017 貴族令嬢、目覚めの朝



 金髪に碧眼の絶世の美少女、シエラは気怠げにベッドから起き上がった。

 貴族であるシエラ・カノータスから見ても隔絶した超越者であるレオンハルトと名乗った少年の転移魔法によって、彼の拠点に連れて帰られた翌日である。

 シエラは全裸だった。美しいその肢体のそこかしこには淫猥な理由によって発生した体液が付着している。連れ込まれて早々に抱かれたのだった。

 昨夜のことを思い出し、顔を赤らめたシエラは自分の下腹部を見た。

 そこにはレオンハルトによって刻まれた、卑猥な形をした紋章である『淫紋』が刻まれている。

 淫魔型モンスターが主に扱うとされる性魔法。それを習得しているレオンハルトによって刻まれたこの紋章の効果は様々だ。

 快楽の増大を目的とした効果を主として、母体の健康維持、強制排卵、子供の雌雄に、産まれる子供の数の操作などなどの悍ましいもの。

 もっともこれは魔物が人間を苗床をして繁殖するに当たって使われるものでレオンハルトも使おうとは思っていない。

 レオンハルトが言うには、それらは淫紋を刻んだ際に得られる副次的な効果であるということで、レオンハルトが目的とする効果ではないのだという。

 彼が淫紋を刻んだ目的は、淫紋を刻まれたことで発生する、魅了の状態異常対策である『魅了無効』と、レオンハルト以外の人間から性的刺激を受けても何も感じなくなる効果に加え、同じ施術者から淫紋を刻まれた人間同士で発生する特殊な状態変化ステータスである『家族化』の付与バフだった。

(NTR防止、ざまぁ防止とか言ってたけど。なんのことかしら?)

 なお『家族化』は、この効果を持つ人間同士の戦闘行動を抑制し、親しみと好感を得やすくなる効果がある――とレオンハルトはシエラに説明していた。

 そしてこの淫紋魔法、レオンハルトがシエラを手に入れた日にシエラの美しさを見たレオンハルトが危機感を覚え、自力で編み出したものらしい。

 そのためか昨晩は、この館のメイドたちもシエラと一緒に淫紋を刻まれていた。

(はぁ……自分で魔法を生み出すとか……才能の無駄遣いとはああいうことを言うのかしら?)

 レオンハルトの超越具合は転移魔法やゴーレムの作成などでも痛感したが、一日で新しい魔法を編みだすなんて尋常の才覚ではない。

 それに、この淫紋は発想や構成のみ既存のものを借りているだろうが、魅了無効など一部の効果の都合の良さから、おそらくレオンハルトのオリジナル淫紋魔法と思われた。

 あれでまだ十五歳にもなっていないというのだから末恐ろしいにも程がある。

 加えてレオンハルトは他者のスキルを借りることのできるスキルを持っているらしい。

(だから更に拠点に女性を増やすみたいだけど……)

 淫紋が必要なのはそのためなのだと言う。

 集めた女たちの中で殺し合いが起きないよう、対策に淫紋が必要なのだとレオンハルトは言っていた。

(そう……そうかもね。確かに自分の中に、以前の自分とは別の基準が作られたのを感じるわ)

