第4話 夢の続き…
引っ越して来るとは…。
確かに、そうでもしなければ、どうしようもない状況です。
「由梨ちゃん」
と、彼は私、犬の私を抱きしめてくれました。初めて、男の人に抱きしめられたと言うのに、私の体は犬。やはり、悲しい…。
それからの彼の行動は早かったです。先ずは店長に電話し、明日から3日間休みをもらったかと思えば、すぐに出かけ、お昼ご飯を買って来てくれました。
モカは目の前のお弁当に目を輝かせ、早速に口を近づけましたけど、それで食べられる筈もなく、彼がフォークに刺して食べるよう教えました。
「もっと、ゆっくり、よく噛んで」
と、やはり、同じことを言っていました。
昼食が済むと、彼は部屋を見て回り、また、外出しました。戻って来たのは、夕方でした。夕食はお寿司と天ぷら。犬の私のご飯は、モカの通訳付きで用意してくれ、
帰る時には、また、抱きしめてくれました。
頼りになる人なのに、犬であるこの身が情けない…。
その夜、私はモカと一緒にベッドで寝ました。
私にとってモカは誰よりも家族です。だからと言って、犬と人間は違います。ちゃんと犬用ベッドを用意しているのに、モカは隙あらば、私のベッドにもぐり込もうとするのです。昨日も、いつの間にかもぐり込み、そのまま、朝に…。
でも、これからは、モカと寝ます。朝起きたら、入れ替わっていることを期待して!!
お休みなさい。
お早うございます。
でも、やっぱり、犬のままでした…。
「ただいま」
そして、キャリーケースと箱を持って、既に我が家のような感じで帰って来た、哲也さんでした。その前に、私の職場に寄り、しばらく休むことを伝えたそうです。
「店の人たちは何か言ってましたか」
「あんたたち、付き合ってたのって」
「それで、何と」
「うん、まあって」
「それより、家の方には」
「友達とルームシェアするって」
午後には彼用のベッドとチェストが届きました。部屋は一部屋空いてます。そこにベッドとチェストがセットされ、キャリーケースの中の着替えを移し替えています。持っていた箱は、ホットプレートでした。母親と暮らしていたため、料理はあまり出来ないとか。
「ホットプレートがあれば、肉も野菜も焼けるし、総菜は由梨ちゃんとこで買って来るから」
そして、いよいよ、私とモカの逆転散歩です。彼も一緒ですけど、マンションから出る時は、やはり、恥ずかしかったです。こんな、リードを付けられた姿…。
何より、暗い風景がこの上なく憂鬱です。青と黄色は見えますが、赤が見えないのです。また、看板等の文字もよく見えません。これが犬の色彩感覚であり、視力も悪いと言うことも、頭ではわかっていても、気分は晴れません。
その点、モカはテンション爆上がりです。あちこち、きょろきょろして、見えるものすべてに反応し、容赦なくリードを引っ張ります。
「モカ!!苦しいわよっ」
その時、信号が赤に変わりました。モカにはその赤色がこの上なくきれいに見えるたのでしょう。赤信号で渡ろうとします。私は必死で足を踏ん張りました。
「ああ、ごめんごめん。モカ、離れるなって言ったじゃないか」
と言って、彼はモカの手を取りました。手を繋がなければモカがどこに行ってしまうかわかりませんから。でも、手を繋いでいる二人を見ると、やはり、羨ましい…。
でも、ここからが、ある意味本番かもしれません。駅の近くに小さなスーパーがあります。
「モカ、いいか。ここから動いてはダメだよ。買い物してくるから、それまでの間、動かず待っていること。いいね、わかったね」
「わかった。動かない」
彼はスーパーの中へ入って行きました。でも、やはり、モカはじっとしてられないのか、すぐに歩き出すのです。その度に私は足を踏ん張り、声を張り上げます。きっと、周囲からは良く吠えるうるさい犬と思われていることでしょう。
人でも犬でも待たされるのは嫌いです。人は5分待てと言われたら、3分しか待たない。10分待てと言われたら、5分しか待たないものです。それ程、待つことは苦痛なのです。
彼が買い物を終えてスーパーから出て来る迄の長かったこと…。
翌日からも、モカの社会生活適応訓練は続きました。家では、私が簡単な家事を教えています。そして、彼はと言えば、ツイッターに「彼女が犬になった」と題して漫画を書き始めたのです。
えっ、漫画の題材のために同居したのでしょうか。それでも、私は文句を言えません。彼がいなければ生活できないのです。毎夜、毎夜。元の姿、人間、山名由梨に戻ってくれることを願いつつ、モカと寝るばかりです。
「わあぁぁぁ」
思わず、私は声を上げました。
何て、明るいのでしょう。色が戻ってきました。
そうです。私は元の人間、山名由梨に戻ったのです。もう、嬉しくて嬉しくて、すぐに彼の部屋に駆け付けました。
「哲也さん」
彼はまだ寝ていました。
「哲也さん。哲也 ! 」
彼は目を覚ましました。
「ああ、もう、朝か。ん、モカ、どうした。由梨ちゃんに何かあったのか」
「ありました」
「えっ、なになに」
彼はすぐに起き上がりました。私は彼に抱きつきました。
「どうした。いきなり。それより由梨ちゃ…」
「はい、その、由梨です。元に戻りましたぁ」
「ええっ、本当 ! 」
その頃には、モカもやって来ました。
「よかったぁ。この状態にいつまで耐えられるか。正直、不安でもあったんだ.でも、よかったよかった」
と、喜び合ったのですが、気が付くとパジャマのままでした。急いで、彼から離れ、着替えました。久しぶりに、人間の朝ごはんです。でも、男の人と二人だけの朝ごはんなんて、初めてなので、ちょっと緊張しました。
彼は仕事に行きました。私はモカを散歩させてから、掃除、洗濯、片付け等の家事に追われました。
そうそう、私が犬だった日から10日ほど経ってます。その間、掃除も十分ではないのですから、忙しいです。冷蔵庫、いえ、冷凍庫のストックがほぼ空です。切って冷凍していた野菜も無くなっています。
昼は彼が買って置いたカップラーメンと残り野菜の炒めもの。温かい食事がおいしいです。
午後から買い物に出かけ、彼のための夕食作りをしていると、何と、彼が帰って来ました。いつもは8時前くらいに帰って来るのに、まだ、5時過ぎです。
「早引けした」
「具合でも悪いの」
「具合が悪い訳ないだろ。ちょっと、手伝って」
と言って、私の寝室へ行きベッドを移動させ、空いたスペースに彼のベッドを持って来ると言うものでした。
そして、ドアをピシャリと締めました。
「絶対に、モカを入れるな」
ああ、そうですね。ひょっとして、また、同じことが起きないとも限らないですからね。今は、まだ、ドアを閉めても暑くないですけど、これから暑くなって来ると、どうしても開けっ放しになります。そこで、モカが絶対に入って来れないような、ペットフェンスも取り付けました。
そして、私と哲也さんと、モカの楽しい新婚生活が始まりました。仕事に復帰すれば、当然、皆さんから冷やかされました。
本当に、夢のような毎日です。こんなにも暖かくて穏やかな日々が、この世に実在したのです…。
そんな、ある休みの朝の10時過ぎ頃、二人で遅い朝食を取っていました。その時、チャイムが鳴りました。
こんな平日の朝から誰だろうと出てみれば、ちょっと険しい顔をした女の人が二人立っていました。
「どちら様ですか」
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