この違和感は。



「──ちゃんってば。聞いてるのかしら?」


「…もぉ、そのあだ名はやめてよ。わたしも昔みたいに呼ぶわよ」


「ふふ。懐かしいわね。でもそれは止めましょう。お互いいい歳で恥ずかしいし。それにしても随分と丸く落ち着いたわね…綾香」


「そう…かしら…?」


「でもそろそろいいと思うわ」


「何が?」


「姉さん家族のことで忙しくしていてね…まあ、婿取りもあったけれど…気づいてあげられなくてほんとごめんなさいね…」


「…ムコトリ?」



 彼女は昔から嬉しい顔や悲しい顔はわたしにもほとんど見せたことはない。小学生の時、あれだけ人気があったのに、彼女のアドバイスのせいで男子にフラれたと女子グループにいじめられハブられたのだ。


 それから彼女は表情を消した。


 それを許せないわたしと仲良くなったのだ。


 その未那未が、とても悔やむような顔をしてる…?



「全然話が見えないのだけど……そういえば未那未って昔からそういうところあったわよね」


「綾香が人の話を聞かないからでしょう…高校の時だって後で聞いてびっくりしたんだから」


「それは言わないで」


「…まあ、でもやはり天川…いや、綾香だからね。流石だわ」



 彼女はいつも一人で納得し、何故かわたしの血を誉める。



「ほら、またわけのわからない褒め方して」


「8の8、起点をズラした天の川。七苦に自死に五奉。そしておよそ15年かけて駆ける、織姫か…天然で野良ってほんと怖いわ…」


「…よくわからないのだけど、昔みたいに馬鹿にしてるのだけはわかったわ」


「違うわよ。自信無くすって話」


「どこがよ…本当に悔しいならさっきみたいに表情変えなさいよね」


「それはそうね。んふふふ」


「笑ってるじゃない…」


「それはだって嬉しいんだもの──」



 そんなようなことをお喋りして別れ、どこか不思議に思いつつも、毎年のように潤くんのお世話にせいを出していた。


 いつの間にかこんな年増になってて、顔を晒すとリセットされて、辛くて、見てもくれないなぁって思っていたけど、何故か今年は違っていた。


 チラチラと目がわたしを追っていて、効用が高まっている、と言ったらいいのかな。


 これ、もしかしたら今年こそは、と思ってたらあの子が変なゲームを作って、潤くんに接触していた。


 いつだったか、写真撮らせてなんて言うから何かと思えば…


 まあ、もちろん改ざん済みだけど。


 潤くんが得た資格の中には、情報処理技術もあり、それは同時にわたしがクリアするべき課題でもあったのだ。


 それでも記憶が戻ったらってすごく怖かったけど、詰られてもいいかなって。それはそれでいいかなって思ってたけど、毎年のごとく全然思い出さない。


 それはそれでやっぱり悲しいけど、それはもう仕方ないかな、なんて、何故か不自然なほど自然に思ってしまう違和感はまだ少しあるけど、今度こそ負けやしないと拳を握る。


 ゲームの内容は、どこで聞き出したのか、あの子の推測なのか、ところどころ違う部分はあれど、ほぼ潤くんとわたしの実話が盛り込まれていて、お互いのトラウマを上手く刺激するような内容だった。


 止めるか迷ったけど、改ざんだけしてそのままにしておいた。


 バレるかとも思ったけど、自信が相当あるのか、あの子は一度目を通したものを見直したりなんかはしない。


 それに虹歌は独断的で計画的で、きっちりとこなす癖がある。そこから推理していけば、彼女のしたい事が浮かび上がってきた。


 松村と付き合っているのも、わたしの真似した上で上書きするんだろうと予想がつく。


 潤くんに何かした人、あれで最後だし、ワンキルくらい獲りたいんでしょうけど…。


 まあ、蓋を開けてみたら想像以上にウヨウヨ彼氏がいて、ドン引きしたけど…渇望の代替えにしては怖いよね…これもやっぱりあのクズの血のせいだよね、きっと。


 あの子、小さい時から変なのよね…頭良すぎるのに、ひけらかさずに抑えてる…のは別にいいんだけど、その割に目線が常に何か企むかのようで、いやらしいオーラというか、禍々しい気配というか。


 学級閉鎖とか崩壊とか絶対一年で一回は起こるし…主犯には絶対にならないけど、わたしは一番にあの子を疑っていた。


 サイコパスというか…これもあのクズを産んだ女の遺伝ね、絶対。


 ま、そんなことさせないけど。


 何十年越しだと思ってるのよ…!



「キッツい…」



 ついに、このマクラメ編みした貞操帯と拘束具を解く日が来た。


 夏の約二週間の、わたしが解放される約束の日々。


 一週間は一日中お世話して。残り一週間は、朝に見送り、夕方におかえりなさいとお世話する。



「綾香、傘持って行きなさいよ」


「はい」



 8月7日、今日は雨だ。


 だから、いい雰囲気作ろうかなって思っても仕方ないと思うの。


 マスク外しても、コロナが明けたせいか、今年は何故か大丈夫だったし、潤くんの好きな食べ物、いっぱい作ってあーげよぉっと。


 で、お酒飲んで、一緒に改ざんしたゲームして、怖いって言って、日を跨いで、わたしに目をそろそろ向けて欲しいかな。



「もしもし、おばさま、綾香です。おはようございます」


『ええおはよう。朝からどうしたの? 声がやけに硬いわね……あっ…ああ…その、お手柔らかにね…?』


「はい。もちろんです」



 そろそろ思い出してくれないと、このわたし、天川綾香は何するかわからないよ、潤くん。



「ッ……?」


『…どうしたの?』


「い、いえ…なんでも、ないです…」



 ああ…扉が開いていくこの感覚はなぁに?


 幼い頃、潤くんへのゾクゾクとした快感を閉じ込めていたあの扉が、知らないフリを溜め込んでいたあの部屋が、初恋を閉じ込めていたあの窓が、そこに顰み住む獣みたいな飢えが、渇きが、欲望が。


 唸り声をグルルとあげて、わたしの胎の中に強烈に逆巻くようにして渦巻いているわ。

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