彼女の呪いが解けるとき 6





「・・・・・・ニ! ジャニ!」


 遠くから聞こえていた声が、だんだんと近づいてくる。それがロンの声だと気付いたジャニは、揺すられるような振動を感じてうっすらと目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、自分の肩を掴み、心配そうな顔で覗き込んでいるロンだった。その周りには、ウルド、メイソン、グリッジーの顔も見える。


「・・・・・・あれ、ここは?」


 訝しげに声を上げるジャニを見て、皆の顔がホッと安堵の色に染まった。


「よかった、無事だったか!」

「お前がセイレーンに襲われた時はもうダメかと思ったぜ」


 メイソンの目にはうっすらと涙が滲んでいる。

 ジャニはぼうとする頭で彼らを眺めていたが、何かを思い出したように慌てて飛び起きた。


「パウロ! パウロはどこ!?」


 セイレーンに傷を負わされ、血まみれになっていたパウロの顔を思い出す。青ざめたジャニだったが、ロンが安心させるように笑顔を向けた。


「大丈夫。彼は無事だよ」


 そして、自分の後ろに隠れていたパウロを無理やり押し出す。彼は鼻筋から頬にかけて、顔を横切るように包帯を巻かれており、どこか気まずそうにジャニから目を逸らしていた。


「ちゃんと最後までお前のこと守ってやれなくて、ごめんな」


 どうやら、セイレーンの一撃で気絶してしまったことを気にしているようだ。しかし、無事な姿のパウロを見つめていたジャニは、次の瞬間目を吊り上げてパウロの薄い胸に拳を叩きつけていた。


「いてっ! おい、何するんだよ!」

「パウロの馬鹿!! 死んだかと思ったじゃない!」


 パウロの胸を殴りつけながら、ジャニはボロボロと涙を流していた。その様子を見て、ロンたちは顔を見合わせ苦笑する。

 ある程度泣いて気持ちが落ち着いたジャニは、ふと自分達のいる場所を見回した。

 そこはロンがルーベルを運び込んだ横穴だった。洞窟の上から降ってきたと思われる水晶の柱が、穴の入口の大部分を塞いでいる。皆でこの横穴に避難し、洞窟の崩壊に巻き込まれることから逃れた様子だ。

 横穴の奥の方には、ロンに手当てをされたのか、上半身を包帯で巻かれたアドリアンが横たわっている。こちらを見て弱々しく笑っているので、起き上がる元気はないようだが、無事だったようだ。

 そしてその横では、横たわるルーベルの手を取り、じっと彼女の顔を見つめるクックの姿があった。


「ルーベルは!? 無事なの!?」

「あぁ、息はある。まだ、意識が戻らないがな」


 息急ききって尋ねるジャニに答えるロンの顔も、どこか不安そうだ。


「しっかし、いったいさっきは何が起こったんだ? セイレーンはどうなっちまったんだよ」


 グリッジーが誰にともなく尋ねる。


「あいつがジャニに襲いかかった途端、急に辺りが真っ白になってよ。レヴィアタンも、光に当たったら消えちまいやがったし。何が起こったのかさっぱりだ」


 ジャニは言葉に詰まった。

 先ほど、真っ白な世界でセイレーンと会話したことは覚えていたが、まるで夢だったようにも感じる。自分に起きたことをうまく伝えられる気がせず、ジャニは言葉少なに答えた。


「セイレーンは、消えたよ」


 皆、驚いたようにジャニを見た。パウロが、ハッとしたようにジャニの眼帯を見る。


「そうだ、お前、右目は戻ったのか!?」


 ジャニは再び言葉に詰まった。“セイレーンの涙”を自分ではなくセイレーンに使ったなんて言ったら、皆に怒られそうな気がした。なのでただ黙って、首を横に振る。


「そうか・・・・・・」


 心の底からがっかりした様子のパウロを見て、ジャニの胸は痛んだ。しかし、自分のした選択を、後悔する気持ちはなかった。


「ルーベル!」


 その時、クックの緊迫した声が聞こえ、皆がルーベルに目をやった。

 横たわっていたルーベルの瞼がピクリと痙攣し、やがて、何回か瞬いた後、夢から覚めたような顔でゆっくりと目を開けた。赤褐色の大きな瞳が、不思議そうに自分を覗き込むクックに注がれる。


