第41 -綾香2


「ママ、遊びに行ってくるから。ちょっとママ、聞いてるの?」


「…」


「もぉ、ママ、ちゃんとしてよ。暗いよママ」


「ごめんなさい…」


「ふふ。おばあちゃーん! ママよろしくねー!」



 虹歌はそう言って、いつものように勢いよく家を飛び出して行った。



「…ママ、…ママ、ママママ…」


「…あ、綾香、大丈夫? 今日は止めておく? 明日明後日お休みでしょう? 変えてもらえば?」


「…いいえ。お仕事行きます。大丈夫…」



 お母さん、そこじゃないし、全然大丈夫、じゃあない。


 ママ、ママ、ママ、ママ、ママママママママママママママママママママママママママァァ──って気持ちよく連呼してくれちゃって、まぁ…


 『運命は私のものなのよ。ママ』、なんてキリッとして言ってるけど、お見通しなのよね…


 行動が幼い頃のわたしのそれだ。


 恥ずかしいほど読みやすいのよね…


 あの子が小さな頃、どこに行くのか尾けてみたら、案の定電信柱から潤くん覗いてたし…


 変に拗らせちゃって…はぁ…


 幼い虹歌を巻き込んでしまったのは、やっぱりまずかったかな。


 潤くんが首飾りを作ってくれた時を、幼い頃の忘れていたことを、わたしはもっともっと思い出したかっただけなのに。


 だから虹歌に読み聞かせをし、同時に狂わせと思い込みと思い出しをしようだなんて思ってやったけど、そんな事したからかなぁ。


 まあ、仕方ないか…


 あの子、わたしにそっくりなんだもの。





 15年前のあの日、何度も何度も忌まわしい暴行と寝取られの動画を見ながら失神して、ようやく思い出せたのは、その当時、頭のおかしいわたしに、いや、今をもってしてもそれほどおかしいとは思わないのだけど、一つ一つに愛を込めながら紐を通して作ってくれた、あの首飾りのことだった。



『綾香ちゃん、首輪はね、ジンケンって言って、どうも人間にはダメみたい。だから変わりにこの首飾りを作ったんだ。一つ一つをね、選んで──』


『じゅんくんわっ! あやかを捨てる気なんですかっ!』


『えっ!? や、そうじゃなくって…』


『屋根もない小さな小さな段ボールにっ! 置き去る気ですかっ!』


『い、いや、置き去らない置き去らない。だいたい綾香ちゃん家あるじゃないか…それに捨てるとか怖いよ。だからこれを──』


『こんなのはおためごかしよっ!』


『おため…何…?』


『な、なんでもいいの! …でもせっかくだしとりあえずつけるけど…ってなんかチクチクするっ! あっ』


『ああっ!? あああぁぁ………せっかく作ったのに…』


『…あ、えと、えと、えと、ほ、ほらほーら! すぐ千切れちゃうし! それにちゃんとアジの出るのじゃないとダメなんだからっ!』


『あ、味…??』


『そう…それはふたりがしをわかつまで続くワケだからちゃんとケーネンヘンカしないと──』



 そんな潤くんとの愛潤う日々を思い出したのだ。


 それからも潤くんはペットにして欲しいわたしに、あの手この手で暴論をぶつけてきたのだ。


 ペットとかそういうんじゃなくて、対等になりたいだとか、何でも言うこと聞くって言うのに首輪はノーだとか。


 わたしはストライキを起こすほど断固ノーって拒否をしていて、潤くんはその度に項垂れては悲しい顔をして…。


 だんだんとわたしの中にゾクゾクとする快感が巡ってきて。


 これはまずいって思って。


 そしてあれは、確か…漆間さんの提案だったかな。


 小学生当時、クラスメイトだったその子は、色々な相談ごとに答えてくれることで有名だった。


『ふむふむ。宮田君に天川さんの要求を飲ませたいのね。ならまずは蟻の一穴ね。蟻の巣穴ほどの小さな小さな要求からまずは飲ませるの』って言って。


『待ってられない? うーん。じゃあ例えばこんな儀式なんてどうかしら』って言って。


『言葉は言霊でね。強力なの。強い否定を使って…そうね、例えばいいえ、いいえと現実を否定することで縛って、逆に二人の事実を明らかにし確固たる答えに導いていくの──』


 これだと思った。


『──でも注意してね。これ途中で止めたらっ…て聞いてる? 天川さん…? 天川さ──』


 途中何か言ってたけど、これだと思った。


 その頃はお母さんとおばさまが結託して二人の仲を裂こうとしていて焦っていたのだ。



『潤くん。救済の儀式をしましょう』


『…何それ、まさかまた何か企んでない…?』


『た、たくらんでないですよ?』


『…脱がない?』


『脱ぎません。まあ、ちょっとしたゲームみたいなものです』


『…ゲーム? そうなの? わかった』


 ならばと一旦首輪は諦め、潤くんとわたしの現実にある事実を否定するような質問を考え、まさに襲ってくれた時と同じような質問を、心を痛めながらしていったのだ。


 そして当たり前のように潤くんも辛くなっていって、答えられなくなって、だから初めてキスをした。


 覚えてないよね。


 だって二人感極まって、儀式なんて忘れて、キスをして、勢いよく抱きしめて、勢い余って首をゴキリと絞めて、漫画みたいに気絶させたし。


 それで死んだと思って大泣きして。


 熱が出て倒れて。


 そのショックからか、潤くんはちょっと違う感じで儀式を覚えていて、わたしも特に違和感を持ってなくて、またゲームみたいにして、痛くない質問に変えて、首飾りをかけてもらって喜んで、いつしか世間一般のよくいる幼馴染みたいになっていって。


 そのまま不自然なほど自然に知らないフリを溜め込んで、でもどこか燻る欲求が常にあって、でもそれは首飾りが守ってくれて、それをようやく飼い慣らしたのは、今の虹歌と同じ年くらいだった。


 そうして、普通の恋人のように振る舞っていたけど、あの日、潤くんが死んだと思ったそのショックで、わたしこそが遁走していたのだとわかったのだ。


 だって、そうじゃないとおかしいもの。あんなクズに見事に騙されるほど、わたし達の愛が、あの儀式が、軽いわけがないもの。



 ──だから、15年前のあの日、わたしはおよそ一月かけて準備し、全て焼き尽くしてリセットした。


 ここまで上手くいくのは半ば賭けだったけど、でもその後に残っていたのは虚しさだけだった。

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