第19話 保健室はイケナイ場所。 その2
保健室へ行くことを了承すると、相原は人形のように表情のなかった顔をほんの一瞬ほころばせ、先に校舎へ入っていった。
俺は校門前にぽつんと残される。男子生徒に肩を貸し、ゆうみが到着する前に玄関へ向かった。
ひと騒動あってから構内へ入ると、女子たちがまた騒いでいる。今度は何に歓喜しているのかと思ったら。
「きゃー!! 今泉くんが人助けしてる!!」
「尊い!!!!!」
と、そんなことだった。よくも毎日毎日、些細なことに感動できるものだなあ、と思う。まあでも、気持ちはわからなくもない(俺に対してそこまでなるのはわからんが)。
数日前に帰り道で、投稿された写真にコメントして以来、麻生真衣の動向をチェックしている俺も同じようなものだ。
「これから朝ごはん」
「何とか今日も目が覚めました」
「おやすみなさい」
なんていう当たり障りのない日常生活がアップされるたび、応援の意味も込めて-”いいね”を押しまくっている。なにせ、写真が破壊的かつ絶望的(手が届かなすぎて)にかわいい。休業を公表してからも、麻生はファンのために身を削って投稿を続けていた。
他の教師から校門でのことを聞いた担任の中川が、階段から転がりそうな勢いで俺たちのところへやって来た。
とりあえず保健室に運ぼう、と中川。状況を説明できる俺も付き添って行くことになった。俺が教室へ行けたのは、不在だった保健の先生が戻って来てからだった。
自分の机へ行くと、隣の席のゆうみは教科書を逆さまに読んでいた。
……それ、俺が教室に来たのわかって、慌てて読み始めたやつじゃん。
隣を歩いていた爽やかイケメンの顔がチラつく。
「あのさ、あれ誰?」
声をかけると、ゆうみは教科書の折れ目に深く顔を突っ込む。無視のポーズらしい。
「何組のやつ?」
懲りずに話しかけてみる。
「……2-A」
やや間があってから、教科書に向かって放たれた単語はくぐもって聞こえる。
と、年上だ……と?
「へえー、どこで知り合ったの?」
俺は平然を装い、質問を続けた。
「保健室」
相原の誘惑が脳裏に浮かぶ。
ダメな場所だ。そこで出会ってはダメな場所だ。いかがわしい想像しができない。
「そこだけはダメだ」
自分のことを砲丸投げの選手みたいな勢いで棚に上げ、実にうるさいことを言う。
「?」
眉を寄せたゆうみが、教科書から顔を引っこ抜いた。
「それどういう出会い?」
「どうって普通に、痛い? 痛くない? って」
「そこだけかいつまんで話すのやめよ? な? 俺いま、すごい勘違いしているよ、たぶん」
「え? 勘違いじゃないよ、たぶん」
誰か、会話の補足をお願いしたい。俺には、幼馴染相手にこれ以上突っ込んだ質問はできねえ。
「わたしはもう、今泉くんが知ってるわたしじゃないの」
あ、やっぱり補足はいらんですう。これではっきりスッキリしましたわ。
ゆうみはきっぱり言うと、また教科書を逆さまに読み始めた。
と思ったら、途端に恥ずかしそうにしながら、正しい向きに直す。
もういいよ、そういう小細工。ゆうみはもろもろ卒業して、俺のことなんて用無しなんだろ? ヒーローごっこ、短かったなあ。そんなヒーローっぽいこともしてもらえてない気がするし。
「はーい、みんなお待たせ。朝のホームルーム始めよう」
中川がせかせかとやって来て、教壇に立った。先ほど保健室に届けた、例の男子生徒は無事だろうか。そいつにこれほどまで弱っている理由を聞くと、「何時間も言葉責めされて、それから……キスの嵐でした」と相原にされたことを激白した。
中川が保健室の先生と話している間に、俺が個人的にコソコソ聞き出したことなので、中川はこのことを知らなかった。
俺は、放課後の相原との約束を思い出し、体が震えた。
いったい何をされるのか、怖いといえばそうだし、悲しくも楽しみな自分がいたりもした。
ゆうみが幼馴染の縛りからもヒーローごっこからも卒業したせいか、肩の荷が下りた気分だった。錨を上げた船のように、俺はもうどこまでも自由だ。
俺ももういい加減、幼馴染神話から卒業しよう。そうしよう。
おっと、別れの言葉ならぬ、最後にこれだけはゆうみに言っておこう。
「体に気をつけてな」
俺の決意がこもった言葉にも、ゆうみは正位置になった教科書から少しも目を動かさなかった。
さっきから思ってたけど、内容まったく頭に入ってないだろ? まあ、もうどうでもいいけどんだけど、さ。
俺が前に向き直ると、ゆうみは教科書をほんの少しだけズラして俺を見た。こんなにも至近距離ですれ違うとは。相性が悪すぎて逆に奇跡。
俺たちはそれから、放課後が来ても何も話さず、それぞれのタイミングで教室を出た。
俺はもちろん保健室へ向かう。ゆうみはゆうみで何か用事があるらしい。昼間、野原と話しているところをちょうど小耳に挟んだ。でも、どこへ行くかまでは知らない。俺にはもう知る必要はなかったから。
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