下3.4 パリの防衛(4)包囲戦に備える(百年戦争の金貨サリュドールについてこぼれ話)
シャルル七世がランスの戴冠式に出かけて不在の間、イングランドからの軍隊がフランスに上陸してきた。
イングランド摂政ベッドフォード公は、その軍隊にノルマンディーを制圧させるつもりだった。(ノルマンディーの首府)ルーアンへ進軍する際は、摂政自身が軍を指揮した。
パリの防衛と管理は、イングランド陣営のフランス大法官であるテルアンヌ司教ルイ・ド・リュクサンブール、フランス元帥でパリ司令官のリラダン卿、武装兵2000人とパリの民兵(歩兵)に任された。
民兵たちには、城壁の防衛と砲兵の指揮がゆだねられた。この部隊は、パリ市の24地区を代表する「カルティニエ」と呼ばれる市民24人によって指揮された。
7月末から、あらゆる奇襲の危険が警戒されていた。[155]
8月10日、聖ラウレンティウスの祝日の前夜、アルマニャック派が(パリの北東にある小村)ラ・フェルテ・ミロンに陣を敷いている間に、4つの塔と二重の跳ね橋に挟まれたサン・マルタン門は閉鎖された。そして、例年に引き続き、祝祭や定期市に参加するためにサン・ローランに行くことを市民全員に禁じた。[156]
同月28日、国王軍がサンドニを占拠した。
これ以降、誰も街から出ようとしなかった。ブドウの手入れも、北側の平野に広がる菜園で何かを収穫することもできなくなった。物価はたちまち高騰した。[157]
9月初旬、カルティニエ(民兵の隊長24人)たちはそれぞれの担当地区で堀を整備し、城壁、門、塔に大砲を設置した。パリ市の評議会に命じられて、大砲用の石を切り出す職人たちは、数千個の砲弾を作った。[158]
*
パリの行政官たちは、アランソン公から次のような手紙を受け取った。
「パリの総督、商人の代表、市の評議会の皆さんへ……」
アランソン公は彼らの名前を挙げ、雄弁な言葉であいさつした。
この手紙は、パリ市民に評議会に対する疑念を抱かせ、ある身分と別の身分とを対立させることを意図した策略とみなされた。アランソン公に送られた唯一の返答は、「このような悪意ある試みで紙を無駄にしないように」と求める内容だった。[159]
ノートルダム大聖堂の参事会は、民衆を救済するためにミサを執り行うよう命じた。
9月5日、参事会員(世俗の司祭)3人に修道院防衛の準備をする権限が与えられた。聖具室の責任者は、大聖堂が所有する宝物と聖遺物をアルマニャック派の兵士から隠す措置を講じた。彼らは聖ドニの遺体をサリュドール金貨200枚[160]で売却したが、銀製の足と頭部、そして王冠は残した。[161]
(⚠️サリュドール金貨(Salut d'Or):トロワ条約で王太子(シャルル七世)が廃嫡され、イングランドがフランスを統治していた1422〜1453年に発行。イングランドの支配地域(フランス北部)で流通していた。サリュー(Salut)はフランス語の軽い挨拶で、貨幣には英仏の紋章とヘンリー六世が刻印されており、名称・デザインともに両国の和合を表している。当然ながら、フランス陣営からすれば屈辱的な貨幣だろう。現在は別名「百年戦争の金貨」と呼ばれるレア品)
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9月7日の水曜日、聖母マリア降誕記念日の前夜、時代の悪に対抗し、敵の戦意を鎮める目的で、サン・ジュヌヴィエーヴの丘(Sainte-Geneviève-du-Mont)への行列が行われた。宮殿の聖職者たちは、聖十字架を掲げて練り歩いた。[162]
丘には、パリの守護聖人・聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物を納めた聖堂があり、こことノートルダム大聖堂を往復するのが恒例行事だが、今回は迫りくる包囲戦に備えた臨時行事である。
(⚠️聖十字架(True Cross):イエス・キリストの磔刑に使われたとされる十字架。各地の教会でその破片を保存し、聖遺物として信仰の対象になっている)
【追記】近況ノートに、サリュドール金貨の画像を掲載しました。参考までに。
▼近況ノート「サリュドール金貨の画像(別名・百年戦争の金貨)」
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