第10
『おら、宣言しろや』
『俺はあいつが好きなんだ! なんでそんな事しなぎゃっ!』
唐突に殴られるシーンから始まった。敦志が殴る。潤くんが殴られる。
『はいはい、いつまで耐えれっかな? 幼馴染くん』
『あぢいぃぃ!』
寝転がりながらも鋭い目をしてこちらを睨む若い潤くんに、上から腕にタバコを押し当て愉悦の声を上げる若い敦志。
ナニコレ。
世界の音が早くなって風景が伸びていく。
私は…わたしは灰色のときを駆けてその場に急ぐ。心だけ急ぐ。
でもどれだけ急いでも急いでも、過去には戻れない。そんなのわかってる。
だから声だけが出た。
「じゅ、潤くん逃げてッ! 逃げてよ…! ひぃっ!?」
また音が消える。何か聞こえる。虹歌の泣き声だ。ここには居ない。居ないのにそれは聞こえるし、スマホからは聞こえない。
おそらくあの時聞いた叫び声と同じだからだ。また音が消えたんだ。
聞きたくないって、そう言って後悔した音だからだ。
聞きたい。聞かなきゃいけないのに、聞きたくない。
『俺は綾香が好きなんだ! 守るって約束したんだよ!』
『おーおーまだイキがいいなッ!』
『あぎゃっ!』
上からお腹を蹴る敦志。あまりに非現実過ぎて喉が空気を求めて足掻く。
例えばあの首飾りがあればそんなことしないのに、私は喉を掻きむしる。
潤くんはもう何からも守ってはくれない。
「はぁ、はぁ、潤…くん…はぁ、はぁ、酷い…酷いよ…! あっ! くっ…」
遂には、潤くんのズボンに敦志の手が伸びる。顔を逸らしたいけど、逸らしてはいけないと思った。
『はは、粗チンだな粗チン。そんなのは綾香が可哀想だろ?』
『うっ、うっ、うっ…』
確かにそう言ってもおかしくないくらい冷たく固く小さくなっている。触らなくてもわかる。その大事なものを敦志は足でぐりぐりと踏みつける。踏み躙る。
『あっはっは…泣くなって。あーうぜーなッッ!』
『いぎゃぁぁ!』
そうして、大事な大事なそれを、わたしが当時求めていたそれを、容赦なく強く蹴り上げる。
「ぅあ、あ、ああ……」
それでも潤くんの目は死んでない。当たり前だ。
『…う、う、ほ、本当、なんだな…? 綾香に、酷いことしないって』
『お前が諦めたらな。奪う必要ねーから酷いことしなくて済むだろ?』
おそらく敦志の本気を知ったのだろう。潤くんは、鋭い目のまま溜息を小さく吐いた。
これは潤くんの癖だ。
何かを決める時の覚悟の一拍だ。
わたしを襲ってくれた時も見せてくれた大きな覚悟だ。
「…ああ…駄目、違う、違うよ、言わないで…そんなこと言わないでよぉ!!」
また過去に急ごうとわたしは足掻く。でもいくら強く爪を噛んでも過去に飛べない。いくら肌に爪が食い込んでも飛べやしない。
この日はいつ? この日わたしはどこにいたの? 呑気に恋煩いでもしてたの? 溜息なんて吐いたりして?
ほら、ほらぁ…急ぎなさいよぉ…急ぎなさいよぉ!!
「やだよ、やだッ! わたしの気持ちはそこに無いッ!」
『…俺は…綾香のこと…何とも思って…ない…です…』
「ああ…ぁぁあああ!」
聞いた。聞こえた。ここだ。ここからだ。そこにわたしがいない。
なぜいない?
すると画面は醜悪な面を捉えた。
『おっと、ここで綾香からメッセじゃん。ほら、今日はありがとうございましたってよ。うぇへへへ…おーもろ』
そう言って丸出しの下半身を含めて、敦志は潤くんの写真を楽しそうに撮る。
「ああ"、ぞっか…この日は…」
学校の図書室で潤くんのこと相談してたんだ。優しくされて、意外といい人だなぁって、心がホッとした覚えがある。
だからアドレスを交換した覚えがある。
潤くんに誤解されたくないからずっと断ってたんだ。
そして潤くんは、土下座をさせられていた。頭を踏まれ、下半身は丸出しで、尊厳を踏み躙られながらもなおわたしを守ろうとしてくれてたんだ。
ああ……この日だ。この日を境に急に潤くんが冷たくなっていったんだ。
『今度綾香に近づこうとしたら家燃やすからな? ああ、お前のママを犯してもいいんだぜ? ああ!? わかったか!』
『ぐはっ! …は、はい…』
ああ、このセリフでおばさまには黙っていて言わなかったのね……ああ、潤くんらしいな…
◆
これでも足りないのか、敦志は甘くなかった。わたしとの行為を写した動画を、潤くんに送りつけていた。
「これ…わたしの…誕生日…あの日…来なかったのは…はは…潤くん…来れなかったんだね…なのにわたし、わたし、あの日…あの、日に…」
雨で濡れてて。
涙で濡れてて。
そして……ぁ、ぁあ、ああ…
藁を掴んだのだ…
『町村くんそこだめぇぇ…』
『はは、びしょびしょじゃん』
『言わないで…恥ずかしいよぉ…』
『愛してる、綾香』
『…私も…もう一回…して…忘れさせて…?』
画面には、清楚なイメージからはとてもじゃないほどの淫売がいた。
盗撮なのかわからないけど、潤くんを見かぎり、敦志と淫らな行為に耽る女がいた。
ああ、わかる。この時の感情が手に取るようにわかる。
潤くんに振られて落ち込んで出来た穴に、メッキみたいな偽物を流し込まれて打ち込まれてよがり狂っていたのだ。
「あはは、馬鹿だ。馬鹿がいる…馬鹿がいるよ…あはは…潤くん…わたし馬鹿だよね…一方的に恨んでさ…ううん。恨むことで自分は悪くないって思おうってしてた。あいつに逃げた…ごめん、ごめんね…潤くんが何も言わないわけないよね…理由あったに決まってるよね…信じてないの、わたしだった。わたしだったね…17年…助けてくれたのにね…馬鹿だ。死にたいよ…」
でもわたし…娘を一人に出来ないよ…恨んで…いいから…いいえ…もう…恨んですらくれない…よね。
ううん。だったら、潤くん…貴方の為なら私、なんでもするわ。
今、私の世界は灰色なの。
世界は色を失っていて、とことんまで現実味が薄れているの。
でもそれは当然よね。
貴方が見せてくれたあの赤い夕日の色こそが本物の世界の色だもの。
そして、貴方が思い出せない今の時間は、私にとって、神様がくれた救済なのよ。
貴方と私の愛の世界を取り戻せってね。
「……あなた…あなたの愛は、疑っていないわ」
例え、私にとっては下手に塗り重ねた歪なメッキの愛だったとしても。
ああ、私からは綺麗に剥がれ落ちたけれど、あなたの愛は、いったいどういう剥がれ方をするのかしら。
ここ数年、閉じ込めていたその暴威は、どう吹き荒れるのかしら。
金田くんと松村くん…だったわね。
「ふふっ、楽しみね」
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