第38 -潤一10

『潤一さん、泊めてください』



 7日の夜、食事のあとだ。


 急に天気が崩れて雷鳴が鳴り止まない。急いで帰ろうとした彼女は、玄関こそ出たのだけど、びしょびしょになってすぐに戻ってきた。


 母に電話をすると、泊めても構わないと言う。タクシーでも呼べば良いと思ったけど、そう言えばここから少し下ると冠水する箇所が何個もあり、雨量によっては危険が増えていく。


 昔はそうじゃなかったはずだ。



『…』


『すみません、こんな格好で…似合いませんよね…』



 お風呂から上がった彼女は、キャミソールっぽいタンクトップに、前結びのショートパンツを履いていた。


 お風呂掃除用に持ってきていた服らしく、上下共にグレー色で、普段仕事中の彼女はだいたい長袖のブラウスにロングスカートだったのだけど、今はショートパンツから覗く少し肉付きの良い長い足と、大きな胸の谷間に目が吸い寄せられてしまいそうになり、危険が増えていく。


 男性の視線は女性にはお見通しだと聞いたことがあるから、僕がどこを見てるかなんて気づいてしまうだろう。

 

 だけど、これでも対ハラスメント耐性は強い方だ。同僚はいろいろと口撃されていたけれど、僕は一度もない。


 だけど、こんなシチュエーションも一度もない。


 普段見えない部分がこうも顕になると破壊力がすご過ぎる。




『は、はは、いや、すごく似合うよ、はは…』


『…あら、こんな年増でも女として見てくれるんですか?』


『いやいや! 年増だなんて思ってないですよ!』


『くすっ、ありがとうございます。嬉しいです…女として見てくれて…』


『ッ、…』



 彼女は年増なんて到底思えないくらい魅力的だった。


 照れた僕にそんな風に言ってくるけれど、これは牽制だろうか。


 あ、褒めるのもアウトだったか…


 芸術的なほどのスタイル、と言えばいいのか、胸から腰にかけて無駄のない体のラインは、ジム通いの僕ならわかるけど、こんな同年代なんて滅多にいない。


 天川さんは食事中こそマスクを外していたものの、今はいつものように眼鏡とマスクをしていた。


 だから喜んでいるのか、怒っているのかどうかわからない。


 それにしても普段の大きさからは想像できないくらい大きな胸をしていた。それも気になってチラチラとつい見てしまっていた。


 それに気づいた彼女は、男の目線を集めてしまうらしく、普段から矯正用の下着を着用していたのだと言う。



『ちなみにノーブラです』


『そ、そう? ふーん、なるほどね?』


『くすくす、嘘です。何だか少年みたいで可愛いです』


『か、揶揄わないでくださいよ』


『敬語ですし…くすくす』



 多分面白がっているのだろうけど、バキバキ童貞には刺激が強すぎて自分で何言ってるかわからなくなる。



『雨音がすごいですね…すっごいびちゃびちゃです……』


『あ、ああ、明日は通り過ぎてると思いたいね…』


『ふふっ、おやすみ、明後日までですものね。今度はお酒を飲みながら、ゲームしませんか?』



 飲むのは構わないけど、これ、まずいのではないのだろうか。


 頭の中を駆け巡るドクドクとした性欲と雇用関係、窓の外からビタビタと横殴る雨音と電光雷轟。


 それのせいか、あるいは別の何かか。どこか今にも均衡が崩れそうな天秤みたいで、不安な気分になる。


 でもこんな時は、人生で何度もあった。


 その度にその天秤をキープしてきた。


 おそらくこれが記憶に関わることだとなんとなく理解していた。


 けれど、僕は均衡を崩すつもりはない。


 それこそ19世紀から続く悪しき国の財政均衡主義くらい固く堅持し続けていた。


 それが現代において、馬鹿馬鹿しいまでのファンタジーだったのだと、この国の惨状を見れば誰にでもわかるけれど、僕は幻想に生きることを優先してきた。


 それを変えない限り、幸せも真実も訪れないとしても、多くの国民と同じように恐怖によって選択出来なかった、だなんてのは言い過ぎだろうか。


 いや、ただの照れ隠しだな…。


 よし。そこまでお酒は強くないし、雇用主だし、これはまずいだろう。



『…駄目、ですか…?』


『ぅ、…じゃ、じゃあ少しだけ、なら…』


『はい…! よ、用意しますね〜』



 そう言って、彼女は小股でとととーとキッチンに向かった。どこか幼い様子の振る舞いが、何だかほっこりとさせてくる。


 だけど、今思えば、ここが僕の人生における帰路だったのだろう。


 それからお酒を飲みながら、だんだんと不思議な気分になってきた。


 彼女は2をしたがった。


 ホラーのようなエンディング、最後のシナリオではなく、おそらく5個目だったと思う。


 暗くしながらしようと言って、電気を消した時、丁度雷が光った。


 そして彼女が眼鏡とマスクを外した。


 時間が間延びし、視界がぐるぐる、ぐるぐると回る。


 そこで、僕の均衡はツイニ潰えたのだ。



『お姉さん、そこはだめだよ…』


『だーめ、このままじゃだめなんですから。脱がせてあげま…うわ、でっか。んん、す、すっごく格好いいよ…』


『言わないでよ…恥ずかしいよ…』


『わたし、もう…我慢できなくて…いいですか…?』


『…? 我慢はしなくていいと思うけど…』


『…! な、ならお姉さんにま、任せてくださいね、ああ、夢みたい…』


『…夢…? ああ、そうだ、夢だよね…おしっ、ト、トイレ行かなきゃ…』


『こ、ここでここに大丈夫です、よ…いっぱい出しちゃいましょうね、ふ、ふふ、ン、ンン…』


『え、ええっ? 何しぉ゛ぉ゛ッ──!」



 ――そして、夢が覚めるみたいに白く途絶えた。

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