第17 -綾香1

 病室を後にし、病院のロビーに出たところにおばさまはいた。



「どう…だった?」


「おそらく大丈夫だと思います」



 その私の言葉に、おばさまは安堵した顔をのぞかせた。



「そう…良かったわ」


「…おばさま…」



 潤くんが記憶を失って、動画を見てから私はすぐにまた走った。


 当たり前だけど、おばさまに拒否された。


 それはつまりスマホのことは知らないのだと思った。


 だから土下座をして一連の動画を見てもらおうと頼み込んだ。病院でするなんて卑怯だと思うけれど、私は必死だった。


 潤くんに強姦されそうになったことも余す事なく伝えた。


 おばさまには社会的地位がある。それを盾にしたくはなかったけれど、必死だった。


 私の考えや思いが全部伝わったかはわからなかったけれど、一緒に当時の潤くんを見ることができた。


 裏で何があったのか知ることができた。


 懐かしい潤くんの家。


 クリスマス会に誕生日会、バレンタインにお正月。お勉強、お弁当に夕食に、起こしにきたり、ハプニングにドキドキしたり。


 数多の思い出溢れるそのリビングで、二人で泣き、叫び、恨み、恐れ、怯えて抱き合い、私は謝ることができた。


 後悔を口にすることができた。


 でも信じてもらえるかはわからなかった。


 あれも見せたのだ。


 馬鹿な女の馬鹿な姿もきちんと見せたのだ。


 もう戻らない潤くんとの日々を、私は大きな声で泣きながら後悔していると伝えた。


 するとおばさまは、黙って泣いて俯いていて、どれくらいそうしていたのか、次第にポツリポツリと話してくれるようになった。


 ここ数年会ってなかった潤くんのことをいろいろと聞いた。


 おばさまとは仲良くしていた印象が強かったから想像できないけれど、最低限の会話しかしなくなり、高校を卒業した後、おばさまの知る限りずっと部屋から出てこなかったと言う。


 そして、接触障害とでも言えばいいのか、極端に物を触ることや触れられることが出来ず、過呼吸になる時期があったみたいで、記憶を失ってもまたそうなるのではと、おばさまはとても心配していた。



『どう足掻いても、あの子より先に私は死ぬから…』



 同窓会に出かけたことも、家から出れるようになっていたことも、知らなかったようだ。


 父親のいない中、どう接すればいいのか、本当に悩んでいたらしい。


 だから私は頼み込んだのだ。それから忙しいおばさまに代わって、たかだか一、二時間程度だけど病院に通うようになった。


 おばさまはあの男が侵入していたことも知らなかった。あいつは私とおばさまを盾に、証拠隠滅を潤くんに徹底させていた。


 それは私と違い、おばさまにはあいつから恨まれる理由があるにはあった。


 だからこそ潤くんは徹底して隠していたのだと思う。


 そしてあの同窓会でまた発作が起きたみたいだ。それでも立ち上がって私を脅しに来てくれた。


 最初は、自殺するつもりなんてなかったのだと思う。


 首飾りを、失った時間を、私にくれた時間を本当に無くすことで、また前に進みたかったんだと思う。


 襲ってきたのは、私を恨んで憎んでたのは本当だろうけど、同時にどうせなら徹底的に嫌われてしまおうと思ったんだと思う。


 そして本当の動機はおそらく、寂しい思いをしているおばさまに心配いらないと、そんな姿を見せたかったんだと思う。


 でもまた私が狂わせてしまった。


 救済の儀式は上手くいかなかったのだ。


 虹歌を嬉しそうに見せてしまったのだ。


 そして自殺を図り、記憶を無くした。


 だけど。


 こんなことは本当は言いたくないのだけど、神様はいる。


 いた。


 もちろん最初は呪ったし、出来ることなら神殺しを成したいくらい憎んだ。


 だけど改めた。


 記憶のない、屈託のない潤くんの笑顔を見てまた再度改めた。


 これはきっと潤くんのために用意してくれた時間だと、勝手ながらに思うことにした。



「潤く……いえ、潤一さんに…よろしくお伝えください」


「綾香ちゃん…」



 さっきの様子だったら、潤くんのEDはおそらく大丈夫だろう。記憶が戻ったらどうなるかわからないけれど、私のできる事はした。


 いえ、私のしたい事ね。


 お世話の途中から当時を思い出して、したかったことを思い出して、出来なかったことを思い出して、泣きそうな顔を誤魔化すため、必死に隠して接して、でも楽しくなってお馬鹿になってしまった。


 楽しそうな潤くん。


 ドギマギしてる潤くん。


 呆れる潤くん。


 でもやっぱり優しい潤くん。


 ああ、本当に記憶のまま。


 思い出のまま。


 ほんと、誰にだって優しいんだから。


 いつも嫉妬してたなぁ。


 彼の仕草は覚えてる。匂いも何もかも付き合っていた当時のままだった…。


 …楽しかったなぁ。


 願わくば、潤くんの初恋に、またなれますように。


 なんて、贅沢な願いよね。



「…ありがとうね、…綾香ちゃん」


「いえ、私が…巻き込んでしまったんです。本当に申し訳ありませんでした」


「貴方のせい…だとまだ思ってる…ところも正直なところあるわ。ごめんなさい。けど………多分、あの子は貴方に…綾香ちゃんはそれでいいのかしら?」


「はいっ! …充分満たされました。感謝してもしきれません。…おばさま、どうかお元気で」


「……ええ、貴方も。約束通り、あの子の記憶が戻るまでは動かないわ」





 もうあの頃には戻れないのと、もうあの頃の私じゃないのと、堕とされた人は言うけれど。


 愛しい日々のあの頃に、あの頃のわたしに、潤くんが戻してくれたのだ。


 世界の本当の色を、教えてくれたのだ。



「……ふふ」



 ああ、この首に残る感触が、少しの時間だけでも戻りさえすれば、私は何だってできるわ。


 もどしそうなほどのいまをはきするために。


 せかいのほんとうのいろをとりもどすために。



「ほんとうになんでもするわ……。ふふっ」



 さあ、みなさん。


 くるっておどって、すすんできざんで、


 ちっていってもらいましょうか。





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