038 学園に吹き荒れる嵐
貴族学園では婚約破棄の嵐が吹き荒れていた。
「すまない。男の約束なのだ。婚約破棄してくれ」
「お、男の約束って……本気なの?」
「殿下の……いや、もはや殿下ではないか。フィリップ殿と約束したのだ。必ず力になると。危急のときは向かうと」
元ルーランダー子爵令嬢、現ダークフォレスト伯の百人を越える側室の一人である十五歳のヴィヴィ・ルーランダー・ダークフォレストは、教室から聞こえたその声に、またか、という気分になりつつも教室に入っていった。
真紅の瞳に、銀の髪をした造作の良い令嬢のヴィヴィが、クラスメイトに「またなの?」と聞けば「そう、婚約破棄。すごいよね。で、で、で、殿下じゃなくてフィリップ元王子の影響力」とクラスメイトの友人は言う。
(その実際をお姉さまたちから聞いている私から見れば蛮行だけど)
実際は聖女であるウル姉さまの忠言を鬱陶しく思って、思わず口から出てしまった発言を、旦那様が耳ざとく聞き入れて、さらっと拾われてしまっただけなのだ。
どうにも学園では元王子の側近の方々が「昨今の貴族令息たちの婚約事情を鑑みたフィリップ元殿下が、我が配下がひとり残らず婚約するまでは、私もまた独身の男として皆の上に立つ。ゆえの婚約破棄である」と説明してしまった結果、元殿下の
両家の合意の元に婚約を解消するものがいれば、知り合いが婚約破棄したために衝動的に婚約破棄する者、
そして婚約を破棄した令息たちは、いざ元殿下の元へ、とばかりに学園を休学や退学するとそのままに王国軍の駐屯地に走っていく。
なんでも元殿下が兵卒として頑張っているから、自分たちも殿下の部隊へ向かうのだそうだ。なんとも、なんともな
(あー、でもそうでもないって言ってたな)
先輩側室でそろそろ旦那様の子供が産まれそうなシエラ姉さまが言うには、上で威張るだけ威張って、自分たちを見ていなかったと思っていた殿下が――実際は違うけれど――下々である中小貴族の令息のために婚約を破棄した。
その結果、廃嫡となって一兵卒となって一番下で頑張っている。
それがどうにも親の用意したレールの上で漫然と生きてきた貴族令息たちの中でとてつもない衝撃になったらしい。
心理的な革新――それが婚約破棄の嵐の原因となった衝動の源泉であるという。
(男同士の友情なんだろうけど……元殿下、
王家の秘事ではあるが、ヴィヴィが旦那様の正室になったセラフィーナ様と一緒に旦那様に可愛がられているときに、セラフィーナ様がヴィヴィや他の令嬢にベッドの上で話してくれたのだが、夜会で見目の良い令嬢を気軽に口説いては一夜の楽しみを行ってきたフィリップ元殿下は(ヴィヴィは婚約者がいたので誘いには乗らなかったが誘われたこともある)、王族の血を市井に撒き散らして政治的混乱を生み出さないようにと、男の象徴をちょんぎられて、呪いで治癒不可状態にされてしまっている。
そんな状態でも男たちは殿下に男らしさを感じるのだろうか? などと思いながらヴィヴィはおや、とクラスメイトの一人が自分を見ていることに気づく。
なお、フィリップ元殿下は兵卒として兵団に入ったその日の夜に、お綺麗な顔をしていると、尻の処女を先輩兵士たちに散らされている。
そのあとは自分を追って入ってきた貴族令息たちに先輩兵士に襲われているところを見られ、怒り狂った令息たちも殿下を貫くパーティーに参加し、永遠に弄ばれる兵士生活を行うことになる。
これが数年後に、元殿下とその恋人
そんなことはどうでもいいヴィヴィは「どうしたの? こっち見て」と自分を見ていたクラスメイトに声を掛けた。
ヴィヴィを見ていたのは、一週間ほど前にヴィヴィとの婚約を破棄した元婚約者だ。ルーン・アーラバーラ子爵令息。クラスメイトたちに囃し立てられて、なんとなくで婚約破棄をしたものの、駐屯地の元殿下を追いかけるほどの勇気を持てなかった貴族令息だ。