 シエラは淫紋を撫でて、もう自分が以前の自分に戻れなくなったことを自覚する。

 幼い頃に幼馴染とした約束を思い出す。心中のみで(ごめんなさいアレックス)とシエラは呟いた。

 そうしてから窓を見た。ガラス窓ではない。木窓だ。開いていて、朝の冷たい空気が入り込んでくる。濃い森と魔力の匂いがしてシエラは少しだけ呼吸を整える。

「魔の森、なのよね……」

 『魔の森』はこの世界に存在する数少ないSランクダンジョンの一つだ。

 踏破不可能、拠点構築不可能とされる、邪神が見る泡沫の夢。それがこの現実侵食型ダンジョン『魔の森』だ。

 そこに自分がいるという事実に、心中に恐怖が湧き上がる。

 いつ死ぬかわからない現状、頼れるのは転移魔法を使えるレオンハルトのみだ。

「正気じゃないわよね。絶対」

 誰もおらず、屋敷を囲む巨大な防壁の向こう側からレオンハルトが設置しているゴーレムとモンスターの戦闘音が聞こえてきて、怖くて独り言を呟いてしまう。

 肩を自分で抱こうとして、べたべたと身体が卑猥な体液で鬱陶しくて立ち上がる。ベッド脇のテーブルの上にベルが置いてあり、シエラはそれを揺らして音を鳴らした。

 この館には連れてきた側付きメイドのレイラと下女のばあや・・・に加えて、レオンハルトの妾である五人のメイドがいる。ベルを鳴らせば一人ぐらいやってくるだろう。

 そうして少し待てば、連れてきた側付きメイドであるレイラがやってきた。

 銀髪紅眼の美少女メイド。その器量はシエラに匹敵する。

 また子爵領の地元豪族であるアレックスの家の養子ゆえに、身分も平民より上、貴族より下に位置している。

 そのためか、学園ではシエラに対してレイラを側室として譲って欲しいと言ってきた貴族令息も多かった。

 そしてそのレイラもまたレオンハルトの毒牙にかかっていた。

 彼女の腹部にも、淫紋が刻まれている。

 昨夜シエラとともに刻まれ、レオンハルトによって同時に啼かされたことをシエラは思い出す。

 胸中にはエロガキが、という感情があるものの、何をしても無駄だという諦めの感情や、レイラという信頼できる幼馴染と同時に処女を失った妙な共感がシエラに全力で怒りを抱かせない。

 シエラを正室に、レイラを側室にして愛しいアレックスと二人で結婚し、故郷を発展させる。そんな幼い頃に見た夢もあったが、それはもう、思い出の中で、たった一晩でモノクロじみた郷愁へと変化していた。

 そしてその郷愁さえ、淫紋による家族化の効果か、いずれ思い出しもしなくなるだろうという予感があった。

「レイラ、身体を拭いてくれる? 昨夜のが残ってて気持ち悪いわ」

「シエラお嬢様、お風呂はいつでも入れますが、入りますか?」

「いつでも入れるの?」

「はい。旦那様・・・がそういうゴーレムを設置しているそうです」

「ゴーレム……魔道具並に便利よね。あれ」

 拠点とレオンハルトが呼ぶこの館の中には様々なゴーレムが存在する。

 円筒形で人間並の大きさのゴーレムが掃除のために徘徊しているのを見たときは、なんだこれは、と思わずレオンハルトに聞いてしまったことをシエラは思い出す。

 侵入者対策のための衛兵代わりにもなっているらしいが、シエラからすればああいうものにまで常時魔力を流して維持しているレオンハルトの規格外さを思い知らされる気分だ。

 そもそもゴーレム魔法なんてものが存在すること自体、シエラは初めて知ったのだ。

「それと、シエラ様。旦那様が先程――」

「レイラはレオンハルト様のこと、旦那様って呼ぶことにしたんだ?」

「……館の主人ですから」

「そう。じゃあ、私も旦那様って呼ばなきゃね」

 シエラの立ち位置はよくわからない状態だった。妾なのか戦利品なのか。シエラとしては正室などという贅沢は言わずとも、側室辺りに転がりたいところだ。

 それが父親である子爵の願いでもあるし、シエラの今後の立場の盤石さにつながる。

 父にここに来る前に言われたことを思い出すシエラ。


 ――あの怪物を、会話不能の怪物にしてはならない。


 子爵のその言葉の意味はわかっている。シエラにレオンハルトを制御せよ、という意味だ。

 レオンハルトは超越者だ。怪物だ。

 だがまだ話のできる怪物だった。

 ゆえにあれ・・を王国に仇をなす怪物にしてはならない。

 今の、慈悲深い、優しいというよりも甘いままのレオンハルトでいさせよ、と父はシエラに命じていた。

 そのためにはレオンハルトにより近い位置にシエラは居続ける必要があった。それが側室という立場だ。

(でも、難しいでしょうね)

