第8話 思わせぶりな幼馴染にはワケがあって

俺が帰宅するなり、親が電話の子機を持って玄関まで走ってきた。何事かと思っていると、担任から連絡が来ていると言う。親の様子からするに、あまりよくない話のようだった。


「は?」


日直の仕事は無事終えたし、サッカーの練習試合もきちんと優勝に導いた。労われたり感謝されたりすることはあっても、指導されるような覚えはない。


「もしもし」


腑に落ちないまま電話に出る。声音にも無意識に感情が漏れてしまう。


「あ、今泉、夜分遅くにごめんな。日誌のことなんだけど」


「日誌? ちゃんと難波が提出したと思うんすけど」


「いや、うーん……内容が、ないのよ」


「親父ギャクっすか?」


「違う違う、そのまんまの意味」 


担任の話を聞くに、ゆうみがしっかりと書き込んでいたはずの日誌には、授業ごとの簡単な内容や重要なお知らせなど、書くべき内容が記載されていなかった。


代わりに書き込まれていたのは。


「”今泉くんに消しゴムを貸してもらった”、”今泉くんの国語のノートはすごく見やすい”  それから……」


「も、もういいです。俺が悪いんです、すみません」


ゆうみは授業の重要事項の代わりに、俺との出来事を記していた。

延々と内容を読み上げる担任の声を制して、耐えかねた俺は電話越しにも関わらず土下座した。床に額を擦り付けるほど深く完璧な土下座を。


ゆうみは日誌を書くのがまったくうまくなかった。むしろド下手だった。

これほど苦手な日誌を好きだなんて言ったのは、きっと嘘で。日直をやりたがった理由は他にあるはずだ。


担任との電話を終えると、俺は事の真相を突き止めるべく自分の部屋に向かった。

荷物をベッドの足元に降ろし、合い向かいのゆうみの部屋を見る。その頃ちょうど、ゆうみも部屋に着いたところだった。


「ゆうみっ」


ベランダへ出て直に呼びかけた。

ゆうみはすぐに気付いて、手を振りながらパタパタと窓辺に近寄ってくる。ベランダの手前で大きなクマのぬいぐるみに躓き、こちらには音は聞こえないものの、盛大にコケた。


「うう…今泉くん、さっきぶり」


ゆうみは這うようにベランダへ出てきて、手すりにもたれるなりそう言った。

ラグが敷いてあるものの、ゆうみの部屋はフローリングだ。転んだ拍子に打ち付けたらしい鼻の頭が赤くなっていた。


「あのさあ、実は日誌書くの、そんなに好きじゃないだろ?」


前置きなど挟まず、率直に聞いてみた。


「え、なんでバレたんだろ……」


ゆうみはぎくりと肩を一瞬動かし、固まった。視線を逸らし、独り言のように言って考え込む。


「さっき担任から連絡あった。日誌、書き直しだってさ」


「ごめん、なさい……」


普通にしていても小さいゆうみは、ますます小さく縮こまった。そのサイズ感ときたら、手すりの影に見えなくなりそうなほどだった。


「どうしてそんな嘘」


「本当のことを、隠さないとで」


「本当のこと?」


「日直がしたかったっていうのが本当のこと。」


「え、でも、『日直がやりたいんじゃない』って今朝」


「うん、わたしが羨ましかったのは、今泉くんと日直ができる佐伯さんで。今泉くんとお揃いのスタンプを押してもらえる日直がしたかっただけなんです、はい……」


ゆうみは最後、ほとんど聞こえないほど小さな声で締めくくった。


「なんで……」


話を聞けば聞くほど、俺の疑問は解決するどころか深まっていった。

俺からのさらなる質問に、ゆうみは「えっと、えっと」と戸惑っている。そして考えに考えた末、落ち着きなく答えた。


「お、幼馴染だから……っ」


そう言われてしまえば、それ以上の追求を封じるくらいの力が、その言葉にはあった。


「そっか」


ベランダ越しの淡い期待は呆気なく消えた。

何を期待していたかは、今となっては言葉にできないほど曖昧なものだった。


そして、俺と日直をしたかったというゆうみの願いは、それ以降、叶うことはなかった。お揃いのスタンプは夢に終わったのだった。



* * * * *



春の夕暮れは、後悔が溶けた色だ。


くさいこと言うなよ、と自分に突っ込んだ。


ようやく理科室にたどり着くと、ゆうみが勢いよくドアを開けた。


「今泉くん、おかえりー!」


そういうなり、ゆうみは俺の腹部に腕を回し、ぎゅっと抱きついてきた。


あの日、掴み損ねたと思ったものが、今でも目の前にある奇跡。


「おっせえ、たかが理科室来るのにどんだけ時間かかってんだよっ」


このうるさいのは北大路だ。俺は瞬時に瞳の光を消し、サクッと無視する。


「もう帰りましょ? 夕食前にお風呂に入りたいタイプなの」


言いながら、颯爽と理科室から出て来たのは野原だ。北大路の号令には従わないと思っていたから、ここにいるのが意外だった。


「今泉くん、わたしたちも帰ろっ」


言って、ゆうみは今度は腕を組んでくる。

中学の頃のゆうみは、こんな大胆なスキンシップをするタイプではなかった。

それに内心一番驚いているのが俺だった。


この春は、どうか後悔を塗り替えられるよう努力したい。



「あの子が、難波ゆうみ。人気ナンバーワンの隣は渡さないんだからー…」


俺たちがそれぞれに好き勝手言いながら帰っていく背後に、人影が1つ。廊下の曲がり角に半分だけ顔を覗かせ、いかにも怪しい雰囲気で、じっとこちらを見ている女子生徒がいた。


背中に視線を感じた俺は、きゃっきゃっと飛び跳ねているゆうみを抱えたまま、後ろを振り返る。


そのときには、人影はいなくなっていた。

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