第32 -虹歌2

 七歳の夏休みだった。


 自転車を早くに乗りこなしていた私は、おじいちゃんの話していた町に頑張ってやってきた。


 具体的な町名は教えてくれなかったけど、目立つ看板だとか、映える橋だとか、憩いの公園だとか。


 そこから割り出したのは、隣町だった。


 車ならそこまでかからないけど、自転車なら遠い距離。


 もちろん私はスマホを持ってない。


 だけどママのスマホをいじって早四年。


 もうそれだけ長い時間使っていたから、道順なんて簡単で、ママやおじいちゃんおばあちゃんのスケジュールアプリから空白の時間を割り出し、目を盗み、ここまでやってきたのだ。


 そこまでしたのは、随分と昔だけど、ママのスマホを覗き見したこともキッカケだった。


 それはママの友達からの何気ないメッセだった。


『もう事件から立ち直った?』


 事件? そう思ってママのスマホを遡っていくと、チラチラとママが狂った真相が見えてくる。


『ええ、まだ悲しいけれど、あの人のためにも虹歌のためにも頑張ってるわ』


 心にも思っていないように感じたそれは、やはり愛と嘘の化合物だったのだと、幼い私はまだ知らなかった。





 キコキコと自転車を漕ぎながら目的地付近に向かう。


 おじいちゃんの話から、引っ越す前の家を推測していたのだ。


 かつてこのあたりでは、凶悪な事件があった。その時はニュースにもなった。


 一歳頃だろうか。


 ぼんやりと視界の端に映るそれ。


 解像度のない映像と音声。


 当たり前だけど、その当時のニュースの内容までは知らなかったし、訪ねてきた人など覚えてなかった。


 だけど、殺された人物は知っていた。


 パパだ。


 あの時こども園の同級生達は私をいじめていて、それを先生に注意されていたのだ。


 だけど、一切動じない私を見て、先生はママに言ってくれたのだけど、ママは悲痛な顔を歪ませたような、歪な笑顔で誤魔化していた。


 その事件のことになると、ママはどこかスィッチが入るみたいに、気丈に振る舞う未亡人となる。


 そんな顔もよく似合っていたなと、何故か自然に思ってしまうくらい儚くてどこか妖しかった。


 そんなママの名前は、町村綾香。


 そして私の名前は町村虹歌。


 ママは昔二人組に襲われた。それを助けるためにパパは向かった。そして犯人の一人を殺し、犯人の一人に殺された。


 そして母は狂った犯人からまた乱暴されておかしくなったという。犯人も錯乱していて、今も捕まっているという。


 いろいろと当時の記事を探るけど、全て噂の域を出ないし、ママに気を使っているのか、人権という何かのためか、そこまで詳しくは出てこない。ネットの書き込みも犯人探しばかりだった。


 私自身、まだ自分のこの奇妙な力、瞬間記憶と言えばいいのか、それを自覚してなかったからか、当時の様子は詳しく覚えていない。


 思い出そうとしても、少しの何かしか入っていない薄いグレーの箱が浮かび、カラカラと鳴るけど何も出てこないのだ。


 それでも中身を思い浮かべると、ぼんやりと白の輪っかがイメージできて、それを基にいろいろな想像をしたりしていた。


 ちゃんとはっきり思い出せるのは、私が三歳になる頃で、ママがようやく社会復帰を果たした日からだ。


 だけどそれからは、私の前では狂ったままのママ。


 それ以前もそうだったのかもしれないけど思い出せない。


 パパはもう死んでるけれど、帰ってくると狂ったままのママは言う。


 死を受け入れられないことは、私にとって既に起きたことで、体験してないからわからない。


 ほんとはわかるって言いたいけど、そんなのどこか馬鹿馬鹿しいし、なんとなく嫌だった。


 そこにきて、あの不気味な幼馴染「じゅんくん」の話。


 延々と続くその幼馴染の話は、やはりパパではなかった。


 パパだろうとなんとなく思っていたけど、違っていた。


 パパの名前は敦志だ。


 最初から空想や妄想の域を出なかったけれど、思い出の短冊に違う名前が出てきたことから、一気に話が変わってきた。


 でもおじいちゃんも、おばあちゃんも、そんな人、覚えてない、知らないと言う。


 いいえ。


 あれはとぼけたフリだ。


 そしてご近所さんに聞いてもわからない。だけど、どうやら事件を境に私達は引っ越してきたのはわかった。


 推測すると、私が一歳から二歳あたりだ。


 私はママとおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしていて、おじいちゃんの話は全て引っ越す前の話だったとわかったのだ。


 そして事件を調べた限り、「じゅんくん」は事件に関わってない。


 でもそれは別に構わなくて、ママのあの狂った状態を、最初に躾けたのは多分そいつなのだ。


 憎しみも恨みももちろんあるけど、そいつに会えば何か変わるのではないか、一言くらい文句を言ってやりたいと、迂闊にも私は思ってしまったのだ。


 だからこの町にやってきた。


 四年かけて、調べてきた。


 そして、確かに変わった。


 ガラリと変わった。


 私の中の獣が、弾けて目覚めるだなんて、思いもしなかった。



『はは、心配症だなぁ…気にせず楽しんでおいでよ。それにまだ出かけたばかりじゃないか…』



 それは、8月8日の事だった。


 黄昏が近づく中だった。


 閑静な住宅街をウロウロしながら目的地を探していた時だった。


 目の前のサラリーマンさんを見て、私は固まった。おそらく近しい誰かとの通話なのだろうけど、そんなことではなく。


 私の古い古い原初の記憶が蘇るのだ。


 三歳より前の記憶だ。


 目の前を揺れる連続した白のカケラの連なり。


 ママが嫌がるも、奪われてしまうそれ。


 それが無いから私は他の子達と違うのだと納得していたあのアイテム。


 それがあればママは正気を取り戻すのだと想像していたあのアイテム。


 ずっとずっと追い求めていた天使の白の輪。


 それを幸せな家庭から持ち去った犯人が、そこにいたのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る