幼い頃からの婚約で、好きあっていたと思っていただけに、ヴィヴィとしてはそのときはショックだったものである。
――今は、本当に、かけらも、フリでもなんでもなく、なんとも思わないが。
「あー、あの、ヴィヴィ?」
「あ、待って。名前呼ばないで? ちゃんとダークフォレスト伯ご側室様とか、ルーランダー元子爵令嬢とか言って? 今の私は、人妻、迷宮伯の側室なんだからね?」
ふふん、と自慢そうにヴィヴィがそこそこ豊満な胸を張って言えば、ルーンは顔を引きつらせた。
「あー、あの、その、婚約破棄をなかったことに、とか」
正気か、とヴィヴィは思いながらも「冗談は顔だけにしてよ。もー。無理に決まってるでしょ。もう
「え、しょ、初夜? も、もう?」
引きつった顔から、青ざめた顔になるルーン。
クラスメイトたちも「自分で婚約破棄したんじゃねーかよ」「ばっかでー。俺だったら絶対にしないね。ルーランダーのご側室様ってめちゃめちゃ可愛くて、婚約者がいなかったらって男子全員が思ってたぐらいだぜ?」「っていうか、速攻だったよな。ほんと速攻すぎたわ。婚約破棄したの見た俺が授業早退して、親説得してルーランダー子爵家の王都屋敷に婚約打診しにいったらもう決まってたし。迷宮伯やばすぎ」そんな声で二人を煽る。
「早すぎって……その、みんな気付いて? ダークフォレスト伯の側室って私を含めてこの学園に百人以上いるんだよ? そしたら、ね? わかるでしょ?」
アクロード貴族学園は、十二歳から十八歳の男女が合わせて千人以上所属する巨大学園だ。
文官、騎士、領主、魔術師などのコース選択などもあるが、それでも現在では、どのクラスでも数名がダークフォレスト伯の側室となっている計算になる。
そんな側室たちは、この婚約破棄の嵐に狂喜した。
高位貴族の令嬢だった迷宮伯側室の多くが、
そう、人材。婚約破棄された令嬢たちは間違いなく、貴重な人材だ。
なにしろ大陸でも有数の巨大国家であるアクロード王国が国策として施している高等教育を数年間学んだ、貴重な
ゆえに学園中にいる側室たちは婚約破棄を見つけたら、すぐさま破棄された令嬢に駆け寄って、相手の令息を馬鹿にしないように(まだ想いが残っている可能性があるため)、捨てられた令嬢たちが運営するサロンがある、お茶会がある、こういうときは一人になってはダメ、などと言葉巧みに自分たちのテリトリーに引き込んだ。
ヴィヴィもその口だ。呆然としてたら迷宮伯の側室のクラスメイトに連れられて、茶会へと参加させられた。ショックで否定する気力が湧かず、為されるがままだった。
そうして捨てられた令嬢がおずおずとお茶会に行けば待っているのは第三王女にして、ダークフォレスト迷宮伯正室のセラフィーナ・ダークフォレストと側室第一位となったカタリナ・ダークフォレストである。
王家の姫と大公家の姫の参戦だ。ここでほとんどの令嬢が頷くだけのマシーンとなる。あまりの身分差に余程の高位貴族でも思考が硬直する。
そしてこの二人が、王家と大公家の威厳で大変でしたね、王家の影響が学園にまで申し訳有りませんと頭を下げつつ、次のご縁を紹介しますわ、とレオンハルトとの茶会を言葉巧みにセッティングしてしまうのだ。
この二人は、学園のあちこちで婚約破棄された令嬢たちを同じように言葉巧みに誘った。誘いまくった。
そうなると当然だが、婚約破棄に呆然とし、将来に悲観し、婚約者に失望した令嬢たちは、仲間がたくさんいて安心して警戒が緩む。婚約者を罵倒し、みんなで力強く生きていこうと誓い合う。
――ゆえに巣に引きずり込まれていることになど気づかない。
