第39 -潤一11
『じゅんくん、黙っててごめんなさい。ワタシ、彼氏が出来たの』
彼女はそう言って制服をまるで見せつけるかのようにしてゆっくりと脱いでいく。
均整のとれたスタイルは、幼い時と随分と違っていた。
違っていた? それは当たり前か。
当たり前…? 本当にそれは当たり前か?
『でもね、ここまでついて来たのは嘘じゃないし、ワタシもどこかで望んでた。だって初めてはじゅんくんにあげたいし。ほら約束、したよね』
彼女はそう続けるが、約束…だと? 確かにそれは…ならなぜ彼氏がいる? いや、君は僕を選ばなかっただけ、それだけだったはず……はず…? いや、あいつから守って…
『あ、あんまり見ないで…恥ずかしいよぉ…』
いや、それは見るだろう。
あれみたいに隠しきれてないのだから。
あれ…? あれって何だ…?
『でも、やっぱりじゅんくんが好きだから、彼氏から奪って欲しいの。ワタシの初めてを奪ってくれない…?』
それは、奪うだろう。
『きゃっ♡ ……? ど、どうしたの?』
待て、これは、なんだ…? 僕が奪う…? 今は夏休みに入って…8月の8日だ。…待ち合わせして…? したよな? でも町外れのラブホテル…? 高校生で?
この城みたいな外観の古臭いそこに、タクシーで向かったことに違和感もあるし、無人とはいえ何故入れたのか自然にわかっていた感じもある。
ベッドに押し倒した彼女は、果たしてあいつなのだろうか。
いや、あいつ…? しかもこの瞳…どこかで…彼氏だと…? 違う、彼氏は…お前で…あいつで…なんだ、こいつは…? 混ざってる?
『君は…』
『も、もぉ! ワタシだけはさみしいよぉ、じゅんくんも脱い…うわ、でっか。…あ。こほん、んん、もうだめ…ンンッ!』
『ぁぐッ…』
どこかで見た夢の中のような気もするし、最近見た現実味もあるし、チグハグな感じがする。待て、このまま興奮が高鳴ることを、僕は良しとしてはいけない。
彼女がまた倒れ───いや、殴られて蹴られて倒れるのは俺だった?
『ンッ、ン、ぷはっ、…じゅんくん…私と幼馴染しよ…? ここに…来て?』
その瞬間、脳が焼き切れるようなどろりとした甘さと痛さが、僕を襲ってきたのだと思う。幼馴染する、がなんなのかは知らないが、彼女の態勢を見ればそれは明らかだし、その穴を埋めないと、僕は狂ってしまう。
そうだ。奪われる前に奪うこと。
奪われても奪い返すこと。
それがずっとあのゲーム1のテーマだった。
それに僕は成り切っていて、ゲームの中のエンディングに僕と君とあいつとお前はいたのだ。
あいつ? お前? いやおそらくそれは夢の中だろうし、今はいい。また忘れて、成り切ればいい。
『じゅんくんそこだめぇぇ…!』
『はは、びしょびしょだよ』
『言わないで…恥ずかしいよぉ…』
『愛してる…? あや…? あゃ…あつ…んむっ! ン…ん』
『んむ、ぷはっ、んふ、ふ…ワタシも…「もう一回」…して…忘れさせて…? …ワタシが救済し──』
何か続けようとしていたが、何故か俺は彼女の首を絞めていた。
回りくどい彼女の策略が気に入らない気もするし、首を絞めてと懇願された気もするし、止めてと言われた気もする。
まだなのに、もう一回と言った喉を潰したい気もする。
救済と言った声を壊したい気もする。
いいえ。いいえ。全ていいえだ。
これは、聞きたくないことのような、別の強い何かだろうか。
首を絞めることにあまりにも違和感がないし、嫌悪感も抵抗も特にない。
時間と記憶の遠近感だけが強く現れていて、感情だけが沸点に近づいていく。
それこそ君に八つ当たりするつもりなど、始めから無かったというのに、それこそあいつに仕返しするつもりなど無かったというのに、何故また俺の首飾りをお前はしているんだ?
それは一度返しただろう?
また俺から大事を奪う気か?
あいつが何でそれをしている?
