第18 -松村1
ある晴れた日のこと、あのサイコ野郎に呼び出された。
『これ、適当に処分しといてくれ』
手渡されたのは、灰色のケースだった。
『ああ、うん』
『わかってるよな?』
またか…こいつは金田と俺をよく使う。友達も多いのに、俺ら二人だけに面倒を押し付けて一方的に損をする構造になったのは、いつからだったか。
『娘がな、やんちゃでな。飲み込むと不味いからな』
『ああ、そうなんだ…』
今回はそういう建前か…
箱ごと渡されたそれをぼんやり眺めていたら、無理矢理カバンに詰めてきた。
鬱陶しい。
その後も聞きたくもない話を楽しそうに延々とし出した。
鬱陶しいし、イライラする。
夏の炎天下の中、ブラックな会社で半ば鬱気味になっていて、ようやくの休みの日にこんなことを押し付けて、嬉しそうに楽しそうに無神経に言ってくる。
というか自分で川にでも投げ込めよ。
こいつは昔からそうだ。結果を見えない形で終わらせることに納得しない。いや、面倒を押し付け、責任を取らせることができる状況が大好きなんだ。
その癖あまり説明しない。わからないやつが悪いし馬鹿だって考えが大前提だ。
どこかそうすることに強迫的な思考を持っている。
その癖、噴火すると持ち前の冷静さはなくなり、思考がぶっ飛び矛盾した行動をとる。
同窓会でもそうだった。
潤一は、あんな目にあったのに青ざめながらも頑張って来ていた。それなのに綾ちゃんにバレるかも知れないのに、わざわざ絡む。
まるであと一本刺せば飛び出す黒髭危機一髪の状況にいつも自分を含めて俺達を追い込む。
わかってやってないのが、またタチが悪い。誰かヘマをすれば、こいつの餌食だ。
流石に学校みたいな箱庭じゃないんだ。
おそらく昔ほど無茶苦茶はしないだろうが、恐怖が蘇って拒否出来ない。
訴えろ? そんな馬鹿なことを言うやつが仮に居たとすれば、暴力がどういうものか理解も想像も出来ないんだ。
しかし、今回はどんな厄介ごとなんだ。
ほんとこいつ死ねばいいのに。
◆
何日か経って、病院でお世話になることになった。昔はノイローゼと言われていたらしいが、適応障害だと言われた。
仕事に敦志に頑張って適応しようとしているのに?
俺がなんでこんな目に遭わなきゃならないんだ。
その診断後に、たまたま潤一のおばちゃんとすれ違った。
「もしかしてケン君じゃない? 随分と久しぶりね」
「…あ、ど、どうも…」
潤一とは小学校までは仲良くしていたが、中学で疎遠になってから一度も遊んでなかった。
中学でのやらかしから、高校では敦志の半ば奴隷だった。
もちろん潤一をボコったこともある。
過去に怯える俺に、おばちゃんは何も気にしてないように話しかけてくる。
話を聞けば、潤一が入院したのだという。
『良かったらまた仲良くしてね』
その時初めて、潤一はひとつもおばさんにバラしてなかったのだとわかった。いや、敦志が平然としていたからそうだとは思っていたが、初めて心から実感し安堵した。
あいつも馬鹿なんじゃないのか。
だから綾ちゃんは……滑稽すぎるだろ。
いや、俺と違って潤一は暴力に怯えてはいなかった。あいつは常に綾ちゃんを守ることに懸命だったな…ああ、イライラしてくる。
「はい、こちらこそ…」
そう言って俺は潤一の病室に向かった。
まだ面会は待ってねとおばちゃんは言っていたが、関係なかった。
嘲笑うつもりか、俺より下の不幸を見て安心したかったのか。
それとも無神経な謝罪でも自己満でするつもりだったのか。
またぶん殴りたくなったのか。
そのどれでもあり、どれでもない衝動に駆られて俺は向かった。
おばちゃんは見た目ほど大した怪我じゃないと言っていたが、少し挙動がおかしかったのも気になっていた。だから俺は向かった。
病室を覗くと、あいつは痛々しい姿で寝ていた。
『誰? …もしかしてケンちゃんの…お兄ちゃん?』
ケンちゃん…? お兄ちゃん? なんだ? とうとう狂ったのか…? 最後に見た同窓会での潤一じゃない。どこか小学校の時の顔が重なるぞ……?
『……ま、まあ、そんなもんだ』
直感的に俺はそう答えていた。最初は皮肉かとも思ったが、何せそんな優しい目で俺を見るんだ。殴ってきた相手を、恨んでる相手を、そんな目で見れるはずがない。
あればそれは宗教だ。
しかし……やっぱりどこか変だ。
記憶…無くなってないか?
そう思って話してみれば、どうやらそうらしい。敦志のせいで強迫観念的に人の顔色ばかり気になるようになっていた。それが初めて役に立ったのかもしれない。
尤も、おそらくそのせいでノイローゼなんてもんになったんだろうが…。
「病院ってこんなに暇なんだー…ってお兄ちゃん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ…」
滑稽を通り越して憐れとすら思っているだけだ。
いや……羨ましいんだ、これは、この感情は。イライラする。
そもそもお前があんなサイコ野郎に目をつけられるから俺がこんな目に遭ってんじゃないか。
綾ちゃんだって…
何一人だけ記憶無くしてんだよ。
さっきの医者は言った。人はロジカルではないと。だから無理に当てはめない方がいいと。そしてそれを気にするからまた悩むのだと。
ああ、そうだな。そうだと思う。
だから俺は鞄からスマホを出した。灰色のケースに入っていたのは、同窓会で敦志が盗んだこいつのだ。
どうせあいつの中では拾ったなんて変換されているだろうが、俺は見てたんだぞ。
そしてこれが潤一の幸せと同時に不幸せの象徴なのは知っている。
明文化してないが、敦志に何をしろと言われたかは理解している。
言わなくてもわかるだろ? なんて顔が浮かんでくる。
普通スマホにはロックがかかっているし、昔のだからバッテリーも死んでいる。仕事の忙しい最中、ましてや神経症と診断されたこの俺が、充電を待ってパスコードを何とかしろだと? いったい誰がそんな事をするんだ。
そんな暇じゃねーんだ。
ほんとふざけんなよ。
「……ししっ」
だから俺はスマホを潤一に返した。
「何これ?」
「ああ、拾ったんだ。お前のだよ」
お前のなんだし、パスワード、俺より可能性あんだろ。
それに、これに触れてさえすれば記憶も戻るだろうし、敦志の恐ろしさも思い出すだろう。おばちゃんに見つかれば、それはそれで敦志にダメージが行くしな。
「そうなの? ふうん。ありがとうね」
「ああ、いやこちらこそだな…ししっ」
バレた時、なんて言い訳しようか。
もう何でもいいか。
考えるのも億劫だし、そもそも深く考えちゃあいけないんだ。
「…? 兄弟って似るんだね、なんだかほんとケンちゃんみたいな笑い方だ」
お前の知るケンちゃんは…もういねーよ。
あの清楚だった綾ちゃんだって、めちゃくちゃ淫乱なんだって話だぜ?
早く思い出せよ?
しししっ。
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