じゃあ、放課後に良い所にご案内しますわ。泊まりの準備はこちらで行いますから、友人の家に泊まるとご実家にご連絡を。などと王女から言われれば、警戒心をとくに抱かずに令嬢たちはわいわいがやがやと楽しそうに王女についていく。
そんな令嬢たちを正室自らが放課後に転移魔法で魔の森の拠点に連れ込むと、そのままに傷心の令嬢たちをレオンハルトに
とはいえ、令嬢側に悲壮感はない。ヴィヴィもレオンハルトにぱっくりと食われた令嬢だが、拠点内で振る舞われた美食や温泉、楽しい音楽に酒などで丁寧に下ごしらえされたせいで、行為の最中も全くそういう自覚はなく、直後に施された子宮の直上の皮膚にある淫紋の影響もあって、非常にメンタルが落ち着いていた。
かつてルーンに持っていた淡い恋心は完全に過去のものに――いや、路傍の石より価値のないものになっている。淫紋は施術者であるレオンハルト以外の男性に対する性的興味を失わせる。恋愛的な意味でも、だ。
ゆえに、幼い頃に遊んだかつて仲のよかったクラスメイト程度に位置づけにヴィヴィはルーンを置いている。婚約破棄を撤回なんて以ての外だ。なんでこんな冴えない男のために、金持ちで、レベルが高くて、一緒にいると楽しくて嬉しくて気持ちよくなれるレオンハルトを捨てなければならないのか。
なおこちらは連日連夜多重に使用されたナンパ用スキル群の影響である。
魅了ではなく、純粋な好意なので解呪や治療魔法では効果は消えない。
ちなみに、レオンハルト自身はこの婚約破棄や、正室のセラフィーナやカタリナが令嬢を献上している事情に関してはノータッチである。人材集めも指示していない。レオンハルトは迷宮伯になったことで提出する書類などでいろいろと考えることがあるから忙しいのだ。
ただ寝室に行けば、正室の王女が用意した処女の令嬢たちが準備万端でベッドに並べられているから毎晩ハッスルしているだけであった。側室? オーケーオーケー倉庫には金が大量に積んであるから好きなだけ使って準備していいよ、よきにはからえ、だ。
レオンハルトがここ数日食べた令嬢の中には公爵家の令嬢などもいたが、婚約破棄された令嬢を使って迷宮伯と繋ぎが作れるならちょうどいいとばかりに各貴族家からは文句は来ていない。実際は当主たちも言いたいこともあったが、手を出されてしまった以上、側室に置くのがベターである。
レオンハルトは一応、礼儀として娘さんをもらいますと挨拶にも行って、お茶をもらったりしていた。
閑話休題。
ヴィヴィがそのような裏の事情を語らずに、ただクラスに同じ側室がいるのよ、と言えば、確かにとクラスメイトたちは先程婚約破棄されたクラスメイトの令嬢を探す。
しかし席は空で、側室たちもいなかった。さっそくセラフィーナのところに連れて行かれて、説得されているのだろう。
今更ながらに婚約破棄した令息が顔を青くしている。
自分がレオンハルトに餌を献上しているだけということに気付いていなかったのか、だが「で、殿下のためだ。俺はこの決断を後悔しないッ!」と両腕を組んで椅子にどっしりと令息は息を吐く。すでに令息の心は、兵団で努力しているだろう元殿下の元にあった。なお、この令息はこの後、兵団に行き、再会した元殿下の尻に股間の槍をぶちこむことになる。殿下のために婚約者と別れたのに。向かった先で殿下が男に尻を掘られてたら、怒りでそういう気分になるしかないのである。
そんなこんなで、ヴィヴィは「じゃあ、私も行ってこよっと」と側室の仲間たちの元へと駆けていくのだった。
「あッ……」
元婚約者のルーン少年が、そんなヴィヴィの後ろ姿を、未練がましく視線で追っている。
◇◆◇◆◇
TIPS:ルーン・アーラバーラ子爵令息
ヴィヴィ・ルーランダー子爵令嬢の元婚約者、子爵家の次男坊。婚約破棄当時は十五歳。
