第21 -金田2
綾香ちゃんは、先に風呂に入ってから下着姿で出てきていた。
『じ、時間も…その、ね。惜しいから、二人で入ってきたら…どうかしら…?』
そう言われて松村と風呂に入っていたが、期待に頬を染める綾香ちゃんを思い出すと、今から始まることを否が応でも想像してしまう。
腰に巻いたタオルを欲情で押し上げたままの姿で松村と共に風呂から出た。
すると綾香ちゃんが好きだと言うパッヘルベルなんとかが流れていた。誰もが聞いたことのある曲だ。
よくわからないが、気持ちが落ち着き、そして昂るらしいと松村がかけていた。
そんな音も、興奮で心臓の鼓動と耳鳴りが痛いくらい昂っていて、正直生唾を飲み込む音しか聞こえない。
そしてはやる気持ちそのままに、勢いよくリビングの扉を開けた。
だが、それがおそらく境目だったのだと思う。
いや、この一連の行動自体が、始まりであり終わりだった。
もっと言えば、おそらく決まっていたことなんだと思った。
あいつに出会ってしまったこと自体が俺達の運の尽きだった。
そんなことわかっていたのに、どうやら最近の穏やかなあいつに騙されていたようだ。
熱に浮かされていたようだ。
毒に犯されていたようだ。
初恋なんて追いかけるもんじゃあなかった。
何故ならリビングには悪魔がいた。
下着姿で膝立ちしている綾香ちゃんを正面から抱きしめたまま──
静かに曲に聞き入る悪魔がいた。
男には刺激が強い、扇情的な後ろ姿の綾香ちゃんの表情はわからないが、嗚咽を漏らしているような震え方をしているように思える。
目を閉じてうんうんと曲に聞き惚れたかのような敦志の歪んだ口元だけがわかる。
どれくらい固まっていたのか。
そしてようやく綾香ちゃんが口を開いた時に我に返った。
そりゃあこんなこと、違うの違うのしか言えないし、泣くしかどうしようもないよな。
と、思っていたら違っていた。
「あなたっ、あなたっ、ごめんなさい、私っ、私っ…! 金田君と松村君に…!」
「嗚呼、綾香。もう大丈夫だ。泣くな。わかってる」
そう言って、綾香ちゃんの尻と頭を一撫でしてから悪魔は立ち上がる。
「あ、あ、ああ敦志くんこれ違ぅぶぎゃあッッ?!」
松村は何か言おうとしたが、すぐにぶん殴られて壁に打ち当たり、ずるずると壁に背を預けながら倒れた。
はは、この状態は獣と同じだ。反応すると殺される。しかし、相変わらず躊躇がなくて震えてくる。
おいおいおい、さっき綾香ちゃんはなんて言った?
違うだろ? 違うの違うのーだろ?
「はっ、はっ、はぁー、はっ、はっ、はぁー、はっ──」
だが、俺は硬直したまま固まっていた。心臓と肺はフル回転しながら小刻みに排気していたが、口から声が出てくれない。
そしていつの間にか悪魔が側にいて、肩をポンポン叩いていくるがやっぱり声が出ない。
「…懐かしいなぁ。高校出てからこう、三人で揃うなんて無かったよなぁ。松村もよぉ」
…? 松村はこないだ会ったんじゃなかったのか…? いや、同窓会で会っただろ…やべぇ…この記憶飛んでる感じ…相当キレてるやつだ…
「俺はぁ、お前らと友達だと思ってたんだがなぁ。あ? 声もでねーのかぁ? つれねーなぁ」
ゆっくりと抱きついてきて、頬をペシペシと緩く叩いてくる。
声を出せ、声を出せ、声を出せ、声を出せ、声を出せ、声を出せ、声を出せ! 宮田と同じ目に合うのは嫌だぁ!
「ひ、ひさ、しぶり」
「おーう」
「ひっ」
この落ち着いたようなトーンは間違いない…噴火前かよ!? どうなってんだッ!
つーか綾香ッ! 泣いてないで弁解しろやッ!
「あ? お前どこ見ておっ立ててんだ? まだ足りねーってか? まー綾香は良い女だからなぁ…ひゃはッ! ゆーきあんなぁ。まるであいつみたいだ…そう思うだろ?」
あいつ…? 宮田か? 宮田のことか? なんで今言った? でもそれを言えば…おいおい、これは試されてんのか? そうなのか?
つーかお前もおっ立ててんだろッ!
くそっ、この曲が耳障りだ! 落ち着かねえ!
そうだ、違う! この女だ! この女に誘われたって言わないと…! 待て待て待て、いやいや待て待て、まだ未遂で通る!
こいつは何にも知らねぇんだ!
「あなたっ! ごめんなさい…私、金田君と松村君にっ!」
「ああ、いい、言わなくてもわかってる」
違う違う違う! その続き! その続き言わせろよボケェェッッ!! 解釈変わるだろ! 誤解されんだろうがッッ!!
「お、おい、ちょ、ちょっと待て、はは、待ってくれ、そりゃ──」
ねえよ。
そう言う前に、ぶん殴られた。
「ぴぎゃぁッッ!?」
前歯がぁぁあああ!? 痛い痛い痛い!!! また差し歯増えるじゃねーか!?
まるで高1の時の再現だ!
「ひやう、ひやうじょッ! おりぇぎゃしゃそっひゃんひゃ──ふぎゃっ!?」
「ひゃは、何言ってんのかわっかんねーぞ? 綾香の前でこんなことさせるなんてよぉ…」
駄目だ。俺のす、スマホ、警察呼ばねーと! 包丁が! 突き刺さってんじゃねーか!
「おぼッッ!!?」
胸を踏まれ、土下座しようにも起き上がれねぇ!
すると綾香ちゃんがぶるんと乳を振り回すくらいの勢いでこっちを振り向き叫んだ。
「わ、私、私…中に、中に……あなたごめんなさいあなたぁぁあ!」
そして手には包丁を持っていた。手首には血が溢れ、首にも縄みたいな跡がついていた。
そんなの知らないぞッ!?
「ヒャはは、はははは!!」
そして敦志は綾香ちゃんの手からすぐさまそれを奪い、振り上げた。
ああ、思い出す。
その一刃の煌めきは、あの夏の夜を思い出す。
ボコられた時に見上げた夜空に、キラリと光った流星みたいで───俺の胸に吸い込まれるように落ちてきた。
時間を飛び越えたのか、感覚が鈍く、音も消えて、痛みも消えて、視界がモヤがかかっていくのだけが認識できる。
その白いモヤの中、この悪魔の後ろで、女が首に手を添えながら、薄く笑った気がした。
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