「・・・・・・クック?」

「ルーベル!! よかった!!」


 わぁっと皆の歓声が横穴に響き渡る。ジャニも飛び上がって喜び、すぐさまルーベルに駆け寄ろうとしたが、クックが無言で彼女を強く抱きすくめるのを見て動きを止めた。勝手に顔が赤らんでしまう。


「お、おぉ」


 メイソンが驚いたように呟き、急に立ち上がって「さて」と手を叩いた。


「じゃぁ、ルーベルも無事だったことだし! 俺たちは残った宝をどうやって持ち帰るか考えるとしますかね!」

「そ、そうだな! 船に戻る方法も考えないとだしな!」


 メイソンとグリッジーはそそくさと横穴を出ていき、ウルドはアドリアンを抱えて彼らに続いた。


「ほら、俺たちも行くぞ!」


 パウロに手を引っ張られ、ジャニは不思議そうに彼を見上げる。


「なんで?」

「いいから! 全く、これだからお子ちゃまは」


 無理やりパウロに手を引かれ、ジャニは横穴を後にした。穴の外には崩壊した洞窟の瓦礫が広がり、その向こうには島の内湾が広がっていた。

 もうすぐ明けそうな夜空は、東の空から淡く差し込む薄明に照らされて、ぼんやりと霞んでいる。夢の中のような柔らかい紺色に包まれた浜辺に、ジャニたちは立っていた。


「ヘヘッ、うちの船長もまだまだ青いねぇ」


 メイソンが茶化すようにそう言って、グリッジーと顔を見合わせながら笑っている。

 ジャニは、最後に横穴を出たロンを振り返った。ロンは横穴を出た後、チラリとルーベルとクックを振り返るようなそぶりをした。

 二人を見る彼の顔には、包み込むような優しい笑顔が浮かんでいた。


「お! あそこ! 俺たちのボートじゃないか!?」


 内湾の一点を指差し、メイソンが声を上げる。確かに、波に揺られて漂っているのは、皆で乗ってきて途中で乗り捨ててしまったボートだった。


「よかった。崖に叩きつけられて、壊れちまっただろうと諦めていたが」

「泳いで取ってこよう! できる限り宝をかき集めて、あのボートに乗せていこうぜ!」


 グリッジーが意気揚々と声をあげ、波を蹴立てて海に潜っていった。その様子を眺めながら、ジャニはじんわりと遅れてやってきた喜びに浸っていた。


 生きている。皆、無事にこの島を出ることができる。長い長い冒険の旅は、ついに終わりを迎えたのだ。

 頬を撫でる海風、靴の裏を伝わって感じる砂浜の感触、耳に心地よい波の音。全てがまるで、新しい世界のようにジャニを包んでいた。


 しかしそれは、まだ本当の終わりではなかったのだ。







「ちょ、ちょっと、どうしたの?」


 ルーベルは驚きに身をこわばらせていた。

 自分を強く抱きしめるクックの背に手をやる。今まで、みんなの前で、しかもこんなに強く抱きしめられたことはなかった。ぶっきらぼうで、人一倍照れ屋のクックからは想像もできない行動に、戸惑いを隠せない。


