第14話 逃亡

私はといえば、家人のいないヴィンナ亭に入ってピアノを弾くわけにもいかず、やることといえば空樽集めくらいだ。

私は一人でコツコツと樽の洗浄を始めることにした。


樽の外側に書いてある年月を確認し、10年以上経過したものとそうでもないものを選り分ける。10年以上のものは使わないのでバラして薪にする。

その薪を敷地内にある井戸の近くの窯へ持って行き、大量のお湯を沸かす。

もちろんその薪だけじゃ足りないので、新しい薪も持ってきてくべる。

その間に井戸の近くに空樽を持ち込み、1箇所だけあいている小さな穴に漏斗を差してお湯を入れていく。4分の1くらい入れたら樽を回して中を洗浄する。

お湯をたくさん入れると回すのに苦労するので、そこそこの量にするのが腕の見せ所である。

お湯が冷める前に中身を出す。小さな穴が下を向くように固定してある程度自然に出てくるのを待つ。その間に次の樽だ。


いつもはお父さんとこの作業をしていたけれど、今年は一人でやらなくてはいけない。

お湯を沸かしたり、そのあとは燻製作業も待っているので手間が多く、できれば一度にやってしまいたいのだけど、今回はコツコツとやっていくことにした。


こういう時に食事を用意してくれるのも今まではヴィンナ亭のおかみさんだった。

だけど今は仕方がないので歩いて5分ほどのところにある「肉まんじゅうとソーセージのハンガー亭」にいき、ある程度の食料を買い込んきては頬張る。

一人になると余計に自分が食事をただの栄養補給と思ってることを思い知らされる。


1日目の作業を終えた頃、郵便屋のカツさんが手紙を持って現れた。

「いや、カレンならいつもはヴィンナ亭にいると思っちまってさ。」

家の裏側で作業をしていたものだから、わざわざ回って持ってきてくれたとのことだ。

「ありがとう、カツさん。」

「その手紙さあ、差出人がないんだよ。大丈夫か?」

カツさんが手渡してくれた手紙を見ると、確かに差出人がない。表にここの簡単な住所と私の手紙が書いてあるだけ。

「ちょっと開いてみなよ。」

と一歩カツさんは一歩後ろに下がる。中身は見ないよ、という態度を表してくれている。

私はカツさんに言われるがままに手紙を開いてみる。


『すぐに王都に来い。父』


「ふざけんな!」

私はとっさに手紙を握り締めて地面に叩きつけた。

それをみて驚いたカツさんが、慌ててクシャクシャの手紙を拾い上げ、私に「見るよ」と目配せをしてから、内容を見た。


「これだけ?」

カツさんは私の顔と手紙を何回も見比べて、手紙の面も裏も、封筒の中身も調べる。

「ヘルマンさんからの手紙?王都?なんで?」

「だいたい、いっつもこうよ!」


父とははっきり言ってまともに話をしたことがない。

用事がある時は端的に、用件のみ。なぜそうしたいのか、今までに何があったのか、そういうことは一切言わない。

特に手紙のときは現在地も書かない。返事も必要ないのだ。母も同じく。


だいたい今ままでだってそうだ。突然、母と二人で葡萄畑を見にいくだの、新しい酵母が発見された醸造序を見にいくだのと言い、幼い私を置いてさっと出かけてしまう。仕方ないので私はヴィンナ亭へいき、話をして衣食住を提供してもらう。

私は両親がどこに行ったのかよく知らない。

父が何も言わないからだ。

キースのお袋さんからも「困ったねえ」とか言われながら、私も困っているんだよ、と心の中でぼんやり思って住まわせてもらっていた。

そして旅先から「ここはいいところだぞ、お前は元気か?」なんて手紙が来たことなんて一度もない。

ある日突然帰ってくる。


私の意思はどうでも良くて、娘はただ指示に従う部品か何かだと思ってるのだ。

だから私はだいたい父の言うことは聞かない。

そもそも意味わかんないし。


だけど、

「確かに、王都もいいかもしれないぜ。」

と、カツさんが呟いた。

「キースたち、王都に行ったんだろ?」

「それとこれって関係ある?」

私は喧嘩口調でカツさんに聞いた。カツさんが父の肩を持つなんて。

「まあ落ち着け。最近、変な奴がこの辺りをうろついてんだよ。」

「変なやつ?」

と私は聞いた。

「この辺りの人間じゃないって言うか・・・」

「ここは街道沿いなんだから、珍しくないんじゃない?」

小さいながらも街道沿いの宿場である。

「なんて言ったらいいのかな。普通この辺りを通るのは行商人か兵士とか、たまにいても向こうの町に親戚がいるからここを通過するだけ、みたいな人たちだろ。」


そう言われると、そんなに行き交うひとを観察したことはないが、そうかもしれない。


「そうなると、行商人はだいたい大きな荷物を馬に引かせたり、自分で背負ったりしてるだろ。でもたまに、格好は行商人なのに荷物がものすごく小さい人がいたりして。そう言う人を見かけると『ああ、どこかに置いてきたのか』って思うんだけど、そんな風でもなく街を出て行っちゃうんだよな。」

「紐や針でも売ってるんじゃないの?」

「その類の連中は東の方から来てるから、庇が大きい帽子をかぶってたりしてちょっと格好が違うんだよな。それに」

と、カツさんは言った。

「旅をしてる奴らの休憩する場所ってのは大概決まってるだろ。まあそこのヴィンナ亭もその一つだったんだけど。そうじゃないところに座り込んで、何時間も居座ってる奴らがいるんだ。待ち合わせしてる風でもなく。」


彼らが何をしにこの街に来ているのかはわからないが、とカツさんは前置きし、


「俺の勘なんだけど、ヴィンナ亭が見張られてるような気がするんだよな。」

と神妙な顔つきで言った。

「誰に?」

「南の国の間者に。」

まさか、と思ったけど。

「王様が狙われたことと関係ある?」

「わかんねえよ、わかんねえけど、ここんとこ変だなって思うことの大半はヴィンナ亭周りで起きてる。」

だからさ、とカツさんは付け加えた。

「だからカレン、ここから少し離れてたほうがいいんじゃねえかなって。」

でも、父の言うことをきくのはなんだか癪に触る。

「別にヘルマンさんの言うことを聞かなくたっていいんだよ。若い娘がこんなところで一人でいないほうがいいとは俺も思う。だから、キースを頼ってさ、王都に行ったほうがいいよ。」


もし良ければ今夜は荷物をまとめて俺んところに来いよ、とカツさんは言ってくれた。

「俺んちは子供が6人もいるから、まあ一人くらい増えたって大丈夫だし。」

なので一晩だけカツさんの家に泊まらせてもらうことにした。


6人もいる子供達の遊び相手をして、カツさんの大皿の料理をみんなで取り合い、小さい子たちと雑魚寝した。

カツさんの家はあったかい。

決して裕福ではないけど、自分が体験したことのない気持ちよさがあった。


その夜、ヴィンナ亭から大きな炎が上がった。

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