第31 -虹歌1

 人生は常に選択肢の連続である、と人は簡単に言うけれど。


 しかしその選択肢を自分で選べず存在した場合はどうだろう。


 もう既に生まれ落ちたのだから、そんな事を気にしても仕方ないのだろうけど。


 例えばそれが、一歩どころか決定的に間違えた結果の私だとしても、生の前ではもう遅く。


 例えばそれが、望まない結果の私だと無自覚に自覚させられたとしても、やはりもう遅い。


 それに気づいた時、歪まずに人生を送ることは、はたしてできるだろうか。


 後戻りの出来ない選択肢を、間違えたまま突き進んだ場合、救済は訪れるのだろうか。


 いいえ。


 取り返しのつかない結果の私が、そんなものを動かずに取り返せるはずもなく。


 ならばと思い至ったのは、私が幼い頃だった。その時は、取り巻く事実なんて知らずに獣みたいな直感で動いていて、その甲斐あって真相に辿り着いたのだけど、ああ、それが懐かしい。



『君は何がしたいんだい?』



 ふふ。


 何度だってやり直せばいい、と人は簡単に言うけれど。


 自殺者ピカイチの国でそんなことを叫ぶ滑稽さに気づいていないし、頑張ればいつかどこぞのスーパーな野菜の星の戦士みたいになれるだなんて、ありはしないのに、刷り込まれているだけなのだ。

 

 だからそんなマゾな言葉に興味なんてない。


 人生はゲームではないのだ。


 この現実世界は、暴力的なまでに追い求めることでしか、欲しいものは手に入らない。


 その結果が運命なのだと、いずれ全て収斂していくのだと、幼い頃の私は、まだ知らなかった。





 私には、幼い頃から奇妙な力があった。


 おそらく初めて自覚したのは三歳だ。こども園の子達、周りの子の振る舞いに違和感を持ったのが最初だった。


 昨日叱られたのにもう忘れてる? 四日前も二十日前も同じこと言われたのに?


 そんな疑問だった。



『虹歌ちゃんはもしかしたら少し発達障害が──』



 そんな風に内緒話をママと先生はよくしていたけど、別に気にはならなかった。ただただ黙って他の子の話に耳を傾け、本を読むだけだった。


 うちにはパパがいなかったけど、私は気にしなかった。晩婚化の中、ママだけは若くて綺麗で格好良かったのだ。


 よく働いて私を育ててくれていたけど、時折溢す言葉には、嘘と妄想が混じっていた。


『いつかパパは帰ってくるの』


 そう言いながら家族写真なんて一枚もない。スマホを漁っても出てこないし、帰ってきて欲しいと願う努力すら見えない。


 どこか人生をやり直したいような。


 どこか惰性で生きているような。


 そんな言葉を溢す時は、ただひたすらに死を待つだけに見えた。


 今思えば、ママはすでに狂っていたのだろう。


 少しずつ知識を蓄える中で、ママは少しの答えを私に向かって溢していた。


『だんだん似てくるわね』


 それは嬉しそうではなかった。


 それは愛ではなかった。


 間違いなく何かを恨んだ色が混ざっていた。


 私の世界が急速に色を無くしていく。


 身体から暖かい何かが抜けていく。


 そんなある日、一枚の写真を見せられた。


 私と同い年くらいの男の子だ。


 朗らかに笑ってる、可愛い子だった。



『ママ、これだぁれ?』


『大切な幼馴染よ』



 わたしと貴方の。そう言って笑っていた。





 それからママは年に一回、誕生日の日に私と同じように成長したその男の子の写真を見せてくれた。


 私が四歳なら四歳の時の男の子。


 私が五歳なら五歳の時の男の子。


 もちろん私は会ったことがない。


 私の誕生日に、まるで私が経験したかのように、臨場感たっぷりとママの思い出を言い聞かせてくる。

 

 私が六歳なら六歳の時の男の子。


 私が七歳なら七歳の時の男の子。


 不思議と名前を聞いても教えてくれず、いつしか「幼馴染」がよくわからないものに聞こえてきた。



『でね、三人で海岸を歩いていたのよ』


『その内の一人がわたし? ママも?』


『そうよ? もぉ、覚えてないの?』


『…覚えて…るよ』


『泳げないのに強がってたよね、くすくす』



 もう何度目の話なのか、すら覚えてしまう私には苦痛でしかなかった。


 でもママは可愛かった。


 乙女のような、少女のような顔でニコニコと無邪気に妄想を口にする。


 仕事はできるのに、過去と今と空想が混ざっていて、私とだけ会話が成立しない。


 でもそれはとても嬉しそうで、寂しそうで。


 手に触れられない無形の宝物みたいに。


 手に触れたくない醜い汚物みたいで。


 手に出来たはずの貴重な品みたいに。


 手にしてから気づいたガラクタみたいで。


 ママは物欲しい顔で夢の中を彷徨い歩き、現実から逃避しているのだと思った。


 そしていつしか気づいた。


 これは代償行為なのだと。


 出来もしないのに、私を巻き込み世界をやり直そうとしているのだと。


 いいえ。


 私に自覚させてその夢の中から早く排除しようと、そう企んでいるようにさえ思えた。


 とっくの昔に気づいていたけど、知りたくなくて見ないふりをしていた。


 ママは私に興味なんてないんじゃないかと気づきたくはなかった。


『虹歌、好きよ、愛してる』


 だけどその歪な気持ち悪さは、無視出来ないほど膨れ上がり、当たり前だけど、遂にはその幼馴染の男の子を憎むようになっていた。





 物心ついた頃、すなわちわたしが三歳の時には、おばあちゃんの口数は少なかった。反対におじいちゃんはそんなおばあちゃんを気遣うように努めて明るくしていた。


 聞き出すには難しいからとおじいちゃんにママのことを聞いた。子供だからと無遠慮にわからないふりをしながらも聞いた。その男の子のことをようやく聞き出せたのは七歳の時だ。


 そこから調べるのは少し難しかった。


 当たり前だけど、自宅にそんな痕跡なんてなかった。やはり空想で妄想だと思いたかった。


 でもおばあちゃんのタンスの奥で見つけてしまった。


 大皿でも入っていたかのような大きくて四角くて厚みの薄い紙の箱。


 クレヨンで書いた絵や、七夕やハロウィンやクリスマス、お正月のものだと一目でわかるものがガサッと入っていた。


 これは、幼稚園での制作物だ。


 いくつもある絵の中には、青と赤で男女が分かれていた。あの幼馴染の男の子とママ、なのだろうけど、ご主人様と犬にしか見えない絵だった。


 そんな絵が描かれていて、ママがまた怖くなった。


 そしてついに見つけてしまった。


 私もこども園の時に書いたことのある短冊で、ママの子供の頃に間違いない。



[じゅんくんのぺっとになれますように あゃか♡]



 じゅんくん。


 それが、私の憎み恨むべき対象で、その時初めて明確な輪郭を持ったのだ。



『ッ、ペットって何…? こわ…』



 でもママのアレな幼少期は、どうかぼかしておきたかったなと、幼いながら少し後悔し、「じゅんくん」を恨む燃料にすぐさま変えたのは、仕方ないと今でも思う。

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