12歳。秋

山下巧


 


27歳


 


横浜FC所属のMF


 


神奈川県にある高校サッカーの名門『京浜学園』で1年生の頃からレギュラーとして活躍し2年3年と高校サッカー選手権大会連覇に大きく貢献し、2年の時はMFながら得点王。3年の時にはアシスト王と大会MVPに輝き即戦力として


 


横浜FCと18歳でプロ契約。なかなか結果を残せないチームの中でアシスト王に2回。5年連続でベストイレブンに選出中と活躍。世代別日本代表にも選ばれた。


 


A代表デビューが20歳の時で日本代表として50試合出場し通算20得点32アシスト。


 


『フィールドの支配者』の異名を持ち。海外クラブからのオファーも多数届いていると噂もある。


 


これが、あの人のサッカー選手としての経歴だ。


 


これだけ凄い人と毎日サッカーをしていると思うとワクワクが止まらないわけだが、当時俺は疑問に思っていたことがあった。


 


何故、海外サッカーへ挑戦しないのか


 


海外のクラブ特に欧州のクラブは誰もが憧れる場所であり自分を高める絶好のステージだ。噂によれば日本の素人でも知っていそうな名門クラブではないもののCL(ヨーロッパチャンピオンズリーグ)に出場するような強豪クラブから複数オファーがきているらしい。


 


その疑問を本人に直接聞いてみると「クラブには凄く世話になったからリーグ優勝をするまでは、このチームを離れない」


と言っていた。当時は意味を十分には理解出来なかったが、後にいかに重い意味をもつものなのか知ることになる…。


 


あのナビスコ杯決勝を見て以来Jリーグに興味を持った俺は毎週TVで試合を観るようになり、練習後あの人と語り合うようになった。おかげで夜遅くなり両親に説教されることもしばしばあった。


 


家は学者で大学の助教授の父と母と小学1年の弟3歳の妹の5人家族どこにでもいる普通の家族だが、両親はどうも俺がサッカーをやることに反対のようで、家でサッカーの話しをすると不穏な空気になる。


 


「遅かったな…」


 


新聞を読みながら無言の圧力をかけてくる父


 


「やるのは勝手だが、迷惑かけるなよ」


 


階段を上がろうとすると父は呟く。


 


「わかった」


 


小声で呟き階段を上がる。


 


「お帰り。遅かったわね」


 


母は妹と風呂に入っていたらしく濡れた髪を靡かせ、優しく声をかけてくれた。


 


「あのさ…。例のお兄さんから試合のチケット貰ったんだけど母さん一緒に来てくれない」


 


母はサッカーに対して否定的な目で見ている面もあるがどんなことでも相談に乗ってくれる。


 


「私じゃなきゃダメなの」


 


母は困った表情で問いかける。


 


「父さんは母さんも知ってのとおり大のサッカー嫌いだし、友達は皆用事があって断れたし頼めるのが母さんしかいないんだ」


 


「そう…考えておくは、おやすみ」


 


階段を降りる母の背中は悲しそうだった。


 


翌週。俺は初めてスタンドでサッカー観戦をすることになった。交渉の末なんとか母に連れてきてもらうことに成功した。


 


試合はリーグ戦最終節でリーグ優勝のかかった大事な一戦であった。相手はJリーグの中でも屈指の強豪クラブ鹿島ファイターズ。1位と2位の直接対決…まさに天王山なわけだ。


 


スタジアムに入り見た中の景色は最高だった。綺麗な緑の芝に席を埋めつくすサポーター、全てが新鮮であった。そして母の表情がどこか懐かしそうなのが印象的だった。


 


当時凄く印象的な出来事もこの時起こった。スターティングメンバーの発表を聞いた時に母の顔が青ざめ、試合開始を前にフィールドに出てきたあの人がを見て俺の言うサッカーのお兄さんと知った時、とても複雑な気持ちだったのか母の表情がこわばっていた。


 


試合は0対0のまま緊迫した展開が続いていた。キーマンであるあの人に常に複数のマークが付き、思うようなプレーが出来ないでいた。そして後半になるにつれチームの要を抑えられた横浜FCは防戦一方になり始めていた。


 


後半ロスタイム。相手の攻撃をシャットアウトしたチームメイトがあの人にパスを出す。カウンターのチャンス…あの人がボールを持った瞬間思わず「いけー」と叫んだ。その声が聞こえたのか一瞬こちらを見て次の瞬間に出したロングフィードは


 


その場にいた全ての人の時間を数秒止めた。


 


美しく伸びて進むボールはあの人のパスを信じて走り込んでいたチームメイトの足元にドンピシャで吸い付いた。センタリングが上がるとセンターサークルから走り込んでいたあの人が勢いそのままにヘディングシュート。ボールはゴール左隅に入りそれと同時にホイッスルが鳴った。


 


あの瞬間、隠していた本当の力を一瞬発揮したようにあの人を間近で見続けてきた俺は感じた。そして俺は優勝決定に喜ぶチームやあの人よりもとても懐かしそうに号泣する母の方が印象深かった。


 


「おっ、優。観に来てくれたのか」


 


優勝セレモニーを終えたあの人が気づいて話しかけてきた。


 


「おめでとう。ヒヤヒヤしたよ」


 


「だな」


 


とびきりの笑顔で俺と話し続けた。


 


「1人で来たのか」


 


「母さんに連れてきてもらった」


 


「優のお母さんか。どこだ」


 


「あの柱の下で俺を待ってる」


 


と言ったころには、すでに母のもとへ向かっていた。走って追いかけるとただならぬ雰囲気を感じた。小さな声で


 


「里穂…」「たっくん…」と言っているような気がした。


 


「貴女が優君のお母様ですか。はじめまして山川巧です」


 


「優の母の里穂です。息子がお世話になっております。今後もよろしくお願いします」


 


そう言ってお互い反対方向へ立ち去っていった。小6の俺でもわかる不自然なやり取りだった。


 


数ヶ月後。母に無理を言って欧州クラブに移籍することになったあの人を見送るべく、空港まで送ってもらった。


 


リーグ優勝とこの年の年間MVPに輝いたあの人にとって、欧州への挑戦はごく自然で当然なことなのだが、あの人とサッカーが出来なくなる寂しさは、この日まで毎日のように一緒に練習しても晴れなかった。


 


「見送りに来てくれたのか」


 


「うん…」


 


静かな時が流れる…


 


「いいか。俺は向こうでもっと大きくなってくるからよ、優はもっと上手くなって同じステージに来い。次にプレーする時はお互いプロ選手としてだからな」


 


「わかった。俺絶対プロになるから…約束だよ」


 


「おう。またな」


 


そう言って遠くにいた母に軽く会釈する動作をし、勇ましい背中を向けて海を渡った。

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