第34 -松村3
仮釈放が認められて、もう五年が過ぎていた。
あの時確かに約束していた結婚の話も、綾香ちゃんがあそこまで狂っていたなら仕方ないかと半分諦めていた。
綾香ちゃんに言われるがままに行動したが、あの時の俺は抱きたくて抱きたくて狂っていた。
そんなことを証言しても、強姦罪が強化されるだけだし、あの時は金田と敦志の殺人後の怖さから全て綾香ちゃんに言われるがままに行動した。
冷静に考えれば綾香ちゃんの策略だとわかるのだが、気づいた時には服役していた。
それでも彼女は何度か尋ねてきたし、調書を取られるからと、事前に聞いていたように恨んだフリをしていて、俺は謝ったまま頷いていた。
ところが何年か経ってパタリと来なくなった。
出所して、何とか居場所を探し、会いに行けば錯乱されてしまった。
『いゃあ、パパ! パパぁ! 殺さないでぇ!』
今何か起こせばまた捕まってしまうと、俺は家に逃げ帰った。
おそらく演技だろうが、演技でもない気もしてくる。それくらいあの日のことはふわふわとしていて、曖昧だったし、今の綾香ちゃんは別人に見えた。
父も母も妹も引っ越していた。
家だけはくれてやると、残されていたが、この暗く狭い家でずっと居続けるのは刑務所と変わらない。
するとある日のこと、女子中学生が尋ねてきた。
その子は綾香ちゃんの娘だった。
何でも綾香ちゃんはいつの間にか狂ってしまい、海に身を投げたのだそうだ。命に別状はなかったが、夢か幻か、自身の娘でさえ判断できないようになっていたのだと言う。
だからその始まり、あの日いったい何があったのか、教えて欲しいと頼み込んできた。
それより俺は父親を殺したんだぞ、そう言ったけど、彼女は気にしないと言ってくれた。
『父が駄目な人だったのは知ってますから』
どうやって調べたのか、俺にはわからなかった。
それくらい敦志の隠蔽は徹底していたはずで、潤一のフリをして証言しても何も出てこなかったことから明らかだった。
だからその日までのこと、それまであったことを全て伝えた。
潤一のことは、伝えなかった。
スケープゴートととして、潤一に擦りつけるこの癖だけは抜けなかった。
敦志のDV、絶倫セックスに耐えきれないと、俺を頼ってきた綾香ちゃんとした結婚の約束。たかだか一発だけじゃ決して釣り合わない計画の全てを。
そして殺すつもりはなかったと謝った。
いや、あの時確かに殺すつもりだった。
『辛かったですね。虹歌が癒やして差し上げますよ、パパ』
でも彼女はそんな俺を優しく慰めてくれた。ママが悪い、ママのその追い詰め方なら俺が病むのも仕方ないと言ってくれた。
それから定期的に掃除に洗濯に料理をしに来てくれた。
最初こそ敦志の娘がなんでそんなことを、なんて考えていたが、綾香ちゃんのしでかしたことに心を痛めて尽くしたいと言ってくれた。
日に日に俺はこの子に惹かれて行った。
虹歌ちゃんもおそらくそうだったのだろう。
だけど、高校生になるまで待って欲しいと呟くように言っていた。
『我慢させていつもごめんなさい』
『い、いいって、そんなこと言うなよ』
『んふ、健さん優しい』
いつしかパパと呼ばず、名前で呼ぶようになっていた。こうして順調に交際は進んでいたが、またあの日がやってきた。
潤一の家で何故か綾香ちゃんが働く夏の一週間だ。
虹歌ちゃんに聞けば、どうやら潤一のおばちゃんから頼まれたみたいで、潤一の記憶は未だ戻ってなかったようだ。
毎年気になって覗きに行くのだが、本当に何もない。本当に知らない者同士のような関係で、知ってる身としては滑稽な茶番のように見えた。
◆
「しししっ…」
潤一の家はデカかった。
それも含めて俺は昔から嫉妬で狂っていたのだろうと、今ならわかった。
なぜなら幸せだったからだ。
幸せな人間は冷静に過去の自分を顧みることが出来るのだと、不幸せな人間は視野と度量が極小で気づけない。
尤も、それはこの子から教えてもらったのだが。
「健さん、その笑い方移ったらどうするんですか。乙女的にノーなんですけど。アクリル立てますよ」
「コロナみたいに言わないでくれよ…」
「それもタブーですよ。しししっ」
「どっちも、もー手遅れだろ」
「やん、もぉ、お鍋こぼれちゃいます…めっ!」
「いてっ! わ、悪かったよ…」
「本当ですよ、まったくもぉ…は、初めてはまだまだお預けなんですから。んふふ」
潤一と敦志が好きだった女、綾香ちゃん。その娘の虹歌ちゃん。目元こそ少しの差異はあれど、抜群のスタイルに美貌、少女と大人の境目にある彼女は、中学生の時の綾香ちゃんのようで、興奮する。
次第に日々成長する胸や尻を触るのをやめられなくなっていた。
遠目に見た綾香ちゃんも妖艶な雰囲気を纏っていたが、もうどうでも良かった。
だが俺は気づいてなかった。
この子の中に眠る獣の姿を。
半分とはいえ、あの嗜虐性と残虐性の塊、悪逆非道の敦志の娘なのだと、俺はすっかり骨を抜かれ忘れていた。
◆
夏のある日、木陰に連れていかれていた。何かを打たれたのか、いつの間にか眠らされていた。
雨粒で起きた場所は、潤一を拘束していた木の下だった。
声も擦れていて、筋肉に力が入らない。
「ね、ここで見ていてくださいね、あなたがしたことを。ししし」
それは、昔昔、俺が起こした光景で、倒れ伏す潤一が見ていた光景だった。
ゾワゾワと胃から吐き気が持ち上がる。
あの時、潤一を殴った時の気持ち良さと悪さを思い出してくる。
虹歌ちゃんに何かされた潤一は、ゆらゆらと揺れて急変し、あの時の敦志のように虹歌ちゃんにキスをし、強引にどこかに連れて行った。
俺は呆然とその場にいた。
何にも考えられなかった。
そしてそのまま時間が過ぎ、一時間程経ってから、スマホに音声のみが送られてきた。
『彼氏を忘れさせて…?』
『ああ、もうびちゃびちゃだよ』
『言わないでぇ…恥ずかしいよぉ…』
それは、甘ったるいほどの毒を塗ったナイフで、時空を超えて突き刺してきたのだ。
そして全て聴き終えた時には、また雨が、ポツポツと降ってきて、地面はすぐにびちゃびちゃになっていった。
凛々しかった虹歌ちゃんは潤一の前で豚になっていた。
何も考えられず、なんとか自宅に帰ると、胸や尻を触る俺の写真が束になって置かれていた。
もう回収したのか、見つからなかったが、おそらく隠しカメラを設置されていた。
俺が胸や尻に夢中で気づかなかったが、虹歌ちゃんはきちんと震えながら耐えるような嫌そうな顔をしていた。
そしてあったのは手紙で、慰謝料金額が書いてあった。
『どちらがいいか選んでくださいね』
つまり俺は、淫行の罪で彼女に縛られたのだと、およそ三年経って、ようやく気づいたのだった。
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