第11 - 敦志1

 初夏。じっとりとした嫌な汗が喉元を伝う。冷えた車内から出てすぐこれだ。


 ジリジリと暑い熱が空の真下に痛いくらい照りつける。



「先輩、まだつかないんすか?」


「もう少しだ。ここ入り組んでるからややこしいんだよ。あんまり心配はしてないが、そのだらしない顔はやめろ」


「ははは。すみません」


「結婚二年目って、そんなに楽しそうだったか…?」



 町村敦志。高校を出てすぐに働き出した社会人4年目で、今年で22歳になる。愛する妻ともうすぐ一歳になる一人娘との三人暮らしだ。



「先輩って結婚何年目でしたっけ?」


「もうすぐ…あれ? 10年目かも…忘れてた」


「駄目な夫っすね」


「うるさい。仕事ばっかしてると忘れていくんだよ。お前にも今にわかる」


「いや〜うちは大丈夫っす」


「かみさん、美人だもんな…」



 愛する妻と出会えたことに感謝しつつ、仕事を頑張っていた。だいたいはこの先輩について回ることが多いが、この人は優秀だ。


 学歴のない俺が手っ取り早く昇進するためには、テクを盗む相手を間違えちゃあ駄目だとこの先輩に可愛がられるようご機嫌を取ってきた。


 今では出張する際など、新卒の奴らを差し置いて帯同させてもらえるようにまでなっていた。


 同期入社の奴らは、頭は良いかも知れないが、コミュニケーション不足というか、童貞臭いというか、圧倒的に人付き合いが苦手な奴らばかりだ。


 上司も手を焼いている。


 だいたい褒めてから叱るってなんだよ。


 矛盾してんだろうが。


 尤も、そんな矛盾によく似た思いを幼い頃から信じこまされていたのは俺もだが、綾香によって俺は目覚めることが出来た。


 まあ、それに家族も彼女も持たない独り身の男なんてあんなものかも知れないが。


 使いやすい俺が、そいつらに便利に使われることもあるが、愛する家族の為なら余裕で我慢できる。


 ただ最近はご無沙汰なんだよな。


 いや…焦らしに焦らしたし、週末辺りにでも爆発させようか。



「お前、その顔やめろ」


「あ、顔出てました?」


「いやらし過ぎな顔だ。…というか俺の前だけ崩すのやめろ。イケメンが台無し過ぎだろ…」


「ははは。すみません。代わりにまたテク教えますよ。良かったっしょ?」


「…まったく仕方ないな。ほら着いたぞ」


「はい。しゃんとします」


「よし、行くぞ」



 まあ、いつも通り頑張って口説くとするか。


 人をいい感じで痛めつけるには観察がとても重要だ。それを俺は幼い頃からずっと学んできた。


 それを使い、愛に目覚めた俺にとって人の顔色を伺うなんて、とても簡単なことだからな。


 今ではあのクソ親父に感謝しているくらいだ。





「おい…大丈夫か?」



 その夜、晩御飯の支度中に綾香は何度も指を切っていて、虹歌は泣いたり眠ったりを繰り返していた。



「育児ノイローゼか? 職場のやつも言ってたな。病院行けよ」


「…うん」



 元気がないな…?


 すると綾香はおずおずとハメ撮りのことを聞いてきた。なんだ…そんな事か。



「同窓会…ああ、見せた見せた。つってもドアップだけだぞ? なんだそんな事気にしてたのか」


「…」



 この前の日曜日だ。虹歌が何やらゴソゴソと遊んでたと思っていたら、すっかり忘れていたスマホがあった。


 あの洗脳していた幼馴染が同窓会で錯乱して落としていったやつだ。


 幸い、綾香らが買い物に出ていたからすぐに松村を呼び出して処分させた。中は見てないが、あんなストーカー野郎のスマホだ。あいつもキモがって見ないだろう。


 大方、こんなことをしでかすのは金田だ。近所のスーパーでよく会うらしいし、綾香の気を引く為に「こんなことがあった」なんて言って漏らしたんだろう。


 昔から綾香は人気だからな。



「ノイローゼかと思って焦ったじゃねーか。安心しろって。あいつにしか見せてないから。それに、あー何と言うか、可哀想だろ? 未練でもあったらよ。だからお前の喜んでるところを見せてやったんだよ。ははは」



 ま、それは本当だ。あいつ、同窓会に出てくるなんて、絶対綾香と話したかったんだろう。もちろん裸なんて見せちゃいない。

 

 愛を叫ぶ綾香の気持ち良さそうな顔のドアップだけだ。まあうっかり映ったのもあったけどな。素人には難しいもんだ。



「大方金田辺りがうっかり漏らしたんだろ? 構って欲しかったんじゃないか? ……なぁ、もしかして綾香…怒ってんのか?」


「…ふふ。怒ってないわよ。言われて恥ずかしかっただけ。もうやめてよね?」


「あ、ああ? わかった」



 何だ? いきなり機嫌が良くなったぞ。いや、これは疲れてんのか?


 今日はなんかおかしい…なんだ? ハメ撮りじゃなけりゃ、ネックレスを捨てたのがそんなにショックだったのか?


 誤って捨ててしまったらしいし、虹歌もそれで機嫌が悪いという。


 まあ、とりあえず愛が足らないんだろう。



「ッあ…ん、ふふ、ちょっと今日はだめよ。ほら、手が傷だらけだし…上手くしてあげられないの…ごめんなさい」



 そう言って、力無く笑う綾香の顔に見覚えがあった。


 あの汚いネックレスを見つけてからなくなっていたが、すっかり忘れていた。


 育児に追われていて、辛そうな時の顔だ。


 それを見て、俺は仕事を頑張ろうと思ったもんだ。男が出来ることなんて、話を聞くか、仕事で稼ぐか、セックスで満たすか。それくらいしか出来ないしな。


 そういえば忙しいばかりで、最近は綾香の話を聞いてなかったな。



「それに明日、検査で早いから。虹歌も今日は寝たり起きたりしてるし、夜泣きが酷いと思うわ。だから私に任せて先に寝てください」


「あ、ああ、わかった」



 またお預けか。


 まあ、助かった部分もある。


 虹歌の泣き声はどうも苦手なんだよな。幼い頃を思い出すせいか、何故か中折れしてしまう時がある。気付かれないよう手を使って逃げたし、おそらく大丈夫だろうが、勃起ってのは男のプライドみたいなもんだ。


 こんな事は綾香には言えないけどな。こいつ、絶対気にするだろうしな…


 ふと、洗脳していたあの幼馴染のことで悩んでいた時の顔に、どこか似ている気もしたが、気のせいだろ。


 あの時は大変だったな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る