第9話 ぬるっと始まったファーストキス強奪戦 その①

「今泉くーん」


清宮に入学して2週間目の朝。

俺は、玄関前の自販機でカルピス(幼稚園の頃からこれと決まっている)を買い、教室に戻る途中だった。


そんな間延びした呼び方をするのは、ゆうみくらいなものだ。このときもゆうみに呼ばれたんだと勘違いして、ほとんど力の入っていない重力に負け放題な顔で声のほうを向いた。


(え、だれ……?)


そこに光の加減でピンク色に染まる希少な髪の少女はいなかった。いたのは、栗色のボブヘアの女子だった。


授業で教室を移動する際、何度かすれ違ったような気はする。

が、どこにでもいる髪型に、特別も低くも高くもない身長、個性を主張しすぎない優しげな顔のつくりのために、この女子だったかと問われると自信はない。


いわゆる、量産型女子だった。

奇抜性も攻撃性もない外見は男ウケの視点で見れば100点満点だと思う。


「突然呼び止めちゃってごめんなさい。あたし、西野にしのスズって言います。今泉くんとずっとお話ししてみたくて……」


その女子ー西野はもじもじしながらぽっと頬をピンクに染める。控えめな様子とは裏腹に言っていることはけっこう大胆だ。


「はあ」


一度は気のない返事をするも、西野の紺色のだぼっとしたニットベストが肩から少し落ちていて、シャツ1枚になった部分にブラ紐と素肌が透けている。


俺はそんなん見ない……わけがない。ガン見だった。

紙パックのカルピスを持つ手に思わず力がこもる。


西野はブラ紐側の髪を耳にかけると、本能に抗えない俺の顔を下から覗き込んできた。茶色い瞳は大きくてくりっとしており、ツンとした富士山型の唇は誘惑するようにわずかに開いている。


(え、なんかこの子、ものすごくかわいくね?)


さっきまで量産型と若干ディスっておきながら、コロッと意見が変わる。俺も所詮、王道モテ女子には弱かった。


西野を見つめていると頭がぼーっとしてくる。その唇に吸い寄せられるように、俺は無意識に顔を近づけていく。大きくて丸い目がまぶたを閉じる。唇と唇の距離はあと、5センチ……。


「今泉くん!!」「今泉!!」


と、そこへ間延び声の本家ーゆうみ、登場。野原も一緒だ。


俺ははっとして、西野から距離を取った。


(俺はいったい、今なにをしようとしてた……?)


女子2人に両側から腕を組まれ、捕らえられた宇宙人的なポジションで引きずられる。西野が、遠くなっていく。大きな瞳が、唇が、ブラ紐がぁぁ〜っ

そうして、俺は西野の前から強制退場させられた。


図書室まで引っ張られ、貸出禁止の書物がある棚に囲まれたスペースに放り込まれた。部屋の一番奥の、物好きな生徒以外ほとんど用のない場所なので、人目を盗んでイチャつくには最適な空間だ。今のところ、利用する予定はないが。


「ちょっと、あなた、何簡単に誘惑されてんのよっ あんな見え見えの手にフツー引っかかる? 引っかからないわよね?」


野原は俺に人差し指を突きつけて、ものすごい剣幕でまくし立てる。


「今泉くん! 危険! ダメだよ!!」


背伸びをして懸命に訴えてくるゆうみの顔は青ざめていた。

何が危険なのかイマイチ分からないが、あの女には近づくなーということらしい。


ゆうみと難波に責め立てられ、俺は棚に背中をぴったりくっ付ける。もうどこにも逃げ場はない。


「お、おい、落ち着けって」


2人をなだめるようにして、自分にも言い聞かせた。


「あそこまであからさまな女相手に、どうしてあんなことを……? 本能だからしょうがないって? そんな非合理的な理由は受け付けないから」


野原は虫けらでも見るような目で俺に言い放つ。

正直、無意識だった俺には説明のしようがなかった。西野を見つめていたらつい……。そんな、到底女子には理解されない理由以外に何も言えない。


「……今泉くん、男の人の顔してた。わたし、あんな今泉くん、初めて見た」


ボソボソと話すゆうみは、貧血か何かで今にも後ろに倒れてしまいそうなほどショックを受けている様子だった。


「誰とああゆうことしようが俺の勝手だろ、減るもんじゃないし」


「バカね、新入生人気ナンバーワンの彼女になりたいだけの女にホイホイ騙されてたら支持率下がるわよ。確実に減るわよ、あなたの人気度」


「おいおい、俺は総理大臣かなんかなのか?」


「それに近いと思っていたほうがいいわ」


まあ確かに、担任の中川からも「お前は誹謗中傷で袋叩きにされる担当だ」のようなニュアンスのことを言われた。もう少しやんわりと説明された気がするが、要はそういうことだ。俺は常に人の目にさらされる役割を担っている。


「ちなみにあなた、初めてのキスは?」


「は?」


「大事なことよ」


「…だけど」


「え、何?」


「まだ、だけど」


俺は消え入りそうな声で答える。運動も勉強も申し分ないくらいにはできる。それなのに、経験値が物を言う恋愛となると、途端にスペックが不足している。


野原は胸の前で腕を組むと、窓の外へ視線を逃す。そして鼻で笑った。ついでに「ああー、道理で……」と納得した顔をしている。


ゆうみはといえば、俺の回答に安堵したかと思えば、意を決したように声を発した。


「ああゆうことしたいなら、わたしがしてあげるよ?」


ゆうみはつま先で立つと、俺のワイシャツの胸元を両手で掴んで引き寄せた。


(あれ、シャンプー変えたんだ)


ゆうみの髪から新しいシャンプーの香りがした。

今までシャボン系の爽やかな香り一択だったのが、今日はなんだか鼻腔を通して、俺の体を刺激してくる。甘いだけじゃない、濃密な花の香りー。



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