(閑話:最近のおすすめ映画)呪詛

 このコーナーは実に無関係に、最近見た面白い映画をおすすめするものです。本日は『呪詛』。R4.12.2現在、Netfilixで見放題、というかネトフィリオリジナルです。

 これは『新しい拡散系』の台湾映画です。


 簡単なあらすじ。

 ルオナンは昔、ある村で禁忌を犯した。そのため、娘が呪われてしまった。そして呪いを解くために協力してほしいと動画配信サイトで呼びかける。


 内容に入る前に注意です。

 この映画はホラー映画です。そのため過度といえるかもしれないグロや虫といった表現がたくさんあります。とくに虫が苦手な方は、おそらくNGです。

 また、極力ネタバレはさけようと思いますが、その映画の説明上、どうしても避け得ない部分があるため、ネタバレが嫌いな方はそっと閉じて次に移動してくださいませ。


 この映画の特徴は最初から観客を巻き込むことを目的としていることだ。その為の仕掛けの集大成と言える作品である。

 映画というものは昔から非現実を愉しむものとして作られることが多いが、そのリアリティというものを醸造するために様々な手法がとられている。この系統の映画で先駆け的印象がある(本当は劇中ニュース映像とか昔からある手法ではあるのだけど)のは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。御存知の通り内容を現実のように描くモキュメンタリーで、登場人物視点で時には手ブレや何を写してるかわからないというところからもリアリティを形作っていた。

 なおモキュメンタリーを生かしている映画にはスパイナル・タップ やフォースカインドがあり、POVが生かされている映画にはRECとかクローバー・フィールド、パラノーマル・アクティビティのシリーズがある。


 けれどもモキュメンタリーやPOVは、登場人物が現実にいるかのように見せる手法ではあるけれども、それが自分に降りかかると感じられるか、というとまた別のハードルがある。例えばパラノーマル・アクティビティは、ようは心霊映像を自分で取っている映画で、クローバー・フィールドやRECはモンスター災害を自分で撮っている映画だけれど、なんとなくあれはリアルにとってる架空感がある。いうなれば『あの世界にいるとすれば』のリアリティかもしれない。

 そこには基本的に、現実との断絶があるのだ。


 そこでリアリティというものを考えてみると、それは極端に言うと現実として共感できるかという部分になると思うのだ。

 例えば、前回書いた『ウィリーズ・ワンダーランド』は、世界としては完全に架空と捉えられるけれども、『ニコラス・ケイジ』という部分でやけに卑近だ。それは現実に存在する俳優だからだ。それにあの病的な人間像というのは通常人が現実的な悩みとして持ちうるものなので『現実的な共感』を生む。そこにリアリティとそれに基づく感情が自分自身という個人に生じるからだ。

 よく考えたら僕の頭がホラー脳だから発想の起点がそこなのだけど、そんな難しく考えなくとも映画で感動するのも同じ構造である。その場面が自らに降り掛かった時や身近な他人に降り掛かった時、どのような感情を想起するかによってその事象が自身の脳内に働きかけ、感情や情動といったものを揺さぶるのだ。


 さて、この『呪詛』は、単なる感情のリアリティを越えて、現実的なリアリティというものをもたらしてくる。それは『架空』ではなく『現実』にありううか、という問題。

 最近ではミッドサマーがうまいのだけど、この地球のどこか僻地とか田舎町には、ひょっとしてこんな風習が本当にあって、自分が万一行けば同じ目にあうかもしれない、というのが、現実と架空のラインを踏み越えられるかどうか、という部分だろう。ここでも関連するものをそのうちUPするけど、基本的にありうるのかも、と思ってしまうと負け。


 でもこの映画がこのようなリアリティをもたらすのは今の時代だからで、この映画がもし10年前に上映されたら、現在と評価は全く変わっていただろうと思う。10年前と現在と何が違うか。それは動画配信の身近さである。

 昔もストリーミングはあったけれど、それはラジオ放送局とか特定の種族の人間がやっているものだった。けれども現在は一般市民が気軽に動画を取り、ネット配信をする。そしてホラー映画を診る類の人間は、おそらく『呪いの家探検』とか『廃墟探訪』とかいった素人動画を見たことがあるはずだ。

 つまり架空ではなく純然たる現実として認識しうる、恐怖現象への接近というものが極めて身近になっている。視聴者が動画配信者が呪いの家に突撃するのを録画で、時にはリアルタイムで共有しながら見る、というおよそ10年前には考えられなかった形式の情報媒体に接することができるようになった。

 この映画もそのような動画配信と何が違うのか。

 何より主人公は動画配信者を装っていて、その演技が非常に素人臭いのだ。この演出がまた、とても上手い。映画のストーリーラインではありえない意味不明でよくわからない行動を登場人物は取るし撮る。動画配信者のように、その意図を『ブレア・ウィッチのように映画として恐怖を与えるために発露する』のではなく『自分の意図や主張(自らの感情(恐怖)ではない)を視聴者に見せる』ことを主眼に作られている。

 この画像が『ネットフィリックスオリジナル』ではなく、バラバラに細切れになってyoutube(最後の部分は除く)にUPされれば、おそらく現実の動画投稿と区別がつかない。

 このような現代に沿ったリアリティを展開しつつ、つまり視聴者に動画配信者のメッセージを届けることによってある意味リフレイン的洗脳を刷り込みつつ、これが現実としてありうるかもしれない(というか現実の元ネタがあるところもまた上手い)という想起を植え付けながら、そして最後にリアリティのダメ押しをする。

 このパッケージングされた緻密な手法が、とてもソソる。


 最終的な映画の印象は『視聴者が脳内で独自のホラー映画を展開できる映画』です。ネタバレしないで書くのすげ難しいんだけれど、架空と現実の垣根の外し方がとても上手い映画と思いました。これはホラー映画好きには確実にウケる(但し虫嫌いは除く)映画だと思います。

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