第12 - 敦志2

 俺の両親は小学校の頃に離婚していた。


 親権を母が放棄したのか、出来なかったのか。原因がどちらかその時はわからなかったが、俺は親父と暮らすことになっていた。


 その頃の親父はアル中と暴力で出来上がっていた。会話の代わりに殴られた。丁寧に学校にバレないように、バレない程度に狡猾に。どれほど酔っていてもそれだけは守っていた。


 昔は優しかった気もするが、どうだったかはもう薄らとしか思い出せない。


 たまに溢していた蒸発、育児放棄、不倫という言葉の意味をちゃんと知ったのは、おそらく中学に上がる頃だったと思う。


『裏切りやがって! あのクソ女!』


 女は裏切る。


 それだけを痛みと共に刻んできた。


 だが、母の思い出など、いい思い出しか思い出せなかった。痛みから逃げ出すために見せていた幻かもしれないが、確かにそこに愛はあったように思う。


 そうして、次第に俺は愛について考えるようになっていた。


『俺はお前を愛しているから殴るんだ』


 親父が偶に溢すこれも愛なのか。愛故に親父は暴力を振るい、その愛を思い出したいがためにアルコールに依存する。この両天秤でジャッジされた俺は、親父にとっておそらく鳥の羽より軽いものだったのだと思う。


 それくらい親父の叫ぶ愛と俺の不健康な身体は軽かった。


 叫び蹴り、煽り飲む。その場にいない相手に対して喚くだけで、俺を痛めつけるだけで手に入る愛などないし、あればそれはただの宗教だとへらへらと愛想笑いをしながら思ったもんだ。


『なあ敦志。お前は裏切らないよな』


 そう言って頭を撫でてくる親父に、キレて殴ったのが始まりだった。


 頭の中が真っ白になり殴ったのだ。


 俺は親父に勝てるようになっていた。違うな。アル中なんてフラフラで、いとも簡単だった。


 その頃の俺は親父並にデカくなっていた。殴り続けられた俺は暴力によって暴力を止め、アルコールも止めた。

 

 これがある種の成功体験だったのだ。


 そうして気づいた時には、親父並みの暴力と狡猾さと、そして愛想を身につけていた。





 綾香と出会ったのはまったくの偶然だった。


 ああ、今でも覚えている。隣の中学の奴との喧嘩の帰りだった。


 一人の女が目撃していたのだ。


 俺としたことがうっかりバレてしまった。関わらず去ろうとしたら、その女は俺に言ったのだ。


「暴力では何も解決しないと思うわ」


 なんて嘘を吐いた。


 それは俺にとって目覚めの言葉だったし、必要な試練を与えてくれた神に感謝しているし、今では必然だったと確信しているが、当時の俺には何も響かなかった。


 暴力で解決しないなんて、どんな世界だと言うんだ。


 世の中はどこもかしこもハラスメントに溢れていた。それを取り締まる法も増えていた。


 はは。抑圧された人間の行動は俺にはよくわかる。


 グツグツと煮込まれたそれはいつか噴火する。そしてバレないように振るって脅すようになる。それだけだ。


 それが人間の真理で、動物の本能だ。


 攻撃性が無ければ、人は人ではないし、動物ですらない。例え倫理を分厚くしても、俺のような目に遭う奴なんて救えない。


 歴史もそうなっているだろう。抑圧すればするほど本能が研ぎ澄まされていく。それが例え法だろうが例え暴力だろうが、それらに怯えれば怯えるほど純度が増して先鋭化するもんだ。


 総量が減った分、不幸の深度が高まるだけだ。


 いつか親父が言っていたパチンコと一緒だ。親父はギャンブルだけは手を出さなかったが、二十年前と比べて随分と店は潰れてるのに、遊んでる人数は減っているはずなのに、売り上げは変わってないと言う。


 つまり自業自得に負けたやつの数が減り、その分一人当たりの負債のデカさが増している。


 それは俺だ。俺のことだ。


 そんなわかりきった話なのに、その女は解決しないと嘯いた。


 そして女は、呆れてモノを言えなかった俺を置いて、走り去っていった。


 その後ろ姿が、何故か妙に気になった。





 それから綾香とは高校で再会した。


 尤も綾香は覚えていなかったが。


 ついつい追いかけて見てみると、何が楽しいのか、ある冴えない男の世話を楽しそうにしていて、付き合っていると聞いた。


 そいつは俺によく似た境遇の男だった。


 まあ、俺と違って母といて、俺のように暴力やヒステリーを受け過ぎたのか、いつもぼんやりとしていて、暴力を失った親父にどこか似ている男だった。


 そしてその男は綾香の幼馴染だった。


 ああ、幼馴染だけはダメだ。


 俺の母も親父とは幼馴染だった。


 だからうまくいくはずがない。


 この歪んだ──いや俺にとってはどこにも歪みなんてない真理だが、二人を観察していくうちに次第に何か胸の中にギラギラと粘つくような、イライラと苛立つような、そんな感情が生まれた。


 その感情の正体を知らないまま、俺は二人を探っていった。


 そしてわかったのは、どうやら綾香は洗脳されているということだった。


 何を言っても潤くん潤くん。


 何をしても潤くん潤くん。


 これはもう洗脳だろう。


 俺の母の時と同じだ。


 暴力を失った親父が昔話を溢していたのだ。


 つまり、また不幸な俺が生まれる。


 それは、摘まねばならない。そう思った。


 だが、暴力を使わずに洗脳を解くのは難しかった。


『暴力では何も解決しないと思うわ』


 ああそうだ。その通りだ。


 不幸なのは俺たちだけでいい。


 だから上手くやってやる。


 そしてあれからおよそ二年経ち、俺は遂に成し遂げた。


 親父の時とは違い、綾香に暴力を振るわずに洗脳から解き放つことに成功したのだ。


 そして抱えてきたその感情が、ようやく愛だと知った。


 ああ、あの日は今でも覚えている。お姫様抱っこから始まり、それに泣きながら蕩けた綾香は、さらに愛してと叫ぶ。


 まあ、他にも何か言っていた気がするが、興奮してあまり覚えていない。


 親父のせいか、どうしても最高に興奮すると頭の中が真っ白になってしまう。


 お互い意識を朦朧とさせながら、もみ合ってイチャイチャしたあげくのもう一度。


『もう一回して?』


 脳が焼き切れたぜ。

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