軍閥貴族の端っこの端っこ。目立たない位置の少年貴族だったが、元第二王子の婚約破棄の影響を受け、クラスメイトたちに囃し立てられて何も考えずに幼馴染のヴィヴィに対して婚約破棄を行った。
普段はあまり交流のないクラスメイトたちがルーンを囃し立てた理由に、実家がそこそこ裕福なだけで本人はほとんど取り柄のないルーンが、自分たちが持っていない美少女婚約者を持っている事実に、並々ならぬ嫉妬があったことは否定できない。
とはいえルーンも雰囲気に酔っ払ってしまったのか、普段は地味で目立たない俺がクラスで話題になっている! とイキった挙げ句、美少女幼馴染相手に婚約破棄をかますなどという最悪の行動をしてしまっている。
その一週間後に冷静になったルーンがヴィヴィに婚約破棄を撤回しようとするもすでにヴィヴィはダークフォレスト伯の側室になってしまっていて失敗。
父親の上役のルーランダー子爵からは睨まれるわ。親や兄からは呆れられるわと自業自得だが散々な目に合う。
その後はぐだぐだしながら学園を卒業。
卒業後は騎士として地道に働くも、無思慮な婚約破棄の影響は生涯つきまとい、貴族の嫁を貰うことはできなかった
なお、いきつけの酒場の平民と泥酔した挙げ句にワンナイトラブをした(とルーンは生涯信じていた)結果、子供が産まれたがそれは他の男の托卵である。
なお内縁の妻として平民の女性を囲ったものの、ワンナイトラブ以降、夜のお付き合いはなく、ただ女性に金を使い込まれるだけだった。
また男手一つで頑張って育てた娘はパパのお嫁さんにはならず、十六で近所のヤリチンに引っかかって家を出ていくなどをして、本人は非童貞と思い込んだまま童貞で生涯を過ごす。
また晩年は、騎士団勤務を平騎士で終え、内勤に回されるものの、何事にも要領が悪く、若手の部下に怒鳴られながらストレスでハゲ散らかして死去。
本人はちゃんと経験があると思いこんでいたが、女性経験はヴィヴィと幼い頃にほっぺたにキスをした程度。
学園で流行りに流され、イキって婚約破棄をしなければ、美少女の嫁をもらって、血のつながった子供もいて、嫁の父親のコネで騎士団でそこそこの待遇を受けられた模様。
◇◆◇◆◇
魔の森内部にある迷宮伯の拠点、その巨大な寝室の隣にある執務室に一人の美少女がいた。
室内は電灯の魔道具で昼のように明るいが、窓の外は夜闇で暗く、またそれなりの広さの執務室に一人でいるために寂しい印象は拭えない。しかし少女はそんなことは気にしないとばかりにペンを動かしていた。
「これで、よし、と」
何枚もある羊皮紙にペンでさらさらと書き込みをすると、ドライヤーの魔道具でインクを乾かし、満足そうに少女は頷いた。
そこに扉の方から声がかかる。
「セラフィーナ? 何してたの?」
「あら、カタリナ? まだ寝てなかったの?」
執務室にいたのは第三王女にして、ダークフォレスト伯正室の『銀天使』セラフィーナだった。
彼女は自身と同じアクロード王国十四美女の一人にして、『女帝』の異名を持つ側室第一位のカタリナへと顔を向ける。
夫婦の寝室には数十名の令嬢たちが肉の布団となってレオンハルトと交合をしていることだろう。
淫猥なる宴に今まで参加していたカタリナは、奇妙な気分でセラフィーナと対峙し――セラフィーナが苦笑して、羊皮紙をカタリナに向けて見せた。
「今日参加した令嬢のところに出すお手紙ですよ」
「ああ、側室にするのね」
「カタリナ、警戒しなくても淫紋があるので私は
沈黙、カタリナが観念したように言う。警戒は溶けていた。
「……便利よね。淫紋」
「実に」
二人の言葉に込められた
「毒とか刃とか、そういうの全然気にしなくていいんですよ、
