第24話 人気者の存在価値を勝手に決めるな。

「はい!?!?」


 飛び起きると、膝立ちで俺を見ていた麻生の額に、同じく額がぶつかった。


「「……っ」」


 しばらく互いに、痛みに悶える。


「わ、わり。平気……じゃねえよな」


 先に復活した俺は、尚も俯いたまま額を押さえている麻生を申し訳なく見つめた。

 肩から長く茶色の髪が垂れ下がる。毛先まで隙のない艶やかな髪は、生まれ持ってのものなのか、それとも毎日の徹底したケアで育まれたものなのか。どちらにしても、否応なしに魅力的だ。


「うん、もう大丈夫」


 本人はそう言って笑っているが、薄くすかれた前髪の隙間から見える額は、明らかに赤く腫れている。

 ……やばい、現役アイドルを傷物にしてしまった。

 地位グラグラ状態の俺は、切腹するくらいしか罪滅ぼしの方法を思いつけなかった。


「腹を切って詫びます。その辺で刃物買ってくるんで、ちょっとここで待っててもらっていいですか?」


 ガチなトーンで言うと、麻生は分かりやすく引いていた。


「だ、大丈夫だよ。しばらくアイドルはお休みだから」


 刃物っていくらするんだ? と、財布の残金を確認していた俺は、はっと顔を上げた。


「あ、あのニュース……」


「うん。もうね、疲れちゃって」


 麻生の笑顔が陰るのを見て胸が痛んだ。


「……それでここに転校を?」


「うん。学校内にアイドル的な存在がいる清宮なら、注目の的になるのを少しは和らげられるだろうって。マネージャーの提案で」


「ああ……」


 それを聞いた俺は遠い目をする。

 アイドル的存在は着実に崩壊しつつありますが、大丈夫ですか?

 ……と。


「あとね」


 麻生はスカートを軽く叩いて立ち上がると、綺麗な髪を背に払った。屋上のフェンスに近寄り、一時的に雲に覆われたこちら側より明るく照らされている地平線を眺めた。


「私を救ってくれた今泉くんに会いに来たんだよ」


「え?」


 ……嘘。こんな美少女、救った覚えないですけど。

 韓国ドラマばりの記憶喪失かと疑う。


「SNSにコメント、くれたよね? 活動を休止するニュースを受けて、『頑張れ』とか『応援してる』とかいうコメントが多かったけど、今泉くんだけは違った」


 俺は、麻生が活動を一時休止するというニュースを見て、初めてSNSに訪問したときのことを思い出す。何を書き込んでいいのか分からなかったけれど、とにかく何か伝えたくて。ものすごく短いコメントを送信したのだ。


「「がんばらないで」」


 俺と声が被ると、麻生はこちらを振り返ってはにかんだ。


「そう。あの時、そうコメントくれたよね」


「うん。麻生の姿が自分に重なったっていうか……それで、自分ならどんな言葉をかけて欲しいだろうって考えて」


「私の姿が?」


「自分で言うのもなんだけど、この学校のアイドル的存在っていま俺がやっててさ。しんどいこと多いんだよ」


「……そうなんだね。すごく心が楽になったよ、ありがとう」


 あの短いコメントでここまで感謝されるとは。

 そもそも手の届く距離に女神が降臨するなんざ、人生で一度もない人間のほうが多いんじゃ……? こんな人生最大に近い幸福が訪れるなら、めんどくさいナンバーワンにもなって見るものだなあと思う。


「俺も、活動休止を発表してからもSNSの更新を続けてる麻生を見て、元気もらってた」


 俺たちは、分かり合えたことでほっこりと和んだ。

 ふふふ、ははは、と平穏に笑っていると、その空気をぶち壊すように、耳障りな音が連続して聞こえる。


 カシャッカシャッカシャッ


 思わずノイローゼを発症しそうになる。カメラコワイカメラコワイと一度呟き始めたら、もう終わりだ。自分の世界に閉じこもって一生出てこなくなる自信しかない。


「くそっ」


 俺は、閉じかけそうになる自分の世界を気合いでこじ開け、麻生の前で盾になった。屋上の扉から、カメラを構えた数人の生徒がこちらを狙っていた。そのなかには例の瓶ぞこ眼鏡もいる。


「勝手に人の写真撮ってんじゃねえ!」


「そこをどいてください。我々はこれで飯を食っているのです」


「食ってねえだろ! テキトーなこと言いやがって。んで、絶対どかねえしっ」


「では」


 新聞のヤツらはそう言うと、どうやってここまで運んできたのか、超大型の扇風機を屋上の扉の前にセットした。


 スイッチが入ると、たちまち強風が俺の足を後退させる。後ろにかくまっている麻生の手を掴み、吹き飛ばされないよう互いが重しになるようにする。


「これが人気者の定めですよ。大人しく写真を撮らせなさい」


「人気者にだって人権はあるだろうが!」


「人気者は、我々庶民を楽しませるのが仕事ですよ。それが唯一の存在価値なのでは?」


 麻生ははっとし、顔を曇らせた。アイドル活動を休止した自分には価値がないと感じたのだろう。そしてそれは、言葉にしなかっただけで、麻生のなかにずっとくすぶっていた思いだったかもしれない。


「は? ふざけんなっ 麻生は麻生としてそこにいるだけで価値があんだよ!」


「リコールされそうなナンバーワンに言われても、ねえ」


 瓶ぞこがそう言うと、新聞部は一斉にクスッと笑った。いちいちイラっとする集団だな。とくにあの眼鏡、いつか粉々にする。


「じゃあ、俺がナンバーワン続けられたら、麻生のことはそっとしておいてやってくれ。いいな?」


「一度リコールされると、99.9%はその地位を剥奪されますよ」


「それでも、約束だ!」


「いいでしょう。午後が楽しみですね」


 新聞部でも背の高い、中心人物のようなヤツが撤退を命じると、その集団は足音もなくサーっといなくなった。


 ……さて、勢いで言ってしまったものの、なんの策もない。

 どうすんだ、俺。


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