第37 -虹歌5
10歳の夏だった。
その夏のある日、ママが海に落ちた。
私はその頃、執拗にじゅんくんをマークしていて、ママのことは興味を失っていた。じゅんくんに夢中なのもあったけれど、生まれた時からあの調子なのだから狂うも何もそれが正常かしら、そう思っていた。
私だったら会いに行くのに、行かない。
何度も何度も尋ねても、苦笑いで返すのみ。
すっかり牙の折れた獣の、成れの果てに見えて寧ろ同情するくらいだった。
まあ、本気になられても、いろいろと困るしもういいわ。そう思っていた。
そんなある日のこと、ママは海に落ちた。
幸い命に別状はなく、怪我も治るものばかりで助かった。でもそこからか、記憶が混濁し、おじいちゃんとおばあちゃんのことは覚えているのに、私のことを忘れていた。
『…虹歌…娘? わたしに? じゅん、くん? だぁれそれ?』
しかもじゅんくんも忘れてやがった。あんなに散々言ってたのに。
まあ、それは別にいいのだけど、何となく釈然としない。
自殺か事故か、それもママはわからないと言う。
最初は詐病を疑ったけど、話す記憶は千切れたり重なってたりしていて、知らないママの話がいくつも出てきた。
現実と繋がっていたり、通行止めだったり、前後が入れ替わっていたり。或いは幼い頃だったり、私を産む前だったり後だったり。
ぽっかりと、じゅんくんと私の話だけが抜け落ちていた。
現実か妄想か、興味が湧いてあれこれ聞き出していた。それらを拾い集め、事実と時系列から照らし合わせれば、ある程度じゅんくんとの関わり方が見えてくるはずだと、いつの間にか夢中になっていた。
じゅんくんの攻略方法に悩んでいたわたしはそうやってあれこれとゲームのネタを聞き出していた。いくつもある話は、じゅんくんの名前こそ出さないけれど、彼とパパの話だろうと推測できた。
というのも「ケンちゃん」という名前を吐き出したのだ。そしてどうもじゅんくんと入れ替えて話しているようだと気づいたのだ。
松村健は、パパを殺した相手だ。初めて事件のことを知った時はじゅんくんに没頭していて、あまり興味が沸かなかった。けどママからの話は粗方聞いたからと、中学に上がりクラスと学年を裏から支配したあたりかしら。気分転換のつもりで松村に会いに行った。
ママの現状を悲しく思う、一少女のフリをして。
そうして聞き出せば、あの日の事実が浮かんできた。
海に落ちる前、やはりママは狂ってなどいなかった。松村に会い、不味いと思って身投げしたのだろう。
やるじゃないと感心すらした。
だけど、松村はミスを犯した。
私が事件の報道や詳しい内容を知らないのだと決めつけていた。
10年も前の話だし、少しくらい思い出せないこともあるだろうけど、こいつは意図的なほどにじゅんくんを避けていて、面白いほどにじゅんくんに成りすましていた。
この頃には、パパの上司やパパの仕事仲間、やっと見つけたパパのパパの話、ママやおばあちゃんの日記、おじいちゃんやママのお友達の話、パパとママに関わる全ての物と事から推測し割り出し、事実を導き出していたけど、後一つ足りなかった。
そこに最後のピースが嵌った。
そして、ゲームの内容を決めた。
本当はときめいたメモリアル的なものを考えていたのだけど、やはりじゅんくんのトラウマをマイナスに刺激するしか方法は無さそうだと、心に決めて私は遂に動き出した。
◆
結果、じゅんくんの天秤は、揺れた。
まあ、1にしろ2にしろママに配慮して作ってあげたし、じゅんくんが記憶を取り戻し、ママを断罪するにせよ、ママを許すにせよ、私にとってその天秤さえ傾けば、どちらでも良かった。
例えば記憶を取り戻し、ママが嫌われたならそれはそれで具合が良いし、傷ついたじゅんくんを松村みたいにして心に取り入ればいいのだし。
例えば記憶を取り戻さず、ママを選ぶならそれはそれで家庭に入り、ジワジワと体から攻めればいいのだし。
まあ、これはなしよりのなしだけど。
どうも、お養母様はママとくっ付けようとしている節があるのよね…
それはもちろんノー。だから私は動き出した。
木陰に座って、いつものようにカフェインに逃げているじゅんくんは、堪らなかった。
世界に本当の色が、いろづいて、きらめいて、ときめき、やっぱり私の心を離さない。
この二度目の出会いを、印象的に考えてみると、あれくらいならありよりのありでしょう。
なんて言ってみるけど、初めて出会った時のように緊張していて自分でも何言ってるかわからなかっただけなのだけど。
夕方に会った時なんて、まるで初めて出会ったあの日のようで、身体を自分で抱きしめておかないと何するか分からなかった。
流石に逆レはノー。乙女的にノー。
ゲームをしてからのじゅんくんは、日に日に少しずつ挙動がおかしくなっていて、本人は気づいてなかった。
睨んだ通り、というか、賭けでもあったけど、ゲームを介せば記憶は失くさなかった。
じゅんくんは、解離性健忘の一つ、遁走だった。