『んぎゅ、あご、ぢょ、ォ、こ゛れ、ぢが、ちがっ…?! やめ、でッぇぇ!? ぅ、ずご、ごれずでぎずぎぃ…ん゛ごぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!?』
首を絞めたまま突き刺す瞬間に、彼女はそう言って涙を溢した。この首飾り諸共、首を絞めてやると、ブチリと音がし、喜んで彼女は上下に腰をガクガクと振る。
それから彼女は豚のような鳴き声で俺を求め始めた。
『ぁ゛あ゛ぁぁ゛ッ――もっどぉ! もっどぐりぐりッ、してぇ! や、らめぇ!? じゅんくんッ、かんじずぎでッ、おぼぉ゛ッぉ゛れるッ――ん゛ぉおおぼ! れるッ! ぐるぅッ! ぐるっちゃうぅうぅぅ゛ッ!!! ぶひッ、ぶひッッんぉ゛ぉ゛ッ!?』
汗と涙と鼻水、ありとある体液でその綺麗な顔をぐちゃぐちゃに崩壊させながら、それでも彼女は笑っていた。
この女を支配する、この男はそうしてきて、こいつはペットなのだと、お前の飼い主は誰なんだと、散々…? ああ、いや、そうだ、ゲームでやっていた。
僕は別ルートをなぞってるだけだ。
違和感なくその幻想に飛び込んでいるだけだ。
腹の底、胸の奥にある幻想の海の底に沈んでいたキズナが、現出したのだ。
そしてあの天秤の片方にザラザラと載せて、ついにガタリと傾いたのだ。
手を離すと、手放した君がいて、手痛い目に合わせたあいつがいて、首には血が滲み、痛いほどの首飾りの跡がついていて、貝殻はところどころ砕けていた。
そうだ、それでいい。それはお前のものじゃあない。……誰の絆だ?
『じゅんきゅ、ん、らいしゅきぃ…よそーがぃぃ…でもにじかこれしゅきぃ…きもぢぃ、ぃぶひ…』
『…にじか…?』
白目のまま幸せそうに呟く彼女を見て満足したのか、取り返しのつかないことをしたと思ったのか、俺は、僕はそのままうつ伏せに倒れ込んだ。
彼女は疲労で寝そべる僕の背中にのそのそとじゃれついてきて、大きな胸を押し付け、幼い頃のようにマーキングみたいにして身体を擦り付けてくる。
大きな胸…? 君はこんなに大きかったか…? あのお姉さんは大きかっ……いや、俺の背中にあいつが乗っていいわけがない。
『っ、っはぁ、はぁ、ああさいっこぉ…あとは何を塗り潰せば……え、嘘…マーキング…丸く…火傷を…あいつやっぱり…! ずっとずっと狂ったふぁッぐぅぅ!? じ、ゆんく、ン、ぢょっどまっ、え、ぁや゛ッ?! ああ?! ぞ、ぞごはまだダメッ、まだおだのじみなのッ、じゅん、びはじてるげどぉッ!? いだぁ゛あ゛!? うらがえるぁぁ゛ん゛ぎょぉ゛ぉ゛お゛ぉ゛ッ──!!』
時折そんなことも溢していたような気もするけど、気持ちが真っ白な静寂に支配されていてわからない。
何かを奪い尽くすような、何かの欠落を塗り潰すような、強い忌諱感に塗れた行為を、僕はずっとしたかったのだろうか。
或いは別の…こいつ、うるせーな。
『 おーおーまだイキがいいなッ!」
『いだぁ゛あ゛ぁ!? あはっ! もっど打ってえッ!! 1ど、2は、いらにゃいぉ゛ッ!! もっどぉ! もっどにじかをごーりゃくじてぇ! あ゛あやかッ、あいづ、ほかのッ! おどごイっちゃうばかだから、おぼぉ゛ッ!? あは、ハッ、じゅんくんッ、うらぎり叱ってぇ! パパぶつけてぇ! ぞのままにじかごわじでぇぇッ!! お゛ごぉッ! おぎょぉ゛ぉ゛お゛ぉ゛ッ──!?』
今思えば、ここが僕の人生における帰路だったのだろう。或いは、すでに手遅れだったのかもしれない。
『え、えへぇ…いんごぉの、くびわにしました、からね…、あした、うみ、いき…ましょう、ね…♡」
昔誰かと約束したような、お前と約束したような、ゲームの中の君のような俺のような、あいつのような。
そんなことを誰かに向かってぶつぶつと呟いてから笑っていた。
それは、俺であり、僕であり、彼女だったり、あいつだったり君だったりした。
『そこでぇ、貝殻拾ってぇ、作ってあげまひゅ♡ また、聞かせてあげ、ましゅから…なんどだってぇ…上書きしてあげまひゅ…飼い主がぁ、誰かを──』
貝殻…? 飼い主だと…?
それは一度否定しただろ?
『はれ…? じゅ、じゅんきゅん…? あ、はは、そ、そんな怖い顔しちゃ、めっ! だよ? ンげぼぉ゛ッぉ゛!!?』
よく喋るその丸い口に、とりあえず突き刺して俺は蓋をした。
穴は全て埋めないと、漏れてまた天秤が傾くだろ?
彼女はまた、涙の白目で鼻をぶひぶひと漏らしながら一生懸命に喉をゴリゴリと動かす。
そのまま制服のリボンで手首を絞め、それから徹底的に朝まで穴という穴を埋めてやった。
無意味な穴などないのだと言わんばかりに、ひたすらに埋めていた。
そうしてにやりと笑い、色を失った彼女の──瞳に映る俺の姿に──あいつを見て──はっと気づく。
――そして、夢が覚めるみたいに白く途絶えた。
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