 寝物語にメイドたちの話を聞いたが、レオンハルトが実家である貴族家を出てまだ三日しか経っていない。

 だというのにもうこんな拠点を作り、大量のミスリル貨を入手し、王国でも有数の美少女であるシエラまで手に入れた。

 レオンハルトは止まらない。それは予感にも似た思いだ。

 ただ過ごすだけでレオンハルトは様々なものを手に入れていくだろう。

 レオンハルトの所有物であるシエラもまた、その恩恵を受けるだろう。

 だが、シエラは内心で苦渋を浮かべる。

(私には、美貌しかない)

 シエラからレオンハルトに渡せるものは、己の肉体しかない。

 まだシエラは若い。美貌は熟し、美少女は美女となる。シエラの価値は十数年は上がり続ける。

 能力や学識は学ぶことも、鍛えることも可能だろう。自分の価値を高める余地はある。

 だがそれらはいずれ衰える。年月はシエラを劣化させる。

 美貌は老化とともに衰えていく。知能は脳の劣化とともに消えていく。

 そのときにも、自分はレオンハルトの隣に居続けられるだろうか?

(愛さなければ……すべてを捧げて、一片でもいい。レオンハルト様の寵愛を受けられるように努力しなければ)

 恨みはあった、諦めもあった、だがそれらをシエラは捨て去った。

 何もしなければきっと、どこかで捨てられる。

 レオンハルトにその気がなくとも、シエラと似たような令嬢たちがレオンハルトの傍に増えていく中で、一番古いシエラは顧みられることなく、打ち捨てられるときがくる。

 何もしな・・・・ければ・・・


                ◇◆◇◆◇


 それで、とシエラはレイラに問いかけた。レイラが「旦那様が先程」と言ったところでシエラが言葉を遮ってしまったからだ。

 シエラが黙って何かを考えていた姿を見守っていたレイラはシエラの言葉に思い出したように「ああ、旦那様がロビーに道具を設置したので、気が向いたら使うようにとのことです」とシエラに伝える。

「道具?」

「なんとも言いにくいのですが」

 レイラはシエラにそれを伝える。シエラは「は? なにそれ?」とレイラに問い返した。

「私も最初は冗談だと思ったのですが、性行為で旦那様をいい気分にさせたことでそれが戦闘補助という括りに判定されたらしく」

「旦那様の取得経験値が、抱かれた私たちにも流れ込んだ、と?」

「はい」

 レオンハルトのゴーレムが今もこの魔の森で戦闘をしていることは知っている。その総数が途方もない数だということも。

 館を覆う外壁の外からは戦闘音が聞こえてくるし、拠点の壁の出入り口には多くのゴーレムが、魔物の死体を荷車型のゴーレムに乗せて戻ってくるのも見える。

 不眠不休で戦うゴーレムたちによって運び込まれる魔物素材の数は膨大だ。

 一つの都市の冒険者ギルドで扱う魔物の総数を越えるほどだろう。

 しかもその魔物はSランクダンジョンの中層魔物だ。人類国家が乾坤一擲で行う大討伐と同じ規模のことを、レオンハルトはたった一人でやっているのである。

 そして、その膨大な経験値の一部がシエラたちに流れ込んだ、とレイラは説明してくれる。

 しかしどうにも実感は湧かない。

「そう言われると思いまして」

 これを、とレイラは小さな道具を手渡した。

 『鑑定』のスキルが付与されている道具型ゴーレムだとレイラは言う。見たことがない形だった。四角いガラス板にボタンがついている。ボタンを押すことで鑑定ゴーレムを向けた先の対象の詳細、レベル、スキルなどを表示するだけの簡易的なものだとレイラは言う。

 これもレオンハルトが作り出したものだ。

 シエラは多才すぎるわね、と呟きながら、使い方をレイラに説明されながら自身に使用してみる。

 こんなもので鑑定ができるの? と、半信半疑な気持ちだった。


 ――結果を見るまでは。


 名前 :シエラ・カノータス

 レベル:100

 職業 :令嬢

 称号 :《アクロード王国十四美女》

 スキル:『礼儀作法上級』『アクロード王国式魔法中級』『身体強化』『ライラ流刺突剣技初段』『ミカド流護身術初段』

 神授スキル:『文書作成』

 固有スキル:『内政官』


「レベル――100?」

 第二王子が確かレベル50だったはずだ。

 幼い頃から隣国や獣人種族との戦争に参加し続け、血の滲む努力で英雄王子と呼ばれるに至った第二王子でレベル50。

 それが、ほとんど戦闘に関しては努力をせず、ただレオンハルトと一晩セックスしただけのシエラがレベル100。

「冗談みたいね。でも……」

 意識すれば、たしかに身体能力ステータスは上がっている。なんの訓練もしていないからその全てを引き出すことはできないが……それでも、こうして数字で見せられればレベルが上がった実感がある。

