仕事もらいました 2
リシャールを外に連れ出すことに成功したクラウスは、護衛を二人だけ連れて、リシャールの手を引いて美術館の中に入った。
突然現れた王弟二人に、美術館にいた人間が驚いたように振り返るが、護衛が遠ざけているので誰もクラウスたちに近づいてくるものはいない。
「久しぶりの美術館はどうだ?」
「うん、楽しい」
「そうか……!」
リシャールの口から「楽しい」という一言が聞けて、クラウスは安堵の息をつく。人に気を遣いすぎるリシャールは、なかなか自分の希望を口にしないが、表情を見ていれば彼が心から楽しんでいることはわかる。
(エルビスに感謝だな)
クラウスだけではうまく誘い出すことはできなかっただろう。
「そう言えば、どうしてここで新人作家の絵が展示されていることを知っていたんだ?」
外に出ないくせに、どこでその情報を仕入れたのだろうかと首をひねると、リシャールが目の前の絵をしげしげと眺めながら答える。
「クラレンス兄上から聞いたんだ。行かないかって誘われて……でも、クラレンス兄上は、あまり絵に興味がないから」
クラレンスはクラウスのすぐ下の弟だ。あの弟もリシャールのことを気にかけていて、何かにつけて様子を見に行ってくれているが、クラウスと同じくリシャールを誘い出そうとして大抵撃沈している。今回は、クラレンスは絵が好きじゃないのに無理をしているとリシャールに気を遣われて断られたらしい。せっかく興味もない美術館の情報を仕入れてきたのにと、さぞがっかりしたことだろう。
「だが、お前の描いた絵はよく持って帰っているだろう?」
クラレンスは結婚を機に王都に邸を構えていて、城には週の半分ほどしか登城しない。その邸に飾るのだと言って、クラレンスがリシャールの描いた絵を持ち帰っていることをクラウスは知っていた。
「そうなんだよね。あんなに持って帰ってどうするんだろう」
「ところかしこに飾られていたぞ」
「クラレンス兄上は絵に興味ないのにね」
「お前が描いた絵だから特別なんだ」
「なにそれ」
リシャールがくすくすと笑い出して、久しぶりに見た弟の笑顔にクラウスは胸が締め付けられそうになった。
リシャールがまだずっと幼い時、父の不要な一言で、リシャールと長兄ジョージルとの間に亀裂が走った。
(父上が、リシャールを王にしたいなどと言わなければ、こんなことにはならなかったのに……)
自他共に厳しい父は、四人兄弟の中で一番優れた王子を王にしたがっていた。長兄であるジョージルが一応王太子を名乗っていたけれど、その地位は父の一言であっさりひっくり返されるほどにもろいもので、ジョージルがそれを恐れていたことをクラウスは知っている。
能力的にはジョージルもクラウスもクラレンスも、多少の差はあれど横並びで、それならばジョージルでいいだろうと父が思いかけていたころにリシャールが生まれてきた。
リシャールは物心つく前から非常に利発な子供だったのは確かだったが、何を思ったのか、まだずっと幼かったリシャールを捕まえて、この子が一番王に向いていると父は言った。
次の王はリシャールがいいかもしれないと父が言ったとき、ジョージルがどれだけ焦ったか。
結果、ジョージルは幼い弟を非常に意識するようになり、それと同時にその存在を頑なに否定するようになった。
幼かったリシャールは、兄に否定されて無視されて、どれだけ傷ついたことだろう。兄とリシャールの間に挟まれて、クラウスもクラレンスも、リシャールをかばいきることができなかった。
傷ついたリシャールは幼い身で父に直談判に行き、自分は王にならないと誓った。そして父が退位し、長兄も即位したことで心に余裕ができたのか、リシャールに対する態度も軟化したが、そのころにはすでに、リシャールの心は修復不可能なほどに粉々になっていた。
リシャールは自分の存在が兄を苦しめるのだと殻に閉じこもるようになって、滅多に部屋から出てくることもなくなった。いまだにジョージル三世の顔を見ると、リシャールが緊張に体を強張らせることを知っている。
(私がもっと……もっとしっかりリシャールを守っていれば、こんなことにはならなかった……)
悔やんでも悔やみきれない。
だからこそ、クラウスはリシャールの心を守るためには何でもすると決めている。これ以上、幼い弟が傷つかずにすむように。
「あの作品はこの前来たときはなかったね」
「半年も前のことだからな。多少は入れ替わっているのだろう」
「もうそんなに来てなかったっけ」
小さな弟がきゅっとクラウスの手を握りしめて、早く行こうと引っ張る。
星をちりばめたかのようにキラキラと紺色の瞳を輝かせて絵に見入るリシャールの頭をそっと撫でてみると、リシャールがちょっぴりはにかんだような表情を見せた。
リシャールとともにゆっくりと絵を見て回り、お待ちかねの新人作家の展示スペースに到着する。
「新人作家とは思えないほど見事な絵ばかりだな」
「だって入賞作品だもん。当然だよ」
大賞作品が一番奥に飾られていて、リシャールは端から入賞作品を一枚一枚眺めている。クラウスも弟の隣で絵に見入っていると、リシャールがふと、一枚の絵の前で足を止めた。
「どうした」
「うん……この絵、僕好きだな」
「これか?」
まるで何かに焦がれるように一心不乱に見つめている絵は、柔らかい色合いで描かれた空の絵だった。朝焼けの様子を描いたのか、赤みがかった紫から濃紺に向けてのグラデーションが見事だ。その中に浮かぶ雲も、質感さえ感じるほどに柔らかく描かれていて、ただの空の絵なのに、どうしようもなく引き込まれる。
「あったかい感じがする」
「あったかい?」
空の絵を暖かいと表現するリシャールに、クラウスは目を丸くした。
リシャールはぼーっとその絵を見つめながら、ぽそりと「この作者に会ってみたいな」とつぶやく。
それは心の声が思わず口に出てしまったというほど小さなささやきだったが、クラウスの耳には確かにその声が届いた。
リシャールは展示作品の下に書かれている作者の名前を確かめる。
(レナ・クレイモラン……クレイモラン伯爵家の人間か。名前からして女性だな)
伯爵令嬢だか夫人だか知らないが、貴族の女性がコンテストに絵を応募していたというのに驚いたが、これは好都合。
(伯爵令嬢か夫人なら、リシャールに会わせても問題ない)
クラウスはときを忘れたように絵を見続けるリシャールに視線を落として、小さく微笑んだ。
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