第5

 実家から帰って三日後、同じマンションに住むいわゆるママ友に招かれお喋りしていた。


 入園はまだだけど、行く予定の幼稚園に通う息子さんがいて、話しかけたのがきっかけで仲良くしてもらっていた。



「浮気…ですか?」


「そうなの。一度されてね。相手は未婚だったし、旦那も騙されたっぽいから、許しちゃったけどね」



 彼女のお腹は大きくなっていて、夜の営みのことをそれとなく聞いてみた。すると話は逸れていって、夫に一度浮気され、しかも許したのだと語り出した。



「それは…すごいですね。私にはとても…耐えられないと思います」


「まぁ、私も昔それで捨てられたことがあってさ。回ってきたんだなって。それを救ってくれたのが今の旦那だったし、だから一度だけなら許すって言って」


「はぁ…」



 なんか凄いなぁ…わたしってまだまだお子様だなぁ、なんて思ってしまった。



「でもそのおかげで今じゃお仕事バリバリしてくれて。あと毎日早く帰ってきてくれてね。あ、育児とか家事とかもやってくれて」


「そうなんですね」



 やっぱり二人の時間をどれだけ増やすかにかかってるのかしら。そのあと「罪悪感いっぱいの顔がなんだか可愛くてさ。もう気にしてないのに」なんて言って惚気ていた。



「それにしても旦那さん、男前よね。ちょっと怖い雰囲気はあるけど。不倫とか気をつけた方がいいわよ」



 あの敦志が不倫? 考えたこともなかった。



「私のところは嘘つくの下手すぎてバレバレだったけどね。ふふっ」



 とても幸せそうに、彼女はそう言って笑った。





「不倫かぁ…」



 お家に帰ってきても、さっきの言葉が頭の中をぐるぐると巡る。


 確かにここ最近は少ない。


 まあ、虹歌いるし、仕方ないのかも知れないけれど…



「いえ、私が信じないでどうするのよ。ねぇ虹歌ちゃ…あら?」



 さっきまでじっと本を見ていたのにいない。


 探すと、いつの間にか、敦志の机の下からあれこれ引っ張り出して遊んでいた。椅子の下を器用に潜り抜けて、奥の方からプラスチックケースを取り出したみたい。



「あーもぉイタズラっ子なんだから。敦志みたい。ふふ」



 虹歌は一仕事終えたかのような満足した笑みを浮かべていた。



「うぃ〜だー」


「ふふ。何なの、その勝ち誇った顔は…でもこんな箱、あったかしら…?」



 A4サイズの大きさ、墨色のような半透明のプラスチックケースの中には、古いデジカメや、スマホ、ヘッドホンやプラグ、蛸足などがごちゃごちゃと入っていた。



『──綾香さんも気をつけた方がいいわよ』



 その言葉が妙に気になった私は、スマホとデジカメを充電してみることにした。



「不倫か…でもこれは結婚前のものだから…」



 関係ないわよね。


 いや、そうでもないのか…もし何か見つかれば、付き合ってる頃の浮気になるのか。


 急にドキドキしてきたわ…


 そういえば敦志、初めて付き合ったのが私だって言ってたわよね。


 心配しすぎかしら。


 でも気になるし…


 そして先にスマホの電源を入れた。おそらくデータは入ってないだろうけど、一応見てみることにした。



「でもこんなスマホ持ってたかしら…」



 有名なメーカーだから誰でも持ってるけど、敦志は持ってたかしら。


 ……きっと付き合う前ね。


 そう思って写真フォルダを開けてみた。


 最新のは真っ黒なアイコン…に時間が小さく載っているものばかりだった。



「動画かしら…」



 そして画面1番上をタップし、しゅるるると一番古い写真に逆戻ってみると、答えがわかった。


 それはありえない答えだった。



「……これ…敦志の、じゃない…」



 これ、潤くんのだ…私とのツーショット写真が並んでる。ああ、懐かしいなぁ。付き合いたての頃の二人だ。


 ああ、アイスクリーム屋さん、クレープ屋さん、たこ焼き屋さん、タピオカ屋さん。


 そういえば食べ物シリーズなんて言って…撮ってたわね…


 今でも胸の奥がちくりとする。痛い。振られた触れられたくない記憶が少し甦る。見たくない、思い出したくない記憶だ。



「……違う、待って。そうじゃないわ。なぜ…」



 なぜここにあるの…?


 私は最後の動画、日付的には私と付き合っていた時期の、真っ黒な動画を思い切って一つ再生してみた。



『いぎゃぁぁああああ!!』


「ひっッ?!」



 動画は、男性の泣き叫ぶ声からいきなり始まった。その声に驚いて、何より恐ろしくて咄嗟に停止した。


 刹那の瞬間だったけれど、少し人影らしきものが動いたのがわかった。


 スマホが古いせいでサムネイルの解像度が荒く、暗い場所なのだとわかった。



「…何よこれ…」



 何なのか、何があったのかは再生すればわかるのだろう。だけど、だけど、怖くて怖くて三角が押せない。


 角は丸く、角張ってないのに、まるで鋭利なカミソリのように薄く鋭く見える。


 それくらい悲痛な叫び声だった。



「今の声って……」


「──うぇ〜ん、うぇ〜〜ん」



 何秒か、はたまた刹那だったのか、私の時間は止まっていて、遅れて泣き声が耳に入ってきた。


 いつの間にか虹歌が泣いていた。


 よほど怖かったのか、あの首飾りを持っていたのに、泣き出していた。



「ああ、よしよし、ごめんね、ごめん…」



 ママも怖いの……娘を思い切り抱きしめながらそう呟いた。自分のその言葉に力が乗ってないことがわかる。



「ぅぇ〜うぇ〜〜ん」


「よし、よし…よし、よし…」



 その虹歌の泣き声が、このスマホから溢れた鳴き叫ぶ声と混ざり、私の頭の中に反芻しながら響き渡っていた。


 そうして、どれくらい経ったのか、虹歌はいつの間にか眠っていた。


 ホッとすると、敦志が帰ってきた。



「おう、帰ったぞ! チェーン外してくれ!」


「は、はぁい! に、虹歌あやしてますからッ! ちょっと待っていてください!」



 私は、急いでスマホを箱に戻して何もなかったかのようにして整えた。



「なんで外してないんだよ。今日帰るって言っただろ」


「ご、ごめんなさい。虹歌と一緒に寝てしまってたの…おかえりなさい。お疲れ様」



 ドクドクとする心を懸命に落ち着かせながら、イライラとする敦志に向かって、私はにこりと嘘の笑顔を作ってそう言った。


 私の中の血流はまだまだ早く、音を立てておさまらないでいた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る