「そうよね。私も、毒味が必要ない生活ってすっごい久しぶり。王城だともう、冷え冷えのご飯を、めちゃめちゃ仲悪い女どもと食べるのよ? 王妃教育もねぇ。今思い出せば、あれはちょっと心がおかしくなるわ」
『我が恩讐は蛇が如くに絡みつく』でレベルを50使って、半年分の健康と幸運と厄災回避を得ている二人は毒味の必要性を失っていた。なお、この幸運はかなり強く、王城で夕食を食べていたところ、
レベル50ともなれば平凡な戦士では生涯至れない武の極地である。それほどのレベルを犠牲にして得られた幸運は、ただの暗殺程度ならば回避してしまう程度には強力だった。
この幸運を突破するには、同じ程度の代償を払う必要がある程度には。
また、加えてレベル50を維持することで得られるHPや、レベルの上昇で発生した様々な耐性スキルが二人にはあった。
――もはや、ただの食事に怯える必要はないのだ。
仮に毒に当たっても、即死しなければレオンハルトが救うだろう。
セラフィーナの機嫌は最高潮に良かった。この世に生まれてからずっと感じていた死の危険がここにはない。加えて、あの気持ち悪い婚約者もここにはいない。いや、元婚約者か。
「でも嫁入り予定のイェリイェスタ大公家ではよくしてもらってたんじゃないの? 暗殺を気にしないで済む程度には」
「
もー、とかつての婚約者家での生活を思い出して、セラフィーナは口を尖らせる。
「溺愛っていいっても限度があります。いつ襲われるかずっとヒヤヒヤでしたし、食事も、なんというか、婚約者が俺が作ったんだよって言いながら、自分の精液を仕込んだ料理を持ってくる気持ちってどう表現すればいいんでしょうね」
ひぇ、っという声がカタリナの喉の奥から溢れる。
「マジ?」
「マジがどういう意味の言葉かわかりませんが、そのマジです」
まぁ、気に食わないメイドに食べさせて回避してましたが、とセラフィーナは言う。
「食事のときには隠し持った鑑定スキル付きの魔道具は必須ですよね。ちゃんと詳細項目に『精液混入』って出てきますから」
「えぇぇ、そこまで見てなかったかも。原材料は、よくわからないの多かったし」
ニュタペコット(アブリミナル島原産)とか知らないわよ、とカタリナは言う。
「あー、誰かの精液入り料理とか口にしてる可能性ありますよ。王城は変態が多いですから」
ちょっとした高位の貴族が王女の食事を運ぶ一団を呼び止めて、その場で精液をぶっかけていたこともあるという(イェリイェスタ大公家に密告して処刑済み)。ゆえに王城ではホワイトソース掛けです、とメイドがメニューを言ったときはセラフィーナは食事をしないことにしていた。
「変態多すぎでしょ王城」
「神授スキルが優秀だと、頭がパーになるんでしょうね」
カインが生きていれば、変態が多いのはエロゲ世界だからな、と言っていただろう。それが真実の全てではないが、高位貴族に変態が多いのは、そういうシナリオが混入した側面も存在する。
とはいえ、そんなことを知らない二人は軽口を言い合いながら、本当にここに来てよかった、と言い合っていた。
淫紋の家族化は、個を群に変換する。もはやセラフィーナもカタリナもただのセラフィーナやカタリナではないのだ。
『レオンハルトの女』、そういう群れの一部である。数多の魔力持ちの女に刻印された淫紋は、そのような存在に変化していた。
しかし二人の少女たちは、それを知りつつも、心から境遇を感受していた。
それは個人の幸福欲求が群体の幸福欲求に飲まれることで消滅したなどという面もあったが、周囲のすべての側室が信頼できる存在になるという巨大すぎるメリットに比べれば、そんなデメリットは些細なものでしかない。
個我は残り、群れの幸福を追求するついでになら自身に残っている幸福欲求を追求してもいい。そんな余地があるだけで二人には十分だった。
