第5話 小動物系幼馴染とはぐれたら重大任務を課せられた話

一度逃げ出してしまうと、教室へ戻るのが気まずくなった。

結局、2コマあった午後の授業は、ゆうみと一緒に欠席することに。


生徒の手本でいなければならない新入生人気ナンバーワンとしては、よろしくない行いだ。


その代わり、掃除の時間は誰よりも働いた。

床は角や溝のホコリまできっちりと取り除き、ゴミはナンバーツーがいるEクラス以外は全部まとめて捨てに行き、黒板はチョークの粉の筋が見えなくなるまで丁寧に磨き上げた。


来る日も来る日も、機械のように正しい行いばかりするのは俺の性に合わない。

そのため、マイナスが生じてしまったときには必ずプラスの行いをし、悪いイメージを払拭することで、プラマイゼロの新入生人気ナンバーワンを目指すことにした。


これなら無理なく続けられそうだ。

マイナスな行いばかりに偏らなければ、学校側も退学にはしづらいだろう。


このポジションを決して受け入れたわけではなかったが、早くもヘンテコな制度に順応し始めていた。



そして、放課後。

人生のなかでもベスト3に入るくらには長く感じた今日が、ようやく終わった。


ゆうみと連れ立って例の理科室へ向かおうとすると、俺だけ担任に呼び止められた。


「先に行ってろ。理科室の場所はわかるよな?」


「今泉くんを置いては行けません!」


ひまわりの種を口に詰め込んだハムスターのごとく、ゆうみは頬を膨らませ、むっとした表情をする。また抱きつこうと接近してきたので、溝落ちの高さにあったその頭を押さえて制した。


「すぐ行くから」


「はあーい」


俺が真剣なトーンで言うと、ものすごく残念そうな声が返ってくる。ゆうみのカバンについている変なマスコットも情けない目線をこちらに向けてきた。


どの部活に入るかを決めるために体験入部中の生徒が多いこの時期、放課後の教室はわりとすぐに人が捌けていく。別室へ移動する手間が省け、担任は手近な席に座るよう俺に言い、自分も相向かいになる位置に着席した。


担任ー中川正七なかがわまさしちはこの清宮に赴任して2年目の、20代後半の若い男性教師だった。ちなみに担当は世界史だ。世界史の資料集を眺めるのが好きな俺としては、入学式の日に中川の自己紹介を聞いたときから少し興味を持っていた。


「もう知ってると思うんだけど、今泉くんが今年の新入生人気ナンバーワン、です」


随分深刻そうな顔でそう告げられた。本来ならこのタイミングでが知るはずだったのだ。


「そうみたいですね。どこから漏れたんだか」


「ああ、それね、新聞部が職員室に忍び込んで得た情報を、記事にしちゃったんだよ」


自己紹介のとき、身長が低いことを自虐していた中川は、椅子に座っていても俺より視線が低かった。そして深刻な表情は続く。トイレでも我慢してるんですか?


「新聞部って、一眼レフで盗み撮りするようなヤツですか? レンズがものすごく分厚い眼鏡かけてたりするヤツですか?」


「あ、それ、九部くべくんのことかな。入学式の日の朝に職員室にやって来て、新聞部の顧問の先生に入部届け出してたの見たなあ」


軽い声音と未だに深刻げな表情がちぐはぐな中川。どうしてだろうと思っていると、眉毛がもともとそういう形だった。


「絶対そいつです。リークしたのもきっとそいつです。入学式の時点ですでに俺がナンバーワンなの知ってたらしいんで」


「うちの新聞部に入る生徒はけっこう過激な子が多いからなあ」


と、苦笑いする。


「ナンバーワン制度ってさ、名前からすると新しそうだよね。けど、実は清宮の設立時から設けられていたもので、当初は『すべての生徒が平等に学業に専念できるように』というのが目的だったんだって。今泉くんは盛大にばれちゃったけど、もともとは正体を明かさず、生徒のスパイ的な役割をするポジションだったんだよ」


「ほお」


このふざけた制度にもそんな歴史があったのかとわずかに感心する。


「でもここ数年、あっという間にナンバーワンの正体が生徒間で広まっちゃうこともあって、時代に合わせてその存在意義を変更したところなんだ」


中川は腹部にたまっていたベストのシワを、裾を引っ張って正した。

同時に、俺のズボンのポケットに入っていたスマホのバイブが鳴る。机の陰で画面を確認すると、ゆうみからメッセージが届いていた。内容は……


『みんなで理科室でお茶してるよ!』だった。


おまけに、三角フラスコでコーヒーを沸かしたり、シャーレにクッキーやらポテチやらを盛り付けたりと、ゆうみに北大路、野原までもが楽しそうに過ごしている写真まで添付されている。


人はなぜ、理科の実験器具でシャレたことがしたくなるのか。

素朴な疑問とともに、平和だなあとしみじみ思う。目から下がフレームアウトしている、おそらく自撮りしたのであろうゆうみの顔を指で拡大した。


密かに笑いそうになっているところへ、中川は話を再開する。

窓からは、すでに春の夕日が差し込んでいた。


「新聞部の他にもいろいろな価値観を持った生徒がいるからさ、ナンバーワンを応援する人もいれば、批判したり攻撃したりする人もいると思うんだ。社会に出てからそういうことすると、ネットの誹謗中傷みたいに大きな社会問題に発展することもあるよね。そういった時代の流れに沿って、清宮では数年前からナンバーワンの正体をあえてガチガチに隠すのをやめたんだ」


中川は、話を短くまとめられなくてごめんね、と声音も表情も深刻そうに言った。


要するに俺は、誹謗中傷の対象になりやすい芸能人やスポーツ選手なんかに見立てた模擬的存在ということだ。そして、この制度を導入した清宮は、どこの誰だろうと見境なく他人を攻撃できるネット社会そのものだった。


「なかなかリスキーなことしますね、この学校。そんな大役を1人の生徒に委ねるなんて」


「ほんとだよね、僕も赴任したばかりのときは正直引いた」


「えらいものに選ばれちゃったなあって感じです。そんで、かなりメンドーです」


「だと思うよ。でもさ、生徒だけじゃなく、教師もちゃんとナンバーワンの選出に関わってるからね。この子なら大丈夫だって、学校中が今泉くんを選んだんだ」


「微妙に喜べないですね」


俺が正直に言うと、中川は声を上げて笑った。癖のある形の眉毛も、このときばかりは楽しそうに跳ね上がっていた。


「困ったことがあったら手を貸すよ」


「あざます」


中川は最後に「『新入生人気ナンバーワンのすゝめ』の最新版、職員室にあるから後で渡すね」と付け加えた。


なんだか壮大な話を打ち明けられた俺は、意識がどこか遠くへあって。3人が楽しく過ごす理科室へ向かっている間も、自分の通っている学校でそんな重要な役割を担っているということが、嘘みたいに思えた。


一方で、これは現実だ、とわかっている自分もいた。


正しくあろうとする自分を強く意識すると途端に憂鬱になる。だから、しばらくは南の島にでも意識を飛ばしておこうと思った。

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