坂上秀一の場合 7 

 結局のところアイツにとって家族っていう存在は、その程度ものでしかなかったんだよ。そりゃ勢いだけで結婚してしまった俺にも悪いところはあったんだろうけどさ。


 まさか家庭のことよりも他の男とのセックスを優先するなんて普通は思いもしないだろ。お前の脳みそ、下半身についてんのかよって。思わず突っ込みたくなるよなー。


 あっ、今のは下ネタじゃないからな。ボケとツッコミのツッコミって意味だからな。勘違いすんなよ。って言っても精通も迎えていないお前にはまだよく分からないよな。ははははは。


 いやな、付き合っていた頃からこいつには淫乱の気があるなぁとは思ってはいたんだよ。こっちが頼めばどんなプレイだって拒むことなくヤらせてくれたし、嫌がるそぶりすらみせなかったからな。


 要するに根っからの淫乱なんだよ。そんなにセックスが好きならセックスワーカーにでもなれよって話だよな。世の中広いんだし、1度でいいから経産婦を抱いてみてぇなって思ってる物好きな輩も何人かいるだろ。小汚いオッサンに身体売って小銭を稼いでるくらいがちょうどいいんだよ。アイツの人生は。


 あっ、そうそう。思い出した。アイツ俺から首を絞められるのが好きでさ。鶏を絞めるみたいに両手で首を思いっきりグッとやると、白目剥いてポン中みたいに喜ぶんだよ。


 そういうのがお前の母親なんだぜ。 ホント可哀想だよな、お前って。気の毒に思うよ。しかも口からヨダレをダラダラ垂らしながら『頭に酸素が行き渡っていかない感じがクセになる』とかマジで変態みたいなこと言うんだよ。まぁ俺は俺で『本人も喜んでることだし、まぁいいか』ってそのままヤっちゃうわけなんだけど。


 何だよその目は。だって、しょうがないだろ。いつもより締まりが良くなるし気が狂うほど気持ちがいいんだから。そんなのハマるにきまってるんだよなぁ。なんかアヒルの鳴き声みたいな感じで『グァッ』って音がたまに喉から漏れ出てくるんだぜ。俺、そういう下品なのに弱いんだよ。哀れで無様で興奮するっつーかさ……。


 お前もいずれそういうのが分かる日が来ると思うぜ。何て言ったって俺とあの女の血をひいてるんだからな。蛙の子は蛙。変態の子はどうせ変態に育つに決まっているんだよ。


 おい。聞いてるか? 俺の話。もしかして落ち込んだりしてるのか? 安心しろよ。程度の差はあるが、どうせ人間なんてみんな変態なんだからさ。


 他の生き物と違って人間に繁殖期がない理由ってお前知ってるか? 巷では人間には発情期がないとかなんとか言われているが、ああいうのは人間を崇高なものと思いたい連中が言っているデタラメだ。むしろその逆で俺たちは年がら年中、発情しているんだよ。渋谷のスクランブル交差点の様子がテレビに映し出されているの見たことあるだろ? 当たり前だけどあいつらだって全員、女の腹から生まれてきてるんだぜ。そう思うとちょっと感慨深くならないか? みんなヤルことはヤってんだなぁって。


 発展途上国の人口問題とか食糧危機とか地球温暖化とかいろいろ最近問題になってるっぽいけど。要は後先考えずエロいことばかりしてきたツケが回ってきて困ったってだけの話だろ。だからさ、俺は思うんだよ。レイプ魔だったり、年収が低かったり、性格が終わってたり、そういうどうしようもない男たちをどこか適当な場所に集めて税金使って一斉に年1単位でパイプカットしてやればいいんじゃないかって。そうすれば今よりちっとはマシな世の中になると思うぜ。絶対に。まぁもしそうなったら俺もお前もパイプカットされちまう側なんだろうけどさ。


 あれ?そういえば何の話してたんだっけ。自分でも何言ってるか分からなくなってきたわ。ちょっと飲み過ぎたか? まぁいいか。つまり、要するにだな。アイツと付き合ってた頃の当時の俺は『俺のためにここまで痴態を晒してくれるなんて、こいつは何てイイ女なんだ』って当時、アホみたいに感動しちまったわけよ。それで結婚を決めちまったんだよなぁ。馬鹿な選択をしたなって死ぬほど後悔してるよ。今にして思えば勢いだけで結婚するなんて正気の沙汰じゃねえよな。タイムマシンに乗って若い頃の俺を殴り飛ばしに行ってやりたいね。ホントに。張り倒して、過去の俺を正気に戻させてやんのよ。


 そうそう思い出した。思い出した。俺さ1回アイツを気絶させちまったことがあるんだよ。首を強く締めすぎてしまってさー。やべぇ、殺しちまったかもって思った途端、血の気がサーっと引いたもんよ。俺って昔からついつい調子に乗ってやりすぎちゃうとこがあるから、もっといけるんじゃないか。まだやれるんじゃないかってぎりぎりまで責めたくなっちゃうんだよ。


