第5
実家から帰って三日後、同じマンションに住むいわゆるママ友に招かれお喋りしていた。
入園はまだだけど、行く予定の幼稚園に通う息子さんがいて、話しかけたのがきっかけで仲良くしてもらっていた。
「浮気…ですか?」
「そうなの。一度されてね。相手は未婚だったし、旦那も騙されたっぽいから、許しちゃったけどね」
彼女のお腹は大きくなっていて、夜の営みのことをそれとなく聞いてみた。すると話は逸れていって、夫に一度浮気され、しかも許したのだと語り出した。
「それは…すごいですね。私にはとても…耐えられないと思います」
「まぁ、私も昔それで捨てられたことがあってさ。回ってきたんだなって。それを救ってくれたのが今の旦那だったし、だから一度だけなら許すって言って」
「はぁ…」
なんか凄いなぁ…わたしってまだまだお子様だなぁ、なんて思ってしまった。
「でもそのおかげで今じゃお仕事バリバリしてくれて。あと毎日早く帰ってきてくれてね。あ、育児とか家事とかもやってくれて」
「そうなんですね」
やっぱり二人の時間をどれだけ増やすかにかかってるのかしら。そのあと「罪悪感いっぱいの顔がなんだか可愛くてさ。もう気にしてないのに」なんて言って惚気ていた。
「それにしても旦那さん、男前よね。ちょっと怖い雰囲気はあるけど。不倫とか気をつけた方がいいわよ」
あの敦志が不倫? 考えたこともなかった。
「私のところは嘘つくの下手すぎてバレバレだったけどね。ふふっ」
とても幸せそうに、彼女はそう言って笑った。
◆
「不倫かぁ…」
お家に帰ってきても、さっきの言葉が頭の中をぐるぐると巡る。
確かにここ最近は少ない。
まあ、虹歌いるし、仕方ないのかも知れないけれど…
「いえ、私が信じないでどうするのよ。ねぇ虹歌ちゃ…あら?」
さっきまでじっと本を見ていたのにいない。
探すと、いつの間にか、敦志の机の下からあれこれ引っ張り出して遊んでいた。椅子の下を器用に潜り抜けて、奥の方からプラスチックケースを取り出したみたい。
「あーもぉイタズラっ子なんだから。敦志みたい。ふふ」
虹歌は一仕事終えたかのような満足した笑みを浮かべていた。
「うぃ〜だー」
「ふふ。何なの、その勝ち誇った顔は…でもこんな箱、あったかしら…?」
A4サイズの大きさ、墨色のような半透明のプラスチックケースの中には、古いデジカメや、スマホ、ヘッドホンやプラグ、蛸足などがごちゃごちゃと入っていた。
『──綾香さんも気をつけた方がいいわよ』
その言葉が妙に気になった私は、スマホとデジカメを充電してみることにした。
「不倫か…でもこれは結婚前のものだから…」
関係ないわよね。
いや、そうでもないのか…もし何か見つかれば、付き合ってる頃の浮気になるのか。
急にドキドキしてきたわ…
そういえば敦志、初めて付き合ったのが私だって言ってたわよね。
心配しすぎかしら。
でも気になるし…
そして先にスマホの電源を入れた。おそらくデータは入ってないだろうけど、一応見てみることにした。
「でもこんなスマホ持ってたかしら…」
有名なメーカーだから誰でも持ってるけど、敦志は持ってたかしら。
……きっと付き合う前ね。
そう思って写真フォルダを開けてみた。
最新のは真っ黒なアイコン…に時間が小さく載っているものばかりだった。
「動画かしら…」
そして画面1番上をタップし、しゅるるると一番古い写真に逆戻ってみると、答えがわかった。
それはありえない答えだった。
「……これ…敦志の、じゃない…」
これ、潤くんのだ…私とのツーショット写真が並んでる。ああ、懐かしいなぁ。付き合いたての頃の二人だ。
ああ、アイスクリーム屋さん、クレープ屋さん、たこ焼き屋さん、タピオカ屋さん。
そういえば食べ物シリーズなんて言って…撮ってたわね…
今でも胸の奥がちくりとする。痛い。振られた触れられたくない記憶が少し甦る。見たくない、思い出したくない記憶だ。
「……違う、待って。そうじゃないわ。なぜ…」
なぜここにあるの…?
私は最後の動画、日付的には私と付き合っていた時期の、真っ黒な動画を思い切って一つ再生してみた。
『いぎゃぁぁああああ!!』
「ひっッ?!」
動画は、男性の泣き叫ぶ声からいきなり始まった。その声に驚いて、何より恐ろしくて咄嗟に停止した。
刹那の瞬間だったけれど、少し人影らしきものが動いたのがわかった。
スマホが古いせいでサムネイルの解像度が荒く、暗い場所なのだとわかった。
「…何よこれ…」
何なのか、何があったのかは再生すればわかるのだろう。だけど、だけど、怖くて怖くて三角が押せない。
角は丸く、角張ってないのに、まるで鋭利なカミソリのように薄く鋭く見える。
それくらい悲痛な叫び声だった。
「今の声って……」
「──うぇ〜ん、うぇ〜〜ん」
何秒か、はたまた刹那だったのか、私の時間は止まっていて、遅れて泣き声が耳に入ってきた。
いつの間にか虹歌が泣いていた。
よほど怖かったのか、あの首飾りを持っていたのに、泣き出していた。
「ああ、よしよし、ごめんね、ごめん…」
ママも怖いの……娘を思い切り抱きしめながらそう呟いた。自分のその言葉に力が乗ってないことがわかる。
「ぅぇ〜うぇ〜〜ん」
「よし、よし…よし、よし…」
その虹歌の泣き声が、このスマホから溢れた鳴き叫ぶ声と混ざり、私の頭の中に反芻しながら響き渡っていた。
そうして、どれくらい経ったのか、虹歌はいつの間にか眠っていた。
ホッとすると、敦志が帰ってきた。
「おう、帰ったぞ! チェーン外してくれ!」
「は、はぁい! に、虹歌あやしてますからッ! ちょっと待っていてください!」
私は、急いでスマホを箱に戻して何もなかったかのようにして整えた。
「なんで外してないんだよ。今日帰るって言っただろ」
「ご、ごめんなさい。虹歌と一緒に寝てしまってたの…おかえりなさい。お疲れ様」
ドクドクとする心を懸命に落ち着かせながら、イライラとする敦志に向かって、私はにこりと嘘の笑顔を作ってそう言った。
私の中の血流はまだまだ早く、音を立てておさまらないでいた。
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