(閑話:最近のおすすめ映画)ウィリーズ・ワンダーランド
いつも古いのばかりじゃ何なので、最近見た面白い映画をおすすめするものです。本日は『ウィリーズ・ワンダーランド』。R4.12.1現在、アマゾンプライムで現在見放題です。
これは『このニコラス・ケイジ、おかしい』の映画です。
簡単なあらすじ。
その男がその町にとどまったのは車止めのスパイクでタイヤがパンクしたからだ。町にある室内遊園地『ウィリーズ・ワンダーランド』で一晩清掃をすれば、修理代金を肩代わりしてくれるという。ところがその遊園地は呪われていた。
この足止めしたのがヤバイやつだった、のこれまでの典型はキアヌ・リーヴスのジョン・ヴィックだけれども、この映画はジョン・ヴィックと同じ方向のヒリヒリした緊張感が味わえる。つまりこの映画は小説でいえば『ホラー寄りのキャラ文芸』なのだ。
この映画のジャンルはホラー映画なのだが、恐ろしいものは2つ設定されている。
1つは『ウィリーズ・ワンダーランド』に出てくる遊園地の呪い。
1つはその男たる『ニコラス・ケイジ』の何をするかわからない人間の怖さ。
これは一般的なホラー映画の襲う怪異と襲われる人間という形をとりつつも、襲われる人間の方も同様に驚異という、ある意味『フレディvsジェイソン』あるいは『貞子vs伽椰子』という対立軸に立地していて、しかも『ウィリーズ・ワンダーランド』側は集団戦の布陣であるため、監督のメッセージとしては恐怖対象は『ニコラス・ケイジ』だと思うのだ。
そしてこの『ニコラス・ケイジ』は実に見事だった。
わざわざニコラス・ケイジを『』でくくっているのは、ジョン・ヴィックがキアヌ・リーヴスでなければ成立しないように、この映画はニコラス・ケイジでなければ成立しないからだ。作中でも『この男』の名前はない。
それは『この男』が作中で一言も喋らないからである。
そもそもニコラス・ケイジは何を考えているのかよくわからない役、を演じることがそれなりにあった。ニコラス・ケイジの無言の表情はなんていうか強い不安を誘うのである。それがこの映画全般で、より強調している。
さて、問題の『ニコラス・ケイジ』の恐ろしさに焦点を当ててみる。
この『ニコラス・ケイジ』の行動原理は通常の人間には理解できない。誤解を恐れずにいえば、この『ニコラス・ケイジ』は自閉症のキャラクターが当てはめられている。臨機応変に対応することが困難で、自分のルールを優先する。この映画で『ニコラス・ケイジ』が設定したのは、『遊園地の清掃を行うこと』と適当に休みを取れよといわれたから『一定の時間清掃したら休憩をとり』、『休憩時間にはエナジードリンクを飲んでピンボールをすること』だ。そこに『襲ってくる化物に対する対処』というのは含まれない。
目の前の化物を退治するのは化物が清掃対象であるためであり、だからこそ動けなくする(殺す)ことは仕事として全くためらわないし、目の前で化物が人に襲いかかっていても休憩時間がくれば人命より休憩を優先する。
その通常一般的価値観からのズレというものに観客は違和感を感じ、恐怖、というか理解不能感を醸造している。
ともあれこの『ニコラス・ケイジ』自体は映画上ではある意味ヒーローとして設定されている。そして実際に作中に登場する人々では到底敵わない遊園地の怪物たちを、『ニコラス・ケイジ』圧倒的な膂力と躊躇いのなさで爽快に破壊していく。この躊躇いのなさ自体が遊園地の化物がいなければ通常のホラー映画では恐怖の対象として描かれるべきものであるが、このようなキャラ配置のために何を考えている『ニコラス・ケイジ』自体に対しては恐怖というより訳のわからなさという側面が全面に出されている。『ニコラス・ケイジ』はあくまでヒーローなのだ。
このへんは絶妙なポリコレ対応を含んでいるのだろうなぁと思う。
最終的な映画の印象は『ニコラス・ケイジの類まれなる違和感と居心地の悪さ』ですが、これほどキャラ文芸的にキャラ一本で殴りかかってくる映画というのはなかなかない。ニコラス・ケイジ好きとあたおかな主人公好きの人は後悔しないと思う。
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