 ガクンって深く頭を垂れたかと思えば、急に小便を床に撒き散らし始めやがるもんだから何事かと思ったよ。最初はそういうプレイなのかと思って『お前は犬かよ』とか笑いながら頬を引っぱたいたりしてたんだけど、反応がまるでなくてさ。超ビビったよ。あの時は寿命が20年くらい縮んだ気がしたね。すぐに意識を取り戻したからよかったものの、下手すれば豚箱行きになってたかもしれなかったんだよなぁ。そう考えるとお前ってスゲーラッキーなんだぜ。だって俺が捕まってたら確実にお前はこの世にいないんだからな。お前、俺の強運に感謝しろよ。


 結局何が言いたいかっていうとな。女が口にする愛だの恋だの、そういう薄っぺらい言葉に騙されるなってことを俺はお前に言いたかったわけ。冷静になって相手の言動を注意深く観察する癖を今のうち身につけておいた方が良いぞ。でないと俺みたいに貧乏くじを引くことになるからな。こんなでも一応お前の親だからさ。お前には俺と同じような道を歩んでほしくないわけ。親心だよ。親心。


 しかしだな。残念ながらお前が思っているほどこの世にはイイ女って全然いないんだよなぁ。金を持っている男や肩書きのある男にすぐ股を開きやがるし、ヤらせてやってるんだから代わりにあれ買えこれ買えだの好き放題言ってきやがるからな。やってることが売女のそれなんだよ。そんなにブランドものの服とかバッグ欲しいんだったら自分の金で買えよ。人の金を何だと思ってやがるんだよ。こっちは毎月ギリギリの生活だっていうのによ……。ん? あぁ、何でもない何でもない。こっちの話。こっちの話。


 ◆◆◆◆


 和明は酒に酔うと必ず秀一に女という生き物がいかに愚かしい存在であるかを滔々と語り聞かせるようになった。表情を欠いた無機質な彼の目つきは死んだ魚の目や洞穴のようだった。和明は、ある時は家父長制の有用性を説き、またある時はいかに女が男よりも劣った生き物であるかということを秀一に説明してきた。


 グラスの中に残っていたビールを一気に呷り、テーブルに置かれていた煙草に和明の手が伸びる。煙草と酒とSNSで知り合った女の存在が和明の現在いまを支えていた。


 アルコールに頭を侵され薄れていく意識の中でさえも和明の元妻に対する憎悪の感情は揺らぐことがなかった。こんな惨めな生活を送ることになったのは全部、あのクソッタレな売女のせいだ。母に対する悪態の数々が煙草の煙と共に吐き出されていく。秀一は睨みつけるような目つきでテーブルを挟んだ向かい側に座る父の顔を真正面から見据えた。酒に溺れていく父を秀一は心底軽蔑した。


「さっきから何だよその目は。 何でもないって言ってんだろ。もしかして俺のこと疑ってんの? お前さ、誰の金で飯が食ってると思ってるわけ? 別にいいんだぜ? 今からでもあの売女のところに戻っても。料理教室の講師とよろしくヤってる間に転がり込みに行って来いよ。ほら。行けよ」


 母と父。同じ屋根の下で共に暮らしていた頃のことを思い出す。あの頃は祖父も生きていた。秀一は以前、家の近くのホームセンターで買ったペチュニアの花を母にプレゼントしたことがある。大切な、母の日の贈り物だった。笑顔の母を見ているとどういうわけか嬉しい気持ちになったのを秀一は覚えている。


 母は優しかった。


 祖父は秀一に水切りの仕方を教えてくれた。枯れ枝のように細い祖父の指を秀一は昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。


 ――こう投げるんだよ。


 祖父は優しかった。


 父とは公園でキャッチボールをしてよく遊んだ。昼の太陽の光が手入れの行き届いている芝生の上に落ち、光り輝いて見えた。放物線を描くようにして投げられたボールを秀一は必死に追いかけたが、あえなく地面にぶつかり、ころころと転がった。


 父は笑い、秀一は悔しがった。


 父は優しかった。


 幸せとはあの時、キャッチすることができなかったボールのようなものなのかもしれない。追いかけても追いかけても、決して追いつくことができないもの。掴んだかと思えば、するりと手から滑り落ちて消えていくもの。そういうものが幸せなのだとすれば、自分はきっと死ぬまで幸せを掴むことができないだろう。これまで自分を育ててくれた優しかった父はもうこの世にはいない。優しかった父はもうとっくの昔に死んでしまったのだから。


 早く大人になりたいと秀一は思った。大人になって自分を閉じ込める忌々しいこの家から早く解放されて自由になりたかった。

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