002 転生者、自主的追放


 メイドのアシュリーから妊娠の報告をされた俺は、身支度をし、すぐに父の正妻であり、俺の義母であるアレクシア・ヴィクターの元へと面会の申請を行った。

 そうして奴の私室――というより領主の執務室に呼ばれ、用件を告げてやれば、義母はきょとんとした顔で俺を見返してくる。

「レオンハルト、爵位の継承権を破棄するというのは、本当ですか?」

「ああ、だから魔の森の開拓権と免税特権をくれ」

 レオンハルト――俺の名前を呼んだ義母に向けて要求を重ねてやる。

 なお俺が言った『魔の森』というのは、この辺の貴族の領地に隣接している巨大な森で、森自体も高レベルモンスターが大量に生息する危険地域なのだが、その森の奥地に龍の巣と呼ばれる、魔の森よりも危険な、人類が足を踏み入れたら確実に死ぬ山脈につながる道がある。

 そしてそんな山脈が魔の森に隣接しているせいで、山脈から強大な魔物が縄張り争いに負けたり、気まぐれに下山して、魔の森に入ってくると、押し出されるようにして隣接する貴族領に魔の森から大量の高レベルモンスターが流入し、荒らすだけ荒らしていくのである。

 だいたいが、そういう場合、身を守る術のない農民が大量に死ぬことになる。非常に迷惑な場所だった。

 とはいえ貴族に限って言えば、魔の森は切り取り自由だ。好きに開拓して良いと王国法で決まっている。

 もっとも開拓したところでどうやっても維持できないために、ついた名称が魔の森なのだが。

 実際、貴族が開拓団を送り込んでも、魔の森の木を切る段階で、人間の臭いに反応した魔物の群れに襲われて皆殺しにあって頓挫するから、よほど人口が増えて農民が溢れない限りは開拓などはされないのである。

 さて、俺は用意しておいた契約書をぽんと執務机の上において、サインよろしく、と軽い口調で義母に言えば「何を言うかと思えば」と鼻で嗤われた。

「レオンハルト、自殺するなら早く首を吊りなさいな。そうした方が手間がかからなくていいわ」

「自殺してやるから森に行ってやるって言ってんだよ。あとメイド孕ませちまったから孕んだ奴何人か連れてくわ」

「は、孕ませ……そう、私に殺される前に心中するわけね。ふ、ふふふ」

 俺が急にこんなことを言いだした理由がわかってか、アレクシアが顔に納得の色を浮かべる。

 そう、メイドを孕ませたことがわかれば俺は殺されるしかなくなるのだ。

 貴族の子種をあちこちにばらまくような常識なしが家の中にいるとわかった以上、男爵家としては殺すしか選択肢がない為に。

 俺の子供があちこちで生まれて男爵家の継承権で揉めるというのもあるが、男爵家の兵力規模で魔力持ちの不穏分子が領内に増え、農民に一揆を起こされると対処に困るのである。

 下半身に節操がないなら、俺を断種して生かしておくということもできなくはないが、妾腹である俺にそこまでの価値はないし、目の前の義母からそこまでの愛情を受けた覚えもない。

 メイドたちを連れて行くのもそうだ。このままこの屋敷に置いておけば、俺の子種で孕んでいる以上、目の前の義母に殺される未来しかないのである。

 不安定な旅に付き合わせることになるが男爵家の種で孕んだ以上、仕方のないことだった。

(うーむ。避妊をちゃんとすべきだったな)

 俺の子を孕んだメイドたちを殺さないと兄であるシヴィルの爵位継承が危うくなるのだ。

 妾腹のガキが平民に産ませた子供の継承権なんぞ下位すぎてどうにもならない、という見方もあるだろうが、俺の子供――つまり男爵家の血統の子供――が存在するということは、シヴィルを気に食わない家臣がシヴィルをぶっ殺してから、適当な理由をつけてメイドが産んだ子供を当主に擁立することが可能ということである。

 もちろんこんな男爵家にそこまで過激派の家臣はいないと思われるものの、夫である父との不仲から、油断して妾との性行為や出産を許してしまった義母アレクシアとしては危険因子は排除しておきたいところだろう。