「どうしたのよ。あなたらしくもない・・・・・・」


 そう言いながら身を離そうとして、ルーベルは黙り込んだ。

 クックが、今まで見たことのないような心細い表情をしていたのだ。思わずドキッとしてしまい、それを隠すようにルーベルは声を張り上げる。


「情けない顔しない!」


 クックの頬を両手で掴み、ぐいっと引っ張る。


「いてぇな、やめろ!」


 途端にクックの顔がいつものしかめっ面に戻り、ルーベルはほっとした。クックの顔から手を離し、周りを見回す。


「ここはどこなの? 私、どうしてこんなところにいるのかしら・・・・・・確か、船の上にいたはずなんだけど」

「・・・・・・まぁ、色々あってな。ここはデイヴィッド・グレイのアジトだ」

「えぇ!? あの伝説の!?」

「そうだ」

「あなたがずっと探していた宝よね!?」

「あぁ」


 こともなげに頷くクックを見て、ルーベルは慌てて辺りを見回した。しかし、周りには水晶の破片や瓦礫が積み重なるばかりで、きらびやかな宝はかけらも見当たらない。


「で、その宝はどこにあるの?」


 目を輝かせるルーベルに、クックはしかし、平然と首を振る。


「洞窟が崩壊して、ほとんど瓦礫に埋まっちまった」


 ルーベルは言葉を無くした。

 どうして自分がここにいるかは謎だが、クックの傷だらけの体を見る限り、ここで熾烈しれつな戦いがあったのは明らかだ。デイヴィッド・グレイの宝をめぐって、彼は必死で戦ったのだろう。

 しかし、それはどうやら報われず、宝を手にできなかったというのに、なぜかクックは欠片も悔しそうな顔をしていない。ルーベルはそれが無性に腹立たしかった。


「こんなに傷だらけのくせに、収穫なしってこと!? なんでそんなに涼しい顔してるのよ、悔しくないの!?」


 ついつい、涙目で怒鳴ってしまう。「なんでお前が怒るんだよ」と困り顔で呟き、クックは懐に手を入れた。


「全くなかった訳じゃない。これだけは手に入れた。手ェ出せ」


 クックに言われ、ルーベルは訝しげな顔をしつつも、右手を差し出す。

 そしてクックが自分の手に乗せたものを見て、ハッと息を呑んだ。


 それは、彼女が命に替えても取り返したいと願っていた、リンドヒゥリカの魂だった。国を失った彼女にとって、その宝石は、自分が守りきれなかった民の冥福を願い、国を想うための大事な依代よりしろだったのだ。

 いつか、クックが彼女に取り返してやると誓ってくれた宝石。その、夢にまで見た宝石が、右手の上で輝いている。

 言葉を失うルーベルに、クックは苦く笑う。


「遅くなって、すまなかった」


 涙を浮かべてクックを見たルーベルは、彼の瞳の中に、失われたと思っていた温もりを見出した。それは間違いなく、自分に向けられていた。

 その眼差しを、自分は今まで、どれだけ待ち望んでいたことか。

 ルーベルの手から宝石が滑り落ちる。クックが慌てて宝石を受け止めるのと同時に、ルーベルは力一杯クックを抱きしめていた。


(どうして、今まで私を避けていたの)


 涙が後から後から溢れてくる。

 喚いて問い正したかった。どうして急に自分を突き離したのか。どうして自分の元を去ってしまったのか。胸が潰れそうな孤独に、自分がどれだけ苦しめられたか。どれだけ、あなたに会いたかったか。


 クックの腕が背中に回され、戸惑い気味に抱き寄せられる。顔をあげたルーベルは、オリーブ色の瞳に見つめられて息を止めていた。

 躊躇ためらいがちに、唇が触れた。もう一度見つめ合い、二人は確かめ合うような口づけを交わした。彼の唇から伝わる熱で、ルーベルの中にあったわだかまりが溶かされ、涙となって頬をこぼれ落ちる。


 ずるいのだ、この男は。たった一回の口づけで、数えきれないほどの腹立たしい過去を消し去ってしまうのだから。


(どうして、こんな男がいいのだろう)


 クックが去ってから、求婚してくる男は掃いて捨てるほどいた。クックより裕福で優しくて頭のいい男も五万と居た。それなのに、どうして。

 どうして自分は、この男にどうしようもなく惹かれてしまうのだろうか。

 クックの骨張った大きな手が、ルーベルの細くしなやかな手を優しく包み込む。


「バルトリア島に帰ろう。一緒に」








 横穴を出たクックとルーベルは皆と合流し、ボートにかき集めた宝を積んで、翼獅子号を目指し島を離れた。

 しかし、内湾を出た彼らは愕然とする。

 いつの間にか、イグノア海軍の軍艦が六隻、島をぐるりと取り囲んでいたのだ。

 その中で、一番の大きさを誇る帆船の甲板に立つ人物を誰よりも早く見出したジャニは、顔色を失う。


「どうして・・・・・・」


 二度と会うことはないだろうと思っていた、祖父の姿がそこにあった。








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