第36 -虹歌4

 天井の鏡に映る私達二人は、今から試合でも始まるかのような、適切な距離を取っていた。


 薄暗い照明の室内に、ソファ、テーブル、そして大きなベッド。


 棚には冷蔵庫と思しき小さな箱型の電動家具に、アメニティのコーヒーや紅茶のパック。


 そしてWi-Fiに繋いだスマホ。


 天空──山の傾斜に突き出たようにあるラブホの中、私達だけの宴が今から始まる。


 本当はシャワーを浴びたいのだけれど、いつじゅんくんが元に戻るかわからない。


 だから恥ずかしいけれど、仕方がない。


 生々しい匂いが私自身から、蒸し暑い夏の林の湿気のように、むんむんと立ち昇っているけれど、これはもうどうしようもない。


 さあ、ここまでの結果は上々。


 でもここからは、私にとっては稀なくらいの出たとこ勝負。


 いいえ、ママに成り切るのよ。



「じゅんくん、黙っててごめんなさい…私、彼氏が出来たの…」


「…?」



 ああ、ぐしゃっと辛い顔をして…さっきキスしたのにって困惑してる。んふ、ふ。


 そしてスルリとスカートを脱ぐ。パサリ。



「でもね、ここまでついて来たのは嘘じゃないし、私もどこかで望んでた。だって初めてはじゅんくんにあげたいし。約束、したよね…?」


「ッ、…」



 ふ、ふふ。困惑が更に強くなってる。


 まあ、そんな約束知らないのだけど。


 昔のママならやりかねないと思ってるだけだけど。


 次は上の制服を脱ぐ。シュルシュルパサリ。


 首飾りと下着と靴下だけになり、後々のことを考えて、しなを作り髪を纏めておく。


 じゅんくんはゆらゆらとしながらその様子を黙って見てる。


 そうよ、見て、見て、そのままじぃっと見ていなさ……。



「は、恥ずかしいよ、そんなに見ないで…」



 アドリブを頑張って言いながら、作ったゲームのスチルを真似てポーズをなんとか決めた。


 腕と足を額縁のようにして、大事なところが際立つように立ち、少ししか隠さない…!


 でも恥ずかしい…!


 さ、さあ! 貴方を捨てて偽の愛に狂った女が産んだ! よく似た私を欲いっぱいによぉく見るのよ!



「これでも信じてくれない、かな…やっぱりじゅんくんも、好きだから──」



 そう言った瞬間、じゅんくんの右足が一歩前に出た。


 ッ、い、いい…、いい、いけるわ…!


 私はブラのホックに震えながら手をかける。



「わ、私の初めてを、彼氏より先に──」



 そう言って目を瞑り、私の磨いた自慢を思い切って解放するっ!



「──奪ってくれない…? えっ、きゃっ♡」

 


 そうして遁走状態のじゅんくんは、ようやく私に喰らいついてくれた。


 



 ようやくここまで来たのだけど、大変だった。


 何せ、世はハラスメント革命真っ盛り。


 毎年毎年新しいのが出てきて、困ってしまうわ。


 だってそのままこの年齢差では、交際に発展させにくくなるもの。


 そんなのは断固ノー。


 でももっと根本的な問題があった。


 解離性健忘だ。


 あれから毎週毎週会いに行くけど、じゅんくんは妙にお堅いし、パパ活も通用しそうにないなぁなんて考えていた。


 あれから我慢出来ず、何度か会いに行っていたけど、おかしなことが起きた。


 何故か翌週にはリセットされていて、私を認識してくれない。


 まさか解離性健忘だとは思わなかったのだけど、それを知るまでは何度も思いがけない失恋を味わってきた。


 まあ、それでも行くのだけど。


 まあ、それはカウントしないのだけど。


 その頃には、原因が何となくママのせいだとわかってきた。


 もしかしてと試しに眼鏡とマスクで話かけたら翌週覚えてくれていた。成長すればするほど、私はママに似ていっていて、つまりこの顔が駄目なのかと、帰り道に眼鏡とマスクをぐちゃぐちゃにして燃やしてやったのは懐かしい思い出ね。