脱走や逃避を意味し、過去の記憶の一部またはすべてを失い、通常は家族や仕事を残して普段の環境から姿を消す場合があるのだけれど、失くさなかった。
尤もそれはママに慣れていただけなのかもしれないし、お養母様を思ってかもしれないし、あるいは会社の為かもしれないけど、失くさなかった。
でもおそらく小さな小さな遁走を繰り返すことで、心の疲弊を防ぎ、天秤をキープしていたのだと思う。
松村から聞き出した、ママとの悪夢の終着点であるこの公園に、何度も足を運ぶ行為こそが、逆説的に、ある種の勝ち方、遁走の儀式なのだから。
おそらくここで一度納得し、諦めたのだから。
尤も、松村自身はその事を話してないのだけど、連れ歩いたらチラチラと目で追っていたし、金田の話をするし、聞けば焦るし、推測は簡単だった。
じゅんくんの話を意図的に避けるから齟齬が生まれ、逆に真実が浮き彫りになるなんて、あの男には分からなかったでしょうね。
まあ、つまりトラウマから逃げ、この遁走の行き着く先に、もしかしたら正解があるんじゃないかって私はずっと思っていた。
でもそれは、思い出すことや失くすことを別に狙いたいのではなくて、行き着いた遁走の果てに、新たにカタチ作られるニューじゅんくんワールドの一丁目一番地に、私が居ればそれでよかった。
まったくの違うじゅんくんでも、思い出のない私なら、いくらでも差異なく愛せるのだし。
それでも荒療治は心苦しいし、もしまだ天秤が傾かないのであれば、最終手段としてじゅんくんがパパに壊された動画を用いるつもりだった。
尤も、最近見つけたのだけど。
古い型だし、解除するのに少し時間がかかったけれど。
内容は悍ましいの一言で、推測していたパパ通りというか。それは思い浮かべたくもないのだけど、あのゲームでも駄目だったから助かった。
神様っているのね。
ママはだいたいこのじゅんくんの夏休み期間、事件のあった日あたりに、自分の部屋を模様替えする癖があった。
海に没後、記憶を失くし、それは何となく心の終い方というか、整理したい、もしくは探したい求めたい、そんな欲求の発露なのは仕方ないことだとわかるけど、毎年そうしていた。
毎年のように手伝っていた時に、たまたま見つけたのだけど、ほんと良かったわ。
まあ、その結果どう?
私はこうして寝取られるの。
まあ、100%私の趣味で慰謝料付きの茶番なのだけど。
結果、ママとのかつての待ち合わせ場所、時計台の下、遁走状態に陥り、攻撃か退転か見定めていたら歪な笑顔でキスをされ、頭がぴよぴよになっている間に、お城にぐいっと連れてかれた。
ちゃんとここもゲームに入れてたから予想通り。きちんとサブリミってたし。
でも公園のトイレとか青空じゃなくてほんとよかった。
流石に乙女的にそれはノー。断固ノー。
そして、今、目の前のじゅんくんは、期待と身体が年齢を感じさせないほど痛いくらいに膨らんでいた。
ジム通いで鍛えてきた身体が、あのシャツの下にあるのだと思うと、ああ、もうたまらない。
早く解放してあげないといけないわ。
いや、しかしこれ、予想以上だと脳汁が溢れて頭ぴよぴよが止まらないわ。
…あ、やだ、垂れた…。
ま、まあ、つまり私はママが出来なかったことをし! パパによって歩めなかったママとの未來をぐりぐりと踏みつけながら上書きして歩むのよ!
さあ、心の奥底に沈め隠したパパとママへの恨みに辛み! 無意識でもなんでもどうでもいいからご存分に! このママっぽくした私にぶつけてくださいね!
別に贖罪なんて思わないし、遠慮しないでいいからね!
…でも手を出したら私の人生にドボンなの♡
んふふ。
終わったら、さっそくきっちり淫行の首飾りで縛ってあげるね♡
それが3のプロローグでありエンディングであり、私もじゅんくんも二人同時に即落ち2コマなのっ!
古い絆は捨て去り! 新しい私との絆をじっくりしっぽり作るのよ!
それはまるでメビウスの輪のように!
ママから私にいつの間にか変わっているのよ!
実は3にしかハッピーエンドはないのよ、じゅんくん…!
でも本当に長かったわ……松村家みたいに潜り込めたら簡単だったのだけど、何故かママが働いていたし…お養母様もおばあちゃんも余計なことを…まあいいわ。
今日から私が飼ってあげるからね♡
こつこつと配信で稼いできたお金もたっぷりあるし、慰謝料も期待出来るし、永久保証の証明書付きよ!
それに完璧ちゃんと配信も生で日にちも危険で危険に溢れた初めてなんだからっ!
興奮して何言ってるかわからなくなってきたわっ!
では、パパママ彼氏達ごめんなさ─って別にいらないわね。
虹歌、大人になります♡
「じゅんくん、幼馴染…しよ? きゃあ♡」
まずは早速明日会社退職してもーらぉっと。
そうして、私は夢中になっていて、首に一番のトラウマを付けたままなのを、すっかり忘れてじゅんくんに身体を委ねたのだった。
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