第20話 保健室はイケナイ場所。 その3
校舎1階の隅の隅。男子トイレの隣。
窓側には木が生い茂り、校庭からも死角になっている秘密の花園。
保健の先生は若くはないが色気があると評判で、「頭痛が痛い」とかいうアホみたいな理由で訪れる男子生徒が後を絶たず、連日満員御礼。
学校に残された唯一の楽園。それが保健室だ。
朝イチ、昼前、昼休み、午後イチ、帰りのホームルーム直後。だいたいどの時間帯も3台あるベッドのうち3台が埋まっている。
が、部活が始まる頃には、ようやくすべてのベッドが空になる(北大路がバカみたいにはしゃぎながら言っていた)。
そのことを知ってか知らずか、昼休みにもう一度遭遇したとき、相原は絶妙な時間帯を指定して来た。
「16時53分くらいに保健室で」
相原が廊下のど真ん中でその一言を発すると、どっかんどっかんと女子が騒ぎ出した。
「なんの約束?」
「え? え? 場所どこって言ってた?」
「時間の刻み方がセクシーすぎるんですけど!!!」
と、待ち合わせ場所を特定しようとする者から、よくわからない褒め方をする者までさまざま。さすがナンバースリー。同性にも人気だ。
そろそろ俺もどんなときに歓声が沸き起こり、逆にどんなときに悲鳴が地を震わすのか、わかって来た。今なら女子のリアクションを自由自在に操れる自信がある。
そして迎えた16時53分。俺は保健室の前にいた。
ここへ来て、ドアの取っ手に指を引っ掛けたまま動けずにいる。
-キスの嵐でした。
相原にひどい目に遭わされたはずの男子生徒は、恍惚とした表情でそう言った。
普通の精神状態であれば、公衆の面前で四つん這いになり、人の踏み台を演じるなんてことはできないだろう。その男子生徒はすっかり相原に心酔していたのだ。
……ごくり。
俺は生唾を飲み込んだ。期待と不安が入り混じる。このドアを開けたら、もう後には引けない。いいのだろうか、本当にこれで。1周回って冷静になった俺は、さっきまでの勢いを失いかけていた。
取っ手にかけた指がずるりと滑り落ちそうなほど、手の内側に汗をかいている。唇はパリパリに乾いて上と下が張り付き、呼吸を整えようとして息を吐こうにも開かなかった。
ゆうみはすでに、長い時間をかけて育んできた幼馴染という関係から、一歩外へ踏み出したのだ。もうそこにこだわる必要はないはずだ。
こういう話がある。乳幼児は、ずっと愛着を寄せていたタオルケットやぬいぐるみなんかの移行対象といわれるものから卒業することで、大人になるらしい。
俺にとっての移行対象はゆうみで、ゆうみにとっての移行対象は俺だったんだろう。幼馴染同士、いつまでもお互いだけに固執していたら成長できないのだ。
く、卒業ってやつはいつだって目頭を熱くしやがる……っ
いいから早くドアを開けて中に入れ!! もう1人の俺が左斜め上あたりからそう急かしてくる。ますます早まる鼓動。
ええい、もうなるようになるだけだ!!!! 本体の俺は意を決して保健室へ入室。
ドアが冊子を滑る音が室内に響き渡ったのちピタッと止み、物音ひとつしない沈黙が戻ってくる。
「おーい、相原ぁー」
保健室内は電気は点いておらず、全体的に薄暗い。流しのところの窓が数センチほど開いている。野球部特有のクセのある掛け声が届く。
俺は、廊下と保健室とを区切るドアの冊子をまたいで足を一歩踏み入れ、キョロキョロと辺りを見渡す。それからもう一歩、二歩と進み、柵で囲われた昔ながらのダルマストーブが置かれた部屋の中央まで来て、ふと気が付いた。向かって右-窓側に位置するベッドのカーテンだけが締め切られている。
「そこにいるのは相原?」
ちょっとした肝試しみたいな気分で、ベッドにゆっくりと近づいた。微動だにしたないカーテンにそろっと手を伸ばすと、ところどころ黄ばんだ白色で埋め尽くされていた視界が突然開ける。中にいた誰かが、なんの前触れもなくカーテンを開け放ったのだ。
そこにいたのは相原で。俺よりも頭1つ分ほど小さいその姿を確認してすぐ、前転しそうになる勢いで引っ張り込まれる。
「おいっ」
どこへぶん投げられるのかと思ったら、行き着いた先はベッドの上だった。高反発な良いマットレスなのか、それともただただ薄っぺらいだけなのか、背中に想像以上の衝撃を受けてむせた。ついさっきまで相原が寝ていたようで、なかなかに温い。
「ちゃんと来てくれたんですね。怖くなって逃げ出したかと思ってました」
小馬鹿にしたふうに言って、相原は仰向けになった俺の上にちゃっかり覆いかぶさって来る。深い色をした三白眼と目が合った。また、その目を細め、底の知れない笑みを浮かべる。ゾクッときた。
「そ、そんなわけねえだろっ それに約束したしっ」
おぼつかない声の調子から、寸前まで尻尾を巻いて逃げ出そうと迷っていたことが、もろバレだった。
「今泉くんて、かわいいですよね。気持ちが全部顔に出ちゃうところとか」
クスッと笑った相原は一瞬、女神に見えなくもなかったが、翳りを帯びる瞳は悪魔のものだった。男をたぶらかして命を喰らうとか、とにかく甘い誘惑の末に大事なものを根こそぎ奪う類の悪魔だ。
「な……っ」
相原の手が俺の頬に触れる。そのまま首筋に沿ってゆっくりゆっくり降りていき、ちょうど心臓のところで止まった。そこからはさらに速度をゆるめ、俺の反応を楽しむように手を動かしていく。
「わり、俺、やっぱり……」
上半身を起こそうと、高反発すぎるベッドに肘をついた瞬間。
カプッ
「痛……っ!?」
相原が二の腕に噛み付いてきた。甘噛み程度たっだからそれほど痛くはなかったが、とにかく驚いた。
「動かないでください。また勝手に動いたら今度は強めに噛みますよ?」
そうは言われても、こちとら男ですよ? いくら相原が人並外れた運動神経の持ち主だとしても、力で負けるはずがない。
「いや、ほんとわり、用事思い出して」
噛まれた二の腕をさすりながらもう一度上半身を起こすも、
「……っ、いってぇえええええっ」
今度は反対の腕に本気で噛み付かれた。しかもなかなか離れない。噛み付かれっぱなしプレイ。ちなみに俺は痛みに快楽を覚えるタイプではない。普通がいい。普通がいちばんだ(なに暴露してんだ)。
「離れろ!」
「ひゃれふ(イヤです)」
相原の両肩を掴んで引き剥がそうとするも、犬歯のような尖った歯が余計に食い込んでくる。
「い゛たーーーーーーっ やめろって!!」
揉みくちゃになり、下にいた俺が上に、上にいた相原が下にと、互いの位置が入れ替わる。相原の口がぱっと開く。こわばっていた腕からふっと力が抜けた。気が付けば相原の襟元を鷲掴んでいた。男もののワイシャツはボタンが取れ、乱れている。
「ん…っ」
息が詰まり、辛そうな顔が俺を見上げる。
「わり」
俺がどけようとした手を相原はそのまま胸元に押し付けた。
「好きなんです、今泉くんのことが」
言って、相原はちょっと泣きそうになりながら、今度は同意を求めることなく俺の唇めがけてキスをしてきた。
え? もしかしてこれが、本当に本物の、ファーストキスってやつなのか-……!?!?
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