第13話 ファーストキス争奪戦の結末はアレでも、幼馴染は意外と負けない。
「僕、見た目はこんなんだけど、ちゃんと男の人が好きです」
目の前のリアル男装の麗人は言った。表情は冷ややかさの漂う”無”に戻っていた。
なぜ俺にカミングアウトしたのか、その真意は分からない。
「なので、僕にくれませんか?」
「な」
…にをーそう言おうとした瞬間、視界から相原が消えた。
動きが早すぎて目で追えなかっただけで実際は、俺の視線の高さよりやや下に身をかがめ、こちらに向かって走り込んできたのだ。
相原の一連の動きには衣擦れもなかった。
次に息を吸ったとき、鼻先と鼻先が触れそうな距離にいた。
歩いて近づいてきたのか、走って近づいてきたのか、どちらとも言えない人間離れした身のこなしだった。
「……ファーストキス、もらいます」
かすれ気味のウィスパーボイスが耳元をくすぐる。
耳が弱い俺は相原が発した言葉よりも、吐息に反応してしまう。
(なんだこのエロなシチュエーションは……っ)
さっきからファーストキスを狙われまくっているが、今度こそこれでー相原で決まりかも知れない。
相原の形のいい唇がすぐそこまで迫ってきた。
ゆうみの笑顔が思い浮かぶ。小ぶりな唇に、知らないうちに大人な雰囲気に変わっていたシャンプーの香りもー……
俺は閉じかけていた目をバチっと開いて、相原の顔を両手で挟み込んだ。
「むうっ」
突然、頬を中央に寄せられた相原は唇がアヒルのようにとんがる。
間近で見ると、クセのある短い髪が被さる肌は陶器のように滑らかで、三白眼は深みを増し、均一な幅のくっきりとした二重は出来すぎていて、どれも作り物のように綺麗だった。
(お、惜しいことをしたか……?)
俺の心のグラつきを相原は見逃さない。再び口をとんがらせたまま俺の唇めがけて顔をぐいっと近づけてくる。
「そのキス待ったああああああ」
「今泉くん、ダメええええええ」
相原の背後にあった、開け放たれていた窓からすっかり元気になったゆうみを背負った北大路が飛び込んできた。
「新聞部のアジト、吐かせたわよっ」
生徒の教室が詰め込まれた校舎の廊下と、職員室に続く階段とが交わる方向から、野原も華麗に現れる。
「今泉くんのファーストキスはあたしがもらうのっ!」
今度は俺の背後から西野の声が勝手な宣言をする。
続々と集まってきたそいつらは、皆、俺をめがけて駆け寄ってくる。
「ねえ、僕だけに集中して?」
あちこちに視線を泳がせている隙に、相原は俺の両手を捉えた。
お綺麗な顔でそんなセリフを囁かれたら、男は黙って頷くだけだ。
(……っておい、流されるな!!)
意志を強く持ち直したところで、時すでに遅し。
相原の唇が俺の唇に重なるーというところで、視界の隅で北大路が盛大にこけた。流石すぎた。
背負っていたゆうみを無事に着地させたがために、北大路自身の体勢の立て直したがうまくいかず、そのままの勢いでこちらに突っ込んでくる。
(このままじゃ、相原が挟まれる……!!)
俺は、男2人の間に挟まれそうになっている相原をとりあえず横にぶん投げた。受身が取りやすいよう力は加減したつもりだが、あの国宝級の端正な顔にケガをしないといい。
野原も西野も一度、停止する。
北大路の転がっていくザマを「あーあ」といった顔で観察している。観察しているだけで誰も止めようとはしない。
もう仕方ないから俺が全身で受け止めた。
「「ん゛……!!!!!!!!」」
抱き合った直後ーあってはならいことが起こったと、そこにいた全員が気付く。
俺のファーストキスは、西野の富士山型の唇でも、ゆうみの桜の花弁みたいな唇でも、相原の涼やかな唇でもなく、変態王子に奪われた。
「いやああああああああああっ」
唇が密着している本人たちを差し置いて、悲鳴を上げたのは西野だった。息を吐き切るまで叫び倒すと、そのまま後ろにパタリと倒れた。
ようやく事の大きさを理解した俺と北大路は、離れるなりよろよろと廊下に這いつくばり、同時に吐いた。あまりにもエグい絵ヅラのため、モザイク加工に加えて音声も規制する。
ゆうみはわあっと泣き出し、相原は唇を噛み締めて自分を責め、野原は戦いに敗れた戦士を前にしたときの無念そうな顔でうつむいた。
「灰は、日本海に撒いて、く、れ……」
胃の内容物を一通り吐き終えた俺は、最後の力を振り絞って遺言を残した。
夏の家族旅行は必ず日本海だったーあそこは俺が見てきたなかで夕日がいちばんきれいな場所だ。
遠のく意識の片隅で、カメラのシャッター音が聞こえた。
……新聞部のヤツらめ。
恨みを込めてみても、体に力が入らなかった。
意思に反して重くなるまぶたは、ついに完全に閉じられた。
閉ざされた視界はひたすらに暗くて、一度溺れかけたことのある、あの日本海の底のようだった。
⁑
「……あ、今泉くん」
目が覚めると、俺は保健室のベッドの上にいた。
脇には、どれだけ泣いたのか下まぶたが赤く腫れているゆうみが座っていて、カーテンで仕切られた空間に2人きり。
なんだか、ものすごくひどい夢を見ていた気がする。とにかく頭が重かった。
「よかったぁ、目が覚めて。北大路くんたちはさっき起きて先に職員室に行ったよ」
ゆうみは鼻をすすった。ほんのさっきまで泣いていたようだ。
それに、夢ーーじゃなかった。16年間あたためてきたファーストキスはあのアホ王子に……あああああ、思い出したくもない。いっそ記憶喪失になって、「北大路って誰?」とか言って、出会ったことすらなかったことにしたい。
残念ながら、年季の入った油汚れのごとく記憶にこびり付いている北大路のほか、一番先に気絶した西野もここへ運ばれていたらしい。
ゆうみの言う北大路くんたちには、野原や相原も含まれていた。
あのメンツで職員室へ行ったところで、教師に大人しく説教されるとは思えないのは俺だけだろうか。
「もう、体調は大丈夫なのか?」
ベッドから体を起こそうとすると、ゆうみが背中に手を添えて手伝ってくれた。
意識を失ってこのザマでありながら、俺はゆうみの喘息を心配する。
「うん、北大路くんがものすごいスピードで教室に連れてってくれたおかげで、もうバッチリ!」
ゆうみはガッツポーズからの万歳をして、元気さをアピールした。空元気に見えなくもない。
「よかったよ、ホント。気をつけてやれなくてごめんな」
ゆうみの頭に手をおいて、くしゃくしゃっと撫でる。髪質が子どもみたいに柔らかくて、ずっと触っていていいのなら、マジでずっとこうしていると思う。
「ううん、わたしも、今泉くんのこと守れなくてごめんね」
「あ、ああ、俺のはいいよ。女の子と違って、そんな大事なもんじゃないし」
「よくないよ」
ゆうみは頭に乗っている俺の手を両手で握ると、相変わらずくしゃくしゃと撫でているその動きを制する。白くて小さなゆうみの手と、それに比べるとかなり大きく見える俺の手とが重なり合った下から、上目遣いでじっと見つめてきた。
「今泉くん、わたし、ずっと言えなかったけど……今泉くんのこと、好きだよ」
面と向かって言われても、それほど驚かなかった。
たぶん俺は、なんとなくでも、ゆうみの気持ちを知っていたんだと思う。
中学の頃までは、ゆうみのアピールがそこまでじゃなかったのもあって、幼馴染という関係に収まる範囲の好意だと思っていた。自意識過剰になって、勘違いしたくないっていうのもあった。
それが、高校へ入って、その好意が女子が男子に寄せる思いだってことに気付いた。ヒーローになりたいって申し出てきたのも、つまりはそういうことなんだろうなあと。
同時に、幼馴染だから、そこははっきりさせないのが暗黙の了解だとも思っていた。
気持ちを確認してしまったら、今までと同じとはいかない。
ゆうみのことはめちゃくちゃ大事に思っているし、いつかは幼馴染以上にーと考えたことがないわけじゃなかった。
「今泉くん……?」
ゆうみは首を傾げながら、桜貝のようにツヤっとした耳に髪をかける。
でも、この清宮高校で新入生ナンバーワンというヘンテコな称号を得てしまったからには、恋愛をするわけにはいかない。退学になったら、ゆうみをヒーローでいさせてやれないからーー。
もちろん、最初で最期になってしまったあの日直のように、ゆうみが俺と一緒に何かやりたいと言うなら、それは絶対に実現する。ただ、それ以上はダメだ。
気持ちのこもっていないキスならいくらでもできるけど、本気で気持ちをぶつけてくれるゆうみとは……ダメなんだ。
「……わり、ゆうみとは、そういう関係になれない」
目も合わせられない。病気かと思うほど、胸が苦しかった。
「そんな顔しないで」
俺の両手を握っていたゆうみの手が、今度は顔を包み込んできた。
下がり気味だった顎が持ち上げられる。
また、例のシャンプーの香りがした。
俺はなんで今日まで、ゆうみが大人の女になったことに気がつかなかったんだろう。
ゆうみの唇がふいに何か言うために動いた。
「……っ!?」
直後、唇が重なり合う。
キスをしてしまったーと思ったら、口のすぐ横にゆうみの唇の感触があった。
「新入生人気ナンバーワンの心得、野原さんから聞いたんだ。わたしが、そんなの勝手なルールから今泉くんを自由にしてあげる」
魂が丸ごと抜け出てほぼ幽体離脱状態の俺は、口をぽかんと開けたまま硬直。突然強くなった幼馴染をバッチリ目に映した。
マジでゆうみは、俺のヒーローなのかもしれないー。
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