 俺は呆れた色を視線に込めて、義母を見る。

長男シヴィル以外にもガキを作ればいいものを、王都の法衣貴族出身のこのババアアレクシアはクソ田舎貴族のノーマンに抱かれたくないからってセックス拒否してんだよな)

 今でこそ注意するようになったが、俺からするとこの義母は、夫に興味がなさすぎて、妾の存在に気づけなかった大間抜けである。

 ちなみにこのアレクシアだが、メイドたちが言うには、たまに王都に行ってはそこで囲っている愛人といちゃついているらしい。

 シヴィルが父親に似てなかったら托卵を疑うところだな。まぁ、魔力検査されたら一発でわかって、爵位の簒奪を疑われて処刑されるからノーマンの種だってのは確実なんだろうが。

 俺はそんなことを考えながら執務机の上の書類を指でトントンと叩いてみせた。

「で、サインしてくれるか? そしたら俺が持っている爵位の継承権を放棄してやるよ」

 ちなみに親父の許可はいらない。アレクシアは当主代行の権限を持っているからだ。

 剣術しか取り柄のない蛮族領主のノーマンと違い、王都の学園できちんと内政を学んでいるアレクシアが、現在、夫に代わって男爵領の内政を肩代わりしているのだ。

 だから、俺たちは当主たるノーマンに内緒で重要な手続きを進めることが可能なのだ。

「ふーん、レオンハルト、ノーマンに泣きつかないの? ボクの大事なメイドたちが殺されちゃうから助けてって」

「言うわけないだろうが。泣きついたところで助けてくれやしねぇんだからよ」

 なんだかんだと俺はスペアだ。シヴィルに何かあったことを考えると、頭のおかしい常識知らずだろうが館に確保しておきたいのが俺という存在だ。

 だが、それでも子供を勝手に作ることまでは許可されていない。

(そう、だから如何に親父と言えども、こうしてガキを作っちまったことで、俺が余計なことをする馬鹿だと証明しちまった以上、シヴィルが結婚して奴の正妻がガキを産んだら、俺の種なんぞ用済みってことで子供ともども俺も殺されるだろうな)

 そんな俺の考えなど知らぬとばかりに、アレクシアがテーブルの上を指でとんとんと叩いている。そうしてしばらく何ごとかを考えていたようだが、奴は納得したようで、よろしい、と頷くと俺に向かって言った。

「レオンハルト、司祭を呼んであげるわ。それで貴方、貴方が開拓する魔の森から逃げない・・・・って誓える?」

「司祭、司祭ね。契約魔法か。わかった。誓うよ。ただそれだと買い出しにもいけねーからな。一年の半分は魔の森で活動するだとかそういう内容にしてくれ。ああ、あと開拓成功した場合にそこが魔の森でなくなった場合も考慮してくれよ」

「開拓成功って、あははははは。うふふふふふふ。はは、はぁ――……できるわけねーだろうがクソガキがよ」

 ったく、法衣貴族のお嬢様はお口が悪いことで。

 しかし睨みつけられてそんなことを言われても、俺はふざけたように手のひらを見せて、指を屈伸運動させてアレクシアを馬鹿にすることしかできなかった。

 とはいえ、俺の言葉の何かがツボにはまったのか、腹を抱えて笑っていたアレクシアはひとしきり笑ってから、アレクシアの傍に控えていた年若い執事の少年に「お前、司祭様を呼んできなさいな」と命じる。

 命じられた執事の少年は、若いメイドの誰かに懸想していたのか。メイドを孕ませた、という言葉を聞いてからずっと俺に向かって憎悪の視線を向けていたのだが、流石に正妻であるアレクシアの命令には逆らう気もないらしく、そのまま部屋を出ていった。