 人間種がレベル20に至ると得ると聞く固有スキルも得ている。内政官、とシエラは呟いた。内政で領地を豊かにしたい、という願望が呼び寄せただろうスキルだろうか?

「レイラも? レベル100?」

「いえ、私は旦那様が使うようにと仰った道具でレベルを下げましたので」

「下げたの?」

「制御できないステータスは危険なのと、この先も経験値が入ってくるから、もったいないと」

「それはそうだけど、どうしたの? その顔は」

 レイラが何か言いにくそうな顔をしたので、気になったシエラは鑑定の道具を使うように強く言う。

 躊躇したようなレイラは、おずおずと鑑定の道具を自らに使用し、その結果をシエラに見せた。


 名前 :レイラ

 レベル:50

 職業 :メイド

 称号 :《貴種流離譚》

 スキル:『料理』『清掃』『密偵』『礼儀作法上級』『ミカド流護身術免許皆伝』……他二十四種

 固有スキル:『英雄』

 状態:消費レベル50にて半年間の『心身健康』『幸運』『厄災回避』を保証。


「うーん、称号に貴種流離譚?」

 尊い血筋の人間がそうでない状態から、そうなるように成り上がっていく物語だった気がする、とシエラは呟く。

「レイラが貴種?」

「……よくわかりません」

「貴女の素性、私もよく知らないのよね」

 どこかから子爵領に流れ着いたレイラの実母は自分のことは何も語らずに亡くなっている。

 そしてレイラの将来性を買ったアレックスの両親が何も聞かずにレイラを養子に迎え入れた。

 また容姿と能力が優れていたことと、義兄であるアレックスが騎士になったことから、レイラも子爵家のメイドとなった。

 母親が何も言わずに亡くなったために、レイラは自分の出生にどのような秘密があるのかを知らない。

 ただ、レイラには貴族特有の強力な魔力があり、またシエラに匹敵する超絶的な美貌を持つことから、生まれが貴族であっても不思議ではないところがあった。

「私も、自分の素性はよくわからないのですが。たぶん、そういうこと・・・・・・なのでしょう」

 そういうこと――何も語らずに死んだレイラの母親が貴族令嬢だったということだろう。

 それも、称号名からしてシエラよりも遥かに高位の貴族の令嬢である可能性だ。

「銀の髪に紅い目っていうと、公爵家にそういう家があるけど……ねぇ?」

「何もおっしゃらないでください。レイラは、シエラ様に終生お仕えいたします」

「まぁ、今からレイラをどうこうって言っても状況が複雑化して困ったことになるから、見なかったことにするわ。それで、レベルを消費したことでこの『状態』ってのがついたの?」

「はい。旦那様が、どうせ毎日レベルが100になって経験値がもったいないから、魔の森中層の生存適正レベル50を目安にレベルを消費するように、と」

「毎日するんだ」

 昨晩の激しい夜を思い出して顔を赤くするシエラ。レイラもうっすらと頬を染める。

「そういう方のようです」

 ちなみに『我が恩讐は蛇が如くに絡みつく』がヴィクター家の嫡男や婦人に与えた厄災が百年や五十年保証だったのと比べ、この祝福の状態が半年保証なのには理由がある。

 それはレイラが祈ったのが、効果範囲が曖昧な心身の健康を祈ったものであるのと、コストの重さの違いだ。

 レオンハルトが災厄に使用した、超越者にしか不可能なレベル100の消費と、通常人類の多くでも可能なレベル50消費では経験値量――払ったコストの重みが違うのである。

 そんなことを知らない、知る必要もない二人は、自分たちの置かれた特異な状況について感想などを語り合いながら大浴場へと向かうのだった。 


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