カタリナは言う。
「たぶん、私ってあのまま第一王子の婚約者のままだったら殺されてたのよね」
セラフィーナにカタリナは自身が暗殺される予測を語る。それは、この世界で初めて吐露するカタリナの事情だ。
カタリナはレオンハルト以外には話していないが転生者だ。
乙女ゲーム『アクロード恋物語』を遊んでいた元OLの女性。
それが気付いたら幼少期のカタリナ・サドゥルサドゥナに生まれ変わっていて、シナリオ通りに生きるものかと努力していたらいつの間にかアクロード王国十四美女とかいう原作ゲームにはなかった存在になっていた。
そんな不思議なこともあったが、それだけだった。
カタリナが行ったシナリオ回避の努力は無意味だった。
ゲームの強制力というよりは、血統と名声ゆえに王家の打診を回避できずに第一王子の婚約者になってしまったからだ。
そのあとも延命のために努力は続けていたが、どう説得しても、やってもいない学園でのいじめを婚約者に追求されるようになり、シナリオブレイクは不可能だと思われたところに、原作にいなかった謎の存在である迷宮伯の側室にされてしまった。
レオンハルト・ダークフォレスト、原作では登場すらしなかった男の側室に。
カタリナはセラフィーナにそこまでは語らずに、ただいずれ王子からは邪魔に思われて殺されていたと語る。
セラフィーナは頷きながら、自分も不安だった、と語った。
「……私は、たぶん発狂してました。
溺愛――愛されすぎて日常的に異物を食事に混入され、愛されすぎて四六時中監視されて、愛されすぎて手紙の中身を見る前に検閲されるような婚約者の家は最悪だろうな、とカタリナは苦笑する。歩く姿すら始終注視され、息を吸って吐くだけでも嬉しげにため息を吐かれるなど、気色が悪すぎて生きていけないだろう。
ふふ、とセラフィーナがそんな全ては過去だとばかりに言う。
「ここって、なんでも好きなことしていいらしいですよ」
セラフィーナが「だから夜ふかししてます」と言って、カタリナは「悪い子だわ。でも私も悪いわね。ここのご飯が美味しくておかわりしちゃった」と笑えばセラフィーナが「悪いお姉さまです」とにこにこして言った。
お互い知っている。夜ふかしすれば寝かせ役のメイドが折檻される。鞭で背中から血が吹き出すまでだ。
おかわりも禁止だ。王城では出された分だけ食べて、おかわりを要求してはならなかった。もっと食べたいなどと言えば、王族へ出す料理の配分を間違えたコックが処刑される。席に対して人が余りすぎているがゆえに刑罰は苛烈だった。一つのミスも許されない程度に。
「お姉さま、私はこの生活を守らなきゃって思うんですよ」
「だから
「
淫紋、度し難いエロい効果がある刻印。だが、信頼の決め手はそこではない。
この淫紋には施術者への魅了効果がない。刻まれただけではレオンハルトに対して好意をもたないのだ。
そして家族化は個我を薄くするものの、人形にされたりはしない。
せいぜいが側室全体の幸福のために行動するようになることと(レオンハルトのためではない。淫紋を刻まれたグループ全体の幸福のために行動したくなるだけである)、夫以外の男性に対する興味が消滅するだけだ。
変わらずに嫌なことは嫌だし、嫌いな人は嫌いなまま。
グループの人間に対する傷害禁止は特に称賛できる機能だった。契約魔法を元にして作られた淫紋による、魂に刻まれる、
周囲すべての女性が淫紋持ちであれば、二人は周囲を警戒することなく過ごすことができる。
ちなみに、二人がレオンハルトに好感を持っているのは、レオンハルトが二人に自由を許してくれるからだ。なんでもフォローしてやるから
だから二人は今までやらなかった勢力作りをやっている。学園の令嬢を取り込んで、その実家に影から手を伸ばせる体制を整えている。