 整形も一度は考えたのだけど、赤ちゃんの顔が違っていたら浮気を疑われてじゅんくんが、というより私が狂うかもしれないし。


 だからと、じゅんくんのその原因を深掘りすることにしたのだけど、なかなか振るわなかった。


 お養母様にも避けられるし。


 ならばとおじさん世代の趣味趣向、行動パターンに原理原則、経済、風刺、社会との関わり方、実施体験、それらを徹底的に学び調べていった。


 でもどうもじゅんくんには当てはまらない。


 かと言って私と同年代は杭の出ることは徹底的に避ける世代。


 画一的な教育からの脱却、個性が足りないから個性なんて言われ続けて、余計個性なんて要らないって世代で、そもそも画一的じゃないからこそ個性なんて自ら求めないし、そのせいで大多数は目立つことを根源的に嫌ってしまうし、画一的に憧れる。


 でも自尊心だけはメキメキと育てられ、だからこそ歪なクラスカーストなんて生まれてしまうのね、とクラスメイトを眺めていた。


 まあ、その頃のクラスは私のせいでギスギスとしていて、ある意味均衡していたのだけど。


 そもそも個性は勤めた会社や社会が形作るものなのだし、その後の人生で培っていくもののはず。なのに義務教育で執拗に求めるのは何故だろうと思ったら、これは義務教育に個性的人材を下請けさせているのではと思ったわ。


 だけど、例えば世界的外国企業なんかの募集人材を見てみると、個性的な人なんて採ってない。


 むしろ画一的で、調和型人材を欲していた。


 それも考えたら簡単で、個性型ばかりいれたら軋轢が生まれて会社も社会も上手く回らない。


 それは学校も同じじゃないかと、気になって教育白書とか調べてみたら、40年も前から個性個性言ってて超ウケた。


 教育方針を決めている人はきっと反省がない個性的な人達ね。


 そもそも知識や国民的認識を画一的に詰め込まないで、どうやって議論するんだねキミって感じ。


 そんなの知識をひけらかして言論を封殺しながらマウントを取るか、浅い認識の上での感情論しか出来ないじゃない。


 この国はやっぱり何周も遅れているなぁと思ったものね。


 まあ、そんなことはどうでもいいのだけど。


 何が言いたいのかと言えば、記憶を無くしたじゅんくんはいろいろな世代の考え方が混ざっていて、正攻法が見当たらなかったってこと。


 そんなある日のこと、じゅんくんが病院に行くことがあった。


 そこで初めて元々記憶喪失なこと、今は解離性健忘だと知り、私はそれを重点的に踏まえて観察するようになった。


 すると、記憶を戻そうとしたり戻ろうとした時には、設定したニュートラルに少し捻れながら戻り、その域からは決して出ない節があった。


 それは私の世代の考え方に近く、じゅんくんに当てはめてみると、強固に固定された記憶と感情の天秤、と言えばいいかしら。


 それが見事にバランスしていて崩れない。


 会社まで範囲を拡大して観察していくと、自尊心はそこまで高くなく、荒波を極端に嫌い、かと言って人付き合いは拒否をせず、むしろ人と人の調整に手間をかけてしまう人だとわかり、会社での地位も信頼も上がっていったことに納得がいった。


 本人は資格の多さで頼られているのだと思っているけど、全然違う。


 でも最初は詐病も疑ってみた。


 だって、戦略的いい人、と言えばいいかしら。どう見てもそういう風に見えてしまう。


 駄目だと思う人からはすっと離れたり話題を変えたりして、上手くバランスを取る。そして人にされた嫌な事はすぐ忘れるし、適度に相手をするようになるから、ほんとに忘れていたなんて最初は気づけなかった。


 何年も観察して思ったのは、おそらくそれはきっとお養母様のために、記憶を無くしたことを心配させまいと身につけたものではと辿り着いた。


 でもそのままそれだと私は出会えない。


 ならばといろいろと記憶と感情を揺らすことを考えたのだけど、私が例えば直接病院に連いて行ったり拉致して薬物投与したりと強引な方法を思いつく。


 でもそれはどれもこれも現実的には難しいし、出会いの印象が悪すぎる。


 だから私は、ゲームを思いついた。


 二次元的なゲームを思いついたのだ。


 これならママではなく私でもなく、一つの幻想、キャラクターとして認識してくれるのではと、思ったのだ。


 まあ、あんなトラウマ塗れのストーリーにするつもりなんて、元々はなかったのだけど。

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