「あ、レオンハルト。貴方、孕ませたメイドの名前教えなさいよ。気になるわ」

 アレクシアが邪悪な笑みを浮かべて俺に問いかけてくる。

「ちッ、言うわけねーだろうが。全員連れて行くからそんとき見りゃわかる」

 教えないのは、今教えてしまえば、俺の目の届かないところで一人ぐらい殺されてもおかしくないからだった。


                ◇◆◇◆◇


 そうして俺が屋敷で待っていれば、領内で神殿を預かっている女神教の司祭のおっさんが執務室にやってくる。

 昔は神々しかっただろうくたびれた司祭服を着たおっさんは、契約の羊皮紙に向かって契約魔法を行使し、俺にそれにサインをさせる。

「さて、それではレオンハルト殿。契約の羊皮紙に書かれた通りの宣言をよろしく頼みますぞ」

「はい。私、レオンハルト・ヴィクターはこれよりこの生が尽きるそのときまで、一年の半分を魔の森で活動することを誓います」

 机の上で神々しく光る契約用紙に書かれた内容を司祭のおっさんの前で誓えば、司祭のおっさんは頷いてから契約の羊皮紙に向かって魔法を行使する。

「聞き届けました。それと補足事項として、レオンハルト・ヴィクターが自力開拓した魔の森の領域は、この契約の羊皮紙の魔の森と同一のものとします。それではレオンハルト殿」

 司祭のおっさんが、テーブルの上に置かれた羊皮紙の上に手を置くように命じてくる。

 促され、俺がテーブルの上の羊皮紙の上に手を置けば、司祭はその上から手を重ねて魔力を流した。

 すると羊皮紙が端から火を吹き出してちりちりと燃えていき、魔法のインクで書かれていた記述が手のひらを通して俺の中に流れ込んでくる。

 心のどこかに、枷をはめられた感触を覚え、俺は口を閉じるしかなくなる。

(契約魔法で魂が縛られるってのは、こういうことか……)

 これで国内の貴族領を突破して隣国に逃げるとかそういうことはできなくなったな。

 契約を見ていた義母たるアレクシアがケラケラと俺を嘲笑する。

「もって三日ぐらいで死ぬわよねレオンハルト。喜びなさいよ。私の望みが叶うのよ!」

「うるせー。死なねーよ」

「メイド。領内で見かけたら殺すからちゃんと魔の森で一緒に暮らしてあげなさいよ」

「ちッ、わかってるよ」

「死んでも死体はそのままじゃなきゃダメよ? きちんと魔物の餌になって、腹の足しになってあげなさいよ」

「うるせー! だまりやがれ!!」

「あらまぁ、お口の悪い。ふふ、この子ったら誰に育てられたのかしら?」

 いちいちうるさいババアに反論しながら俺は怒りに満ちた吐息をふぅふぅと漏らす。ちッ、少なくともこいつに育てられた覚えはないぜ。

(クソがッ、絶対に生き残ってやる)

 転生してから十二年。赤ん坊の頃から魔法を鍛えてきたが、まだ魔物相手に実戦はしたことはない。

 そういった意味でほんの少しの不安はあった。やっていけるのかという、そういう不安が。

 だが、ここにいれば緩やかに殺されるだけだ。

 それにメイドたちが孕んだ以上それを隠し通すことはできない。彼女たちを守りたいなら必ず家を出なければならない。

(手ェ出した以上、メイドたちを守ってやらなきゃ、だしな)

 俺と関係を持っていたアシュリーを始めとした村娘出身のメイドたちは、館から離れれば義母との関係は終わると考えていたようだがそれは甘いとしか言えない。

 田舎出身で学のないメイドたちはアレクシアとあまり接しておらず、彼女を舐めきっており、奥様はアホだから誤魔化せるだろうとかクソ甘いことを考えていたようだったが、そんなことはない。

 もちろんこのババアは子供一人毒殺できない間抜けだが、王都の学園を卒業したエリート貴族で、俺たちが思っている以上に物覚えが良いし、考えも深いし、情念も濃かった。

 だから、メイドたちが帰郷すれば必ず殺しただろう。俺の母親をそうしたように。

 だから孕ませた責任がある以上、俺がどうにかしてやらなければならないのだ。

(それに、苦難はまだ始まってすらいないわけだしな)

 まだ家を出る準備をしただけなのだ。

 やり直しはできない。兄たるシヴィルの男爵家当主継承を第一に考えるババアが、俺たちが魔の森から出てきたら絶対に殺すと息巻いている以上、俺が魔境たる魔の森での生活をなんとかしなければ、メイドたちは生きていけない。


 ――責任重大だった。

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