令嬢たちの実家に話を通さずに、レオンハルトに献上して淫紋を刻印させているのはそのためだ。すべてが手遅れになってから賠償金や魔道具を渡して有耶無耶にして、側室にしてしまう。
淫紋を刻まれた令嬢たちは喜んで実家の説得を行うようになる。
彼女たちはレオンハルトの隣にいたいのではない。
そして令嬢たちの実家は強者であるレオンハルトには逆らえず、苦々しい気分で、だが婚約破棄された令嬢の使いみちが決まったことで最低限の納得をしてしまう。令嬢たちに、淫紋という毒を仕込まれていることを知らずに。
そうやって、二人は勢力を増やしていく。淫紋持ちの女性を増やして、群れの支配領域を増やしていく。
最終的には学園内の女生徒の全員が淫紋持ちになればいいと考えている。そうすればきっと快適な学生生活を送れるようになるし、淫紋持ちが社交界に出れば、それはそのまま、百人以上の軍勢となる。
ついでに学生令嬢を迷宮伯に献上するシステムを学園に残しておけば、定期的に令嬢を収穫できるようになる――しかし、とカタリナは思った。
「うーん、全員は嫌か、な?」
「……あー、私もちょっと嫌いな人はいますね」
「王子にすり寄ってるビッチのアンとか?」
「それもですが、イェリイェスタ家の人ですね。私のこと好きすぎて、話が通じないので」
「話が通じないのはいやね。庶民のアンも、それを信じる王子も全然会話できなかったし」
王子も愛に狂わされてたのだろうか、と考えながらカタリナはセラフィーナと談笑しながら立ち上がる。寝室からは未だに令嬢たちの嬌声が響いている。身体も冷えてきたし、側室令嬢たちの肉布団に入り込んで休もう。
しかしこの勢いなら今日で何人か妊娠するかもしれないな、と考えながら二人は自分たちも年内には孕まされるだろうと覚悟していたし、近々出産するだろうシエラたち先輩側室たちを見て、家族が増えるのは嬉しいなとも考えてしまう。
(これは貴族的、というよりも迷宮伯のハーレム的な価値観よね)
カタリナに現代日本の価値観は残っているが、やはり貴族教育や王妃教育を十数年も受ければ思想は汚染される。貴族的な思考が先に立ってしまう。
(まぁ、その思想が淫紋でちょっと変わったのが今だけど、ね)
淫紋を仕込まれる前のカタリナならばセラフィーナをなんとかして殺害していただろう。王族ゆえに暗殺の利用を苦にしないセラフィーナを放置すると自分が殺されるからだ。
そしてセラフィーナを殺したあとはレオンハルトの正妻の座に座っていただろうし、有象無象の側室令嬢たちも次々と毒殺していっただろう。
貴族ならば側室を許すという思考はあるものの、レオンハルトの側室はあまりにも数が多すぎて、誰が危険かわからないからだ。
もちろん今は淫紋のおかげで、彼女たちを愛する家族として可愛がれるから、たくさん増えてもむしろどんとこいぐらいになっている。
だが、やはりOLとしての前世ではなく、貴族教育で得られた残忍な部分が自分にあることをカタリナは自覚している。
だがレオンハルトは言う。それを止めなくていいと。その残忍さをも好きにしろと言われていることにカタリナは喜びを覚える。
だからカタリナは、そういう残忍な部分は、ハーレムの外にいる貴族令息たちに与えてやることにした。
婚約破棄された令嬢を、撤回を行えないような速度で素早く寝取って、自分たちの陣営に加えるのだ。
婚約者を奪われた令息の将来は地獄がごとき有様になるが、全然気にならなかったし、時々文句を言ってくる、婚約破棄してから令嬢への好意を自覚したBSS野郎はさっさと死んで犬の餌になれぐらいに思うのだ。
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