第10話 ぬるっと始まったファーストキス争奪戦 その2
ゆうみの唇は西野のそれとはまた少し違う。
桜の花びらを少し横に伸ばして楕円形にしたような控えめな形。誘惑されるような吸引力とは真逆で、穢れを知らない無垢さがあった。
俺はされるがままに、首にかかるゆうみの重みのほうへ体を傾けていく。
左からは野原の視線。左半身がヒヤヒヤするーということは、だ。その視線には、お前キスできれば誰でもいいんだな的な感情がこもっているに違いなかった。
鼓動が激しくなる。むしろ動機がする。
人生18年目にして初めて通るルートであり、対処法など知る由もない。
(どうすんのコレ!!!!!!)
今すぐゆうみの肩を掴め。そうして体を引き剥がすんだ。
俺は必死で脳に指令を送ったーしかし、体は動かない。男の本能よ、ジーザス……
「はーい、やめやめ」
俺が諦めかけたところで、ゆうみの顔が手のひらによってシャットアウトされる。修学旅行の生徒に引率している教師のごとく口調で、野原が止めに入った。ほんと、この人いなかったら話が前に進まない(誰目線だよ)。
首に回されていたゆうみの腕が解かれ、俺はよろよろと仰け反った。そのまま背後の棚にぶち当たる。正面には突っ立ったままのゆうみがいた。
ゆうみはカーディガンの袖がちょろっと覗いた手でスカートをぎゅっと握った。まるで、スーパーで欲しいものを買ってもらえず泣き出しそうになっている小さな女の子のようだ。
「わり」
我に返った現実に、待ち受けていた気まずさったらない。
あの春の後悔を取り戻すどころか、ますます悪化の一途をたどっている気がする。なぜか、ゆうみとこういう雰囲気になると判断が鈍る。正しさとはなんなのかー。
逃げ出そうとする俺のブレザーの裾をひっつかんだのは野原だった。
「自分の体を安売りしたらダメよ」
俺の逃亡を封じつつ、ゆうみの肩をポンと叩いた。引率の教師の次は、サーカス団の動物の調教師のようだった。
「あんたも、大事なもの、ちゃんと自覚しなさいよ」
「……え?」
冷え冷えとした視線で見られているものと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。野原には、俺にはイマイチぴんと来ていない大事なものーとやらが見えているのかもしれない。
「まったく、もどかしいわね、子どもの恋は」
大人びた調子で野原は言った。おそらくこの場合の子どもとは、恋愛経験の乏しい人種ー俺たちみたいなひよっこを指している。俺は歯を食いしばりはしたが、恋愛スペックほぼゼロの身としては何も言い返せなかった。
「おおおおおおおういっ」
と、ドドドドと時代遅れの恐竜のような地響きを立てて現れたのは北大路。図書室という場所に加え、貸出禁止区域に最も縁遠そうなヤツが、よくここに俺たちがいることが分かったなと思う。
「こ、これ、拡散されてんぞ!」
北大路が俺たちに向けたスマホの画面には、西野の口元に吸い寄せられる俺の姿を映した写真がはっきりと表示されていた。
『ファーストキスを奪ったもの勝ち!
新入生人気ナンバーワンの彼女の座をゲットせよ!!』
という書き込みと一緒にSNSに投稿されている。投稿者のアカウント名はー『アイラブ清宮新聞部』。あいつらあああああっ
そうやって唖然と見つめている間にも、エゲツないほどの勢いで拡散されていく。それに付随して、新入生人気ナンバーワンの現在地なんかもこと細かに投稿されていた。新聞部のヤツらがどこかで俺たちを見張っている。北大路はそれを見てここが分かったというわけだった。
「もう、何なのよ! 次から次へとっ」
俺は思わず野原の口調がうつる。その途端にげんなりして、30歳くらい歳をとった気分になる。18+30で48歳だ。とはいえ、現役の48歳のほうが確実にイキイキしていそうだ。
俺の隣に立っていた野原は、そのままスライド移動して俺から距類を取った。たぶん、文句も言いたくなくなるほどウザかったんだろう。
「それはそうと、コレ、どういう感じ?」
次に北大路が注目したのは、俺たち3人の不自然な格好だった。
涙目のゆうみと、襟元が乱れた俺に、俺たち2人を制する野原。
「お、おなごならなんでもいいと言うのか!? 見損なったぞ!!! 地の底に落ちろ支持率!」
呪いの呪文を唱える北大路の脳天を、俺は無言でチョップする。ビシッという効果音が聞こえるくらいそれはヒットした。意識を失った北大路が本棚の囲いの外へ倒れた。
すると同時に、大勢の女子たちの声が図書室になだれ込んできて、
「あそこよ、あそこにいるわ!!!!!」
と、叫んだ。もはやここは人間が住む地球ではなく、◯の惑星と化していた。図書室のドアから溢れるほどの女子(中には男子)が、無理やり入ってこようとしている。
「こ、怖い」
同性のゆうみでも恐怖を感じるほどの勢力だった。
「とりあえず、窓から逃げましょ」
野原は早くも窓を開け放ち、長くしなやかな足を縁にかけている。幸いにもここは1階だ。長い黒髪をなびかせ、野原が窓の外へ無事に飛び降りた。
「ゆうみも早く行けっ」
伸びている北大路を担ぎながら、ゆうみにも逃げるよう促す。
143cmのゆうみには窓の縁に上がるのもやっとでありー案の定もたついている。
背後からは迫り来る女子の大群。1人1人を見ればみんな可愛いのに、集合するとなんたるただただ恐ろしい。男が群れる女子を嫌うのは、こういうことかと実感する。
俺はゆうみの胴まわりに腕を回し担ぎ上げた。
左手に長身の北大路、右手に極小のゆうみを抱え、俺はやっとのことで外へ逃れる。
全員が脱出したのを確認し、野原がすかさず窓を閉めた。
「「「今泉クーーーーーン!!!!!」」」
窓ガラスをバンバン叩きながら、なおも叫び続けるおなご。
そりゃ、常日頃からモテたいとは思っていた。そのために生きていると言っても過言ではない。でも流石にこれは度が過ぎる……。
「早く、こっち」
野原に導かれ、俺たちは体育館裏へ一時避難した。
新聞部がどこに潜んでいるか分からない。ここに追っ手が来るのも時間の問題だ。
「なんなんだよ、もう」
制服の中に変な汗をかきまくっていた。額にも汗が滲み、髪の毛が肌に張り付く。いつもなら不快に感じることも今はどうでもいい。
「今泉くん、パンツ、見えちゃうかも」
左腕に抱えていたゆうみが、スカートの尻を押さえて言った。小さくて軽量なゆうみのことは、つい持ち上げていることを忘れてしまう。
「ああ、そうだったそうだった」
俺は北大路をその辺に捨ててから、ゆうみが足をつくのを待ってゆっくり下ろした。
「ありがとう、今泉くん」
にっこり笑ったゆうみと改めて目が合う。瞬間、図書室でのことが脳裏によみがえった。
ーああゆうことしたいなら、わたしがしてあげるよ?
あのまま野原が止めに入らなければ今頃……。
(いやいや、何を想像してるんだ俺っ)
ゆうみも同じことを考えていたのか、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「まずは新聞部のヤツらを探しましょ。SNSの更新を止めないことにはラチが明かないわ!」
桜の木の下で寝ているというか白目の北大路以外、野原の提案に頷いた。
で、ここで校舎の外周にまで届く校内放送が、そこかしこに設置されたスピーカーから流れ始めた。そして俺たちは気付いた。朝のホームルームがまだ済んでいないことに。
『新聞部の投稿に騒いでいる生徒はすぐに教室に戻ってください。それから、1年A組 今泉アキトは必ず職員室へ来ること』
これはもしや、逃走中のハンターの人数を減らすイベント的なアレですか。だとしたら俺、危険は犯さない非協力的な出演者タイプなんで、フツーに参加しませんよ?
……とも言っていられない。新入生人気ナンバーワンとしては、教師の呼び出しをガン無視するのはハイリスクだ。
まあでも、よく考えてみればー職員室に着いた途端、階段上、壁の影、近くの教室と、あらゆる死角から女の子たちが俺めがけて飛び出して来る光景が目に浮かぶーうん、悪くない。どちらかといえば夢のようシチュエーションだ。
が、俺が相手できる人数の上限をはるかに超えている。しかも